top of page

鳥取県東部医師会 地域医療連携懇談会(2019年1月25日)において、お話しした内容です。

過疎地病院一人小児科医の限界は多々あります。
鳥取県立中央病院、鳥取市立病院など、基幹病院の諸先生方、平日17時以降、土曜日も診療しておられる各位、
東部医師会急患診療所の当番をしておられる各位、皆様のご支援等があってこそ、一人小児科医としての診療ができていることに、あらためて感謝しつつ、また、発表の機会に恵まれたことにも感謝します。

​_/ ​_/ ​_/

※ 公務員医師を退職(満65歳を過ぎた年度末)から3年目になりました。科長の肩書がなくなり、嘱託医として勤務を継続しています。智頭病院の常勤医が不足していることもあり、未だに医局長です。医局長は智頭に異動後3年目の2005年度からの継続で14年目。(2019年度も医局長)

​ よろしくお願いいたします。

​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/

 

 中央病院には、鳥大卒後2年目に一般小児科研修をさせていただいた1年を含めると23年半お世話になり、臨床小児科医として育ててもらいました。

 脳神経小児科出身であり、脳障害を予防する観点で、新生児医療に取り組みました。

 また、門外漢でしたが、チーム医療の観点で、造血幹細胞移植(当時は、骨髄移植)の導入に関しても職責を得ました。

 小児神経の専門外来と共に、平成元年度からは、敷地内にある肢体不自由児通園施設である鳥取療育園の園長職務も13年間拝命し、多くの学びを得ました。

 同様に、敷地内にある病弱・虚弱児が主対象でしたが、内実は肢体不自由児・重症心身障害児や、不登校など心身症の子たちなど、総合養護学校としての機能を果たしていた鳥取養護学校の校医としても学びが多々ありました。

 加えて、県行政の種々の職責も得てきました。鳥取市の母子保健や法による組織ができた児童虐待防止なども・・・。

​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/

 

 自身、全く想定外でしたが、智頭町・岡山県北東部を含む智頭病院医療圏での一人小児科医として、子どもたちの育ちを支援する医療の日々には入れるとは・・・。

 自身の進路に係る選択は、勿論、花◎でした。今もなお・・・

-  -  -  -  -

 異動した当初、実に多くの方から「何故?」との問いや、智頭町との縁故などを問われました。が、唯一の重要な要因は、「智頭町では子育てができない」と、智頭町から受診された保護者の発言です。

 自身、鳥取県立中央病院での仕事(や鳥大・県と関連した多種多様な用務)に邁進していたことで、いつしか初心を忘れていたようで、母のみが小生の異動を「そう言ってたじゃない」と自然体で話したことも、内心、驚きました。

​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/

 (日時を経て、書き込みしていなかったことに気づいたのが、令和の時代に至った2019/5/30の)16年目に至っている現時点みてもブレがない記述です。鳥取県東部医療圏の中核病院と過疎地病院の関係性、とくに後者で一人小児科医として勤める上では確信的な内容と思えます。

​​​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/

 公的病院であるがゆえに、保険診療(:病院収入)に直結しない、予防医学・健康増進支援、即ち、小児領域においては、成育医療は要となる職責と確信します。単に、小児科は赤字部門、不採算部門との評価に陥らず、福祉(調律保育園支援・病児保育)や教育領域における貢献をも含めた小児科医の責務は、次世代の智頭町を育む観点からも重要であるとの認識をしています。

 ボランティアで集ってくださったお母さん方、保護者モニターさんたちの願いを集約すると、つまり、町民ニーズに呼応した小児科診療の本質は、子どもの病状を悪化させないための具体的な家庭看護支援に本質があると分かります。間違いなく、保険診療での収益を高めることと相反します。

 以上は、地域密着型の公的病院における小児医療のあり方、根源に係る内容です。勿論、智頭町・智頭病院に限定せずで、全国の過疎地公的病院に共通することです。小児科医の力量が問われます。

 

​​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/

 お母さん方の願いを適えた結果と評価できましょう。入院宿泊数は、全病態の平均が 1.7 泊で、つまり、2泊しないで退院に至っていました。かつ、同一病態での再入院は皆無でした。

 入院日数が長かったのは、鳥取市内の病院からの紹介例で、肝機能が悪かった例です。

 脱水症を伴う急性胃腸炎は、平均 1.3 泊、気管支肺炎・肺炎の病態は平均 3.1 泊で退院していました。その後、家庭看護期間を経て、外来を再診していただき、回復の評価をした上で、登園・登校を促すのは勿論のことです。

​​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/

 お母さん方の願い「痛いことは避けたい」の代表的医療行為は、皮膚に針を刺す採血機会でしょう。入院例における採血機会が 0~1 回が 94.5 %であったことは、お母さん方の願いに応えていると自認します。肝機能異常の推移は、採血が不可欠で3回実施した1例がそうでした。

 採血なし(0回)が24例ありますが、およそ半数が脱水症が進行して初診された胃腸炎症例で、点滴ルート確保目的で針を刺しますが、(逆流してくる血液を活かして、採血検査をしますが、)血液の逆流がなく、針が閉塞したら困りますので、点滴ルートをつないだら、血管確保が出来ていた。つまり、脱水状態が進行し、末梢循環が低下し、採血が並行的に実施できなかったのです。ウイルス性胃腸炎であると、病態を読み込んでいますので、敢えて、採血検査のための針刺しをしなかったために、採血回数が 0回だった例です。

 採血なし24例の他の半数は、初回熱性けいれん症例で、保護者の心配があって、入院で経過を見た例です。ウイルス血症(風邪・感冒による発熱)初期に大脳がいわば適応不全に陥った状態と評価し得るのが熱性けいれんなので、乳幼児の状態を評価した上で、敢えて、採血検査を実施しなかった例です。

 子どもの病態をしっかりと診切る力量が求められる指標としての採血回数です。決して、検査結果を診て、その推移を追うために採血検査を繰り返すわけではないのです。

_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/

 智頭病院に異動して間もなくの頃、点滴をする際に、小児科専任看護師そ支援する看護師が(他診療科等の看護業務で)得られなかったことから、保護者に「そばに居て・・・」とお願いし、点滴をしない側の手を持って、子どもの安心を促すようにしたのです。

 結果、フト気づくと、子どもが暴れない・泣き叫ばない傾向が大きいと確信しました。

 その後、16年目を迎えている現在、小児科外来に入る看護師、それを支援する看護師は数世代を過ぎましたが、小児科の点滴方式は文化として定着しています。

 つまり、「採血・点滴するから、外(待合い)で待っていてください」として、嫌がる子を強制的に一人にして、押さえ込んで手技をすることは、智頭病院では皆無なのです。

 自身、懺悔する思いですが、小児科医になった当時、鳥取県立中央病院での研修時代から、赴任し、小児科の責任を担う立場(部長)になってからも、子どもを保護者と引き離すことに疑問を持たないままでした。つまり、文化として、自身が育てられ、育ってきたのした。

 智頭病院では15年余になりますが、乳幼児(~低学年学童)の点滴の際には、保護者にベッドサイドに居てもらい(:再々、ベッドにもあがってもらい)手技をするのが自然な方式(:文化)になっています。

 他の医療機関の現状は・・・?!

(2019/5/30記)

_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/

190125-09.JPG

 お母さん方の願いを適えるために、具体的な水分摂取の目安を検討し始めました。

 結果、軸ブレすることなく、今に至っています。

 印象的な例です。体重約30kgで睡眠時間が9時間程度との小学生を連れて来られたお母さん「はい。しっかりと水分を摂らせています」と。で、小生「1日24時間で、一升瓶1本、1,800mlは?」と話したら、お母さんは一瞬表情を変えて「とても一升瓶1本は(無理)・・・」だと。で、小生「こまめに摂るとして、1回に60ml、起きている時に30分毎は?」と提示したら、お母さんは安堵した表情で「それなら大丈夫!」との回答。小生「計算してみましょう。1日24時間で9時間寝るので、起きているのは15時間、30分ごとに飲むので、30回の飲水機会がある。1回60mlで30回なので、計1,800ml」と確認したら、お母さんは驚きの表情をし、感動表現をされました。

 体格の良い中学生でも1回75mlが上限です。中には6時間睡眠と話す生徒に、「もっと寝ろ」「いや6時間」の珍問答もあり、計算すると24時間で2,700mlとなります。

 当直の際、高齢者を診る際には、「1回45mlで良いから・・・」と幼児並の飲水量を提示することもあります。

 看護師さんたちに聞いても、他医は「しっかり飲水を!」との話はあるが、具体的な数値目標は聞いたことがないと・・・。

 3歳未満児は、高熱、胃腸炎、気管支炎(・細気管支炎・気管支肺炎)など、脱水症に陥り易く、点滴機会も多くなるのが通常ですが、智頭病院小児科(・時間外診療)では、数年間(3年以上)、3歳未満児の点滴例は皆無です。勿論、入院例もありません。

(2019/5/31記)

_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/

190125-10.JPG

 過疎地の公的病院一人小児科医ゆえ、町報〔広報ちづ〕を活かして、再々啓発目的で寄稿しています。[幸せな人生とするヒント]1年間12回、続編[幸せは 見つめ愛 育み合い]1年半18回シリーズも・・・。

(2019/5/2記)

_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/

190125-11.JPG
190125-12.JPG

 「痛いことはさせたくない」と言うお母さん方の願いは、インフルエンザの迅速検査の検体採取の際に、採取棒を鼻の奥(粘膜面)に挿入し、粘液を採取する際もでしょう。中には「出血する位、しっかりぬぐって検体を摂る」と話した小児科医仲間もいます。

 仮に、鼻の皮膚面近くに乾燥した“鼻くそ”があったとすれば、これを押し込むことになります。また、鼻の中が乾燥気味の場合、粘液採取は難しく、痛みを伴い、出血することにもなります。

 痛みを与えないで、良い検体をどのように採取するかを考え、ラップフィルムの活用をし始めました。考えてみれば、例えば、子宮頸部癌検診の際に、外陰部から採取棒を入れて検体を摂るのと、実際に子宮頸部を診て異常がありそうな部位から採取するのでは、検体の質は当然異なります。(曖昧記述)

 内視鏡で診て、病変部から検体を採取するのと同様、ラップフィルムを活かして、どのような鼻汁が出るのかを確認し、質量に優れた検体を採取することは必然だと思うのですが、なかなか定着しないようです。

(2019/5/31記)

_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/

 

 智頭町から病児保育導入に係る相談があったのは2006年8月下旬でした。それまで、「病児保育」の何たるかを、自身全く知らなかったのです。調べると、全国に協議会があり、毎年海の日(月)を活かした3日間の期間、全国から集う会があったのです。2007年度は、福岡国際会議場での開催と知りました。“井の中の蛙”では困りますので、学会に出席することにしましたが、単に聞きに行くのではもったいない。2007年度当初から開始が決定した智頭町の病児保育のあり方について、しっかりとシミュレーションをしていたので、かつ、締切日に間に合ったので演題申込をしました。結果、メイン会場での発表機会が与えられたのです。実際の発表には2007年4月からの3か月間の実績をも発表しました。その際、先進施設の関係者と話すと、保育士・看護師が受けようとしても、医師が否定するので受けられない」など・・・。
 鳥取市内の公的病院は、敷地内に独立した建物を有し、トリアージ室など、多機能を有していますが、“病児”は対象外で、“病後児”保育に限定・・・ (小児科医の見識を疑いました。)

 その後、病児保育数を増やして、初年度の実績を、地元学会でも発表しました。

 智頭では、仕事着で初診され、「高熱が出たから」・「吐き出しから」・「ゼーゼーが聞こえ、咳がありしんどそうだから」などで、智頭町の病児保育を求められます。

 既述した病院の事務長を体験し、智頭病院の事業管理者を担われたA氏は「智頭(・大谷)は、急性期病態の病児保育をようやる」と、感心してお話されていました。

 入院適応がある病態も、何とか病児保育で急性期をしのいだ例は数多くあります。

 保護者からすれば、働かざるを得ない(保育園児としてわが子を委ねざるを得ない)し、感染症で高熱などを呈した際に、家庭で見守る大人が得られないので、病児保育に委ねざるを得ない。となれば、入院を促したとしても、病児に付き添える保護者がいない状況なので、安易に入院を選択できない・・・。

 結果、病児保育の実績が高まり、入院例が減りました。

(2019/5/30 記)

​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/

 自身、入院例の推移を具体的に数値化して、内心驚きました。2012年11月以降も同様の入院数で、最近の入院例は町外からの受診例や学童が多い(と言っても絶対数は少ない)のです。

 当初を振り返ると、とくに、ウイルス性胃腸炎や下気道感染症で、脱水が進行した状態での受診例があり、入院止む無しの例が多かったのです。その後、既述した通り、病児保育が定着し、病初期を乗り越えることで、入院例はさらに減りました。

(2019/5/31記)

_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/

 

 過疎地における公的病院の一人小児科医の責務は、非平常時に迅速・適切な対応をすることも含められます。その代表例が、2009年当時の新型インフルエンザ汎流行への対応でしょう。詳細は省きますが、国が都道府県(保健所)に指示した集団予防接種(は勿論、実施に至らず)、さらに、地域の保健センターなどでとの情報を得た時点で、速やかに、院長の理解、教育長などの理解を得て、教育委員会責任で町内関係者が集い、集団接種が実施できました。

 かつ、その後の国が出す方針に即応する形で、接種対象を広げて実施しました。おひざ元の東京都並の迅速性で・・・。(曖昧表記)

 鳥取県内では智頭町だけだったろうと思います。

(2019/5/31記)

_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/

 

 小児科医と教育との接点は、学校医としての健診や保健委員会に出席して講義等を担うことが一般的です。智頭中学校から求められた3年間の性教育の集大成として、中3生徒への特別授業(性教育講演会)は、今も継続しています。

 性教育 ≒ 命の教育 ≒ 人権教育の三位一体でお話ししています。

 以下、スライドの一部を提示します。

_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/

_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/

_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/

_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/

 以上が、智頭中学校3年生へのメッセージの抜粋です。詳細はコチラをご覧ください。

_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/

 

 2003年11月に、智頭病院に異動後、2005年度から日本小児科学会学術集会で、一人小児科医の取組・実践を発表し続けました。これが評価され、2009年度の同会で、講演依頼があり、お受けしました。命題は「問題点」でしたが、「過疎地病院における小児医療のありかた」として、夢をもお話ししました。

_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/

_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/

 講演したのは2009年度なので9年目で、異動当初乳児だった子たちは小学校卒業でしたが、現在に至ってみれば、「16年目で、乳児だった子たちは高校生 : 今後、親になるまで見守りたい夢があります」と、夢がバージョンアップしています(笑)

(2019/5/31記)

_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/ ​_/

 

 このページを up した当時、書込みが途中でした。2019年5月、令和元年度となり、その月末に末尾まできました。書き加えたきっかけは、昨日の[森のようちえん:まるたんぼう・すぎぼっくり]の“森の中での健診”です。

 秋の誕生日以降、古希になりますが、幸い、心身両面で健康至極で、相変わらず、アレコレとチャレンジを続けている日々です。原動力は、日々の診療、健診時などでの出会いがある子どもたちに対峙し、育ちを見守る・支援することができていることと思えます。

 自身に役割があるならば、智頭町・智頭病院、お母さん・保護者の方々から求められるならば、智頭病院小児科医としての勤務は継続するでしょう。(勿論、当直を含めて、終えるべき時も考慮せねばなりませんが・・・)

(2019/5/31記 感謝しつつ)

_/ ​_/ ​_/

bottom of page