小生が学びを得た講演の要約筆記集です。拝聴しつつ、乱筆のメモを解読しつつ(?!)、理解を深めるために残しました。
梶田叡一先生からは2回お話をお聞きしましたが、世話人のラブコールで2回目の来鳥講演が決まった際に、標題を小生が依頼した経緯もありました。現在まで、要職を歴任し、今も現役の学長であられることに敬意を表します。
2018/ 9/18 記
講師:梶田叡一先生 1992/11/ 4
講師:梶田叡一先生 1993/12/11
講師:木村利人先生 1997/ 6/ 9
講師:平岩幹男先生 2011/11/ 5・6
講 演 記 録
人 間 の 評 価 に つ い て
~ 見える育ちと見えない育ち ~
講師:梶田 叡一先生 (大阪大学人間科学部教授(:当時)
学校での“評価”はいつ始まった?
小学校では通知表が今年変わりました。中学校でも、今年中から来年には変わるでしょう。要は評価方法が変わりつつあるわけです。
人の“評価”は、する側、される側も、みんなが嫌いですよね。評価で一喜一憂するわけです。しかし、評価することは、考えざるを得ないことなのです。
みなさんね。学校での“評価”は、いつから始まったとお考えでしょうか?。まず、大半の方はまちがわれます。私が、ソウルの本屋さんで見つけた本などから分かったことでもあります。学校での評価の歴史に関しての本は、私が書いたものが唯一あるだけなのですよ。さあ、どうでしょうねぇ。
“戦後”ですか?。日本人は、世の中が明けると、すっかり変わるという感覚をもつ傾向があるようです。
大正時代、既に知能検査が行われていました。上から7%が5でという5段階評価、相対評価ですね。これも行われていた。論議を呼び、今見直される5段階評価は、実は一旦禁止されたことがあります。それはね。昭和16年に、陛下の赤子を育てるのに優劣をつけるのはけしからんということで禁止されたのです。しかし、お上が強制しても教育現場はしぶとくあって、止められなかったですね。
明治維新のあと、森有礼が学校制度を確立したわけですが、明治のはじめの頃のテストはとても厳しかったようです。半年ごとに、小学校で進級テストをやっていた。村長も来て、公開試験をやっていたのですね。3年生あたりまで行けるのはごくわずかであった。当時“到達度評価”をしていたようで、合格できずに1年のクラスに何年間もいるようなことだったのです。1年生がどんどん増えるわけですから、クラス編成も大変だったようです。ゆえに、自動的に進級させるようになったという、そんな状況だったようです。
江戸時代にもテストはあったのですよ。旗本、御家人の子は、四書五経等を学んでいた。勉強の場はいろいろありました。江戸時代後期では、旗本の子も、庶民の子といっしょに学んでいた。そして、“学問吟味"を18歳でやっていた。江戸時代のイメージは世襲制でしょう。ところが、実際は実力主義だった。学問吟味で、点数が悪いと、廃嫡届を出していたのです。つまり、ふつうは出生とともに長男を嫡子として届けていたが、その子の点数が悪い場合は、次男を嫡子として届け直したというわけです。次男もダメなら、その次の子を、さらには、お妾の子をというわけでした。実子がみな成績が悪いとなると、何としてでもお家断絶は避けねばなりませんから、親戚の子が“お家”を継いでいたようです。
いやな話ですねぇ、いつの時代も。日本は基本的に実力主義の国だということです。試験は、毎旬、つまり10日ごとに何回も行っていたのです。
教育の歴史の話をしていると2時間の講演時間は経ってしまうのですが・・・。
実は、飛鳥時代に試験が行われていた記録があります。天智天皇のころでした。学校の制度を中国に習って、“大学寮”、“国学”や“府学”を作っていた。小さな子が行っていたのです。“大学”は中央の貴族の子や渡来人の子が行っていた。“国学所”には、国庁に勤めていた役職の上の方の人の子が行っていた。“府学”は大宰府に設けられていたものです。
四書五経を学ぶのを“明経科”といった。“お経”は“古典”の意味で、仏典というわけではないのですよ。中国には6つ位のコースがあった。役人コースは“明経科”で、地方には“医道”も含めていた。父が医者なら、子にも教えていたのでしょうが・・・。8日間勉強し、9日目に試験をして、10日目は休みでした。
7日毎の休みという制度は、明治以降です。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教文化圏が7日毎の休みというわけですね。理由が分かりますか。キリスト教では、旧約聖書、新約聖書があり、旧約聖書では、“創世記”で、神様が地球を、そして人を、人は6日目にお作りになって“よし”とされ、7日目が休みというわけですね。ユダヤ教、イスラム教も起源は同じで、7日毎の休みというわけです。
中国文化圏は、もっと合理的で、10日毎の“旬”とした。試験も“旬試”というわけです。このなごりは今の日本に日常的に残っていて、“5”のつく日は中間の切れ目で、商取引は通例として“10”と“5”の日に行われているのです。
当時の子は大変で、10日目ごとに試験が繰り返されていたわけです。漢字ばかりのテキストで、今われわれが漢文を読む際に付けられている“返り点”ができたのは、奈良から平安時代で、ひらがなは平安時代に入ってから、というわけで、当時、飛鳥時代は、全く漢字ばかりの“白文”だった。試験では、一字を隠して読ませたりした。6割できなければ、罰を受けていた。もうひとつは“何々について述べよ”という試験で2つ以上できねばならなかった。罰の方式も決まっていたのです。
さらに“年終試”があった。これは、1年間学んでやってきたことについて、8つ試験を行い、6つ以上できれば“上”で、4、5つが“中”、3つ以下は“下”とされた。“下”は、据え置きで、3回連続進級できなかったら退学 ?!ということでなく、31歳を過ぎて、卒業できる見込みのないときに退学となったのです。当時の31歳は“翁”ですよね。平均寿命がとても短かった当時、乳幼児死亡が高かったのも一因ですが、それでも40歳程度の寿命だったのではないでしょうか。とにかく、大変なことだった。
試験制度があって、いやな“成績付け”がなされ始めたのは、7世紀からということなのです。
戦国時代においても、学校、試験はありました。試験も評価もいやなものだから、戦国時代のように、国が乱れたときに止めればよかったろうが、止めずに続いた。ときには、試験を止めたところがあったでしょうが・・・。第2次大戦後も、長野で止めていたことがあった。が、2年後には試験と評価が復活したのです。
できることならば、試験、評価を止めたいという気持ちは、みんなが抱くでしょう。良い点をつけるとか、悪い点だから落としてしまうとか・・・。いやですねぇ。私自身も学生の卒論を落としたことがある。就職が決まっていた男子学生が泣いていました。
試験は学習のペースメーカー
“試験、評価をやらないと力がつかない”と感覚的に(飛鳥の時代から)知っていた。試験は学習のペースメーカーになるのです。人間は弱い存在です。「何をやってもいいよ」ということでは、長続きしない。NHKテレビの語学講座では、4月号のテキストは良く売れる。しかし、5月が越せない。(笑い)。とくに夏に落ちる。通年ものでは、2、3月号は4月号の何十分の一になっている。私も4月号のテキストが何冊も、捨てきれずにある。スペイン語は、何回目かで、やっと半年続いています。
NHKテレビの語学講座も、試験が1か月、1週に1回あるとかなら、そして、1年終わって、通訳の資格でもできれば、落伍者はずいぶん減るでしょうねぇ。この講演会も「10回連続出てください」というのでは長続きしない。テストでの締めつけがあって、復習したりするからこそ、積み上げをしてこそ、力がついていく。うまくいけば良いし、ということで力がついていくのです。
みんながこのような話は好まないでしょう。「夢のある話なら・・・」と聞きに来られた方なら、ここで帰ってもらって良いですよ。現実の話、人間は弱いという話をこのあとも続けていくわけです。私自身も弱いのです。
試験は自己理解のため
試験は自己理解のためにも必要です。自分はダメだと思ったらオワリで、「私は出来る」と思わねば、大人も子どももダメになる。ノイローゼに至った人に共通するのは、「自分は何でこうなのだろう」と、自分を否定的に考えているのですね。
私は何てすばらしいのだろうと、みていくことが大切です。しかし、自分のことは自分が知っているというのは誤りです。良いところなら自分でも分かるのですが・・・。
ある相撲取りが、いつでも自分が勝った相撲を詳しく弟子に話して聞かせた。弟子が「負けたときの取り組みはどうだったのか?」と尋ねると「勝った相手がしゃべっているわァ!」と答えたそうな。
相撲取りはともかく、子どものときに自己満足していたのでは能力は伸びない。
子どもは、そして大人も、自分の弱いところを知って頑張らねばならない。自分に自信を持たせるのが基本だし、まだまだのところも学ばせていかねばならない。
“頑張ったから良かった”ということではない。日本は精神主義の国で、失敗したとしても、「彼は彼なりに良く頑張ったのだから・・・」などと話し、分かったような気になったりしている。頑張ったけれど、失敗したというならだめなわけです。
『学ぶ側にとって、試験は“学習を続けて行く上でのペースメーカーの役割”と、それを受けることで“自己学習、自己理解が出来る”という二つの意味』があります。
教える側にとっての評価の意味は?
また、教える側にとって、評価は自分が教えようとする“ねらい”が達成出来ているかを知ることになります。教師は教科書を用いて自分の“ねらい”を教えるわけで、テキストを教えるわけでない。テキストは材料であり、これを通じて教えようとしている意図が実現しているかどうか確認せねばならない。
講演会は一度限りですからともかく、年間を通じる講義や演習では責任があります。私は、学生がどれだけ理解しているか、その都度終わってからコメントを出してもらい、評価をして返している。こちらが“ねらい”を持って臨んだ面についての“育ち”があったかどうかを知ることが大切なわけですから。親としても1年前と今の作文を比べてみて、この先生はどうだったなど思うでしょう。1年間など長く続ける場合、講義では、相手を知ることが大切、相手がピーンとくるかどうかが大切になるのです。
ところで、学生気質が随分違ってきていますね。
見ますと、学生の棚に高価な洋酒が並んでいるのです。われわれの頃は3日もあればなくなってしまっていた。ところが、いつまで経ってもなくならない。朝の3時、4時まで飲んでヘベレケになる学生がいないのです。オボッチャマ、オジョウチャマばかりのようです。また、今の学生にいろいろ尋ねるが、知らないことが多い。
私は米子育ちで、田舎から京大に入った。ある学生が寄って来て「あなたはカミュとサルトルの論争についてどう思いますか」と尋ねてきた。「何ですか?そりゃ」と答えると、スッと逃げていった。京大の文学部はL1からL4まであり、L1は最もオーソドックスで、L2がこれに次いだ。一方、第1外国語がフランス語で、第2外国語は何を選択してもよかったL4は、吹留りで、変なのがたくさんいましたねぇ。4年で外交官試験に合格した者もいたが、同人雑誌を出したり、40人のうち一緒に卒業できたのは十数人だった。私も米子から出ていって、ダメ学生だったかも知れないが、今の学生はそれこそ受験勉強しかしていないから、な~んにも知らない。
中学の先生、中学生の子をもつ人は、子どもたちが性情報をどれだけ知っているか分かりますか?。漫画にある性情報をまとめた学生がいたが、我々はヘエ~ッ と、とにかく驚いた。小5の学童がどれだけ知っているか、少女漫画からの情報であり、ゆがんではいるが、実に多く知っている。学校ではオシベとメシベがとか、動物の受精について教えようとするが、子どもたちは内心、実はその先を求めているようだ。
相手がどこまで知っているか、何を知りたがっているかを把握してから教えることが大切です。このことは、適確に教えるためには不可欠のことです。
長野県では、新たな内容に入るときに、事前調査を行うようにしている。ただし、この準備のために、0時頃まで残る先生がいる状況だ。昔も個別に教えていたろう。
『教える側にとって、試験、評価は、“ねらいがどれだけ達成されているかを知ること”とともに、“相手の興味や関心を知ること”という二つの意味がある』のです。
学校は社会的な責任をもっている
“学校を管理・運営する側にとっての、試験、評価の意味”もあります。
小学校を出たら、事故に合わないだけでなく、教育を受けただけのことがあるというふうな育ちが必要なわけです。小・中学9年間、さらに大学を出たら出たなりの育ちが必要なわけです。『教育は社会的な責任を持っている』のです。
学校は税金を使っている。本人、家族のための学校ではなく、学校には次の社会を担う世代を育てることの責任がある。つまり、学校には社会的責任があるのです。私が年金をもらうようになれば、次の世代が稼いでくれてこそ、老後が安心出来るのです。戦後、預金通帳は紙屑同様になりましたね。今のロシアがそうであり、年金をもらって肉を買いに行っても、さて肉が何切れ買えるかという程度が現実でしょう。
欧米の教育事情 : 先生が評価される
教育機関の社会的責任が欧米では厳しくなっています。このため、第三者機関が小、中学生に対してテストをしている。米国では、テストの結果が悪ければ、先生の給料にも影響させているのです。就職後5、6年から7、8年過ぎたあとは、子どもたちにテストをして成績が伸びているかどうかという点と、査定委員が授業の様子を見て、細かいチェックリストを持ち、採点し、評価している。ふつうのコースは、給料ベースがこれで決まる。日本や中国など儒教文化圏では、給与ベースが高い。
ドイツでは6割位が先生として生活できている程度です。しかし、出来る先生だとの評価がなされたら、master teacher などと呼ばれ、給与が高い。管理職となったり、企業に引き抜かれないように、給与は企業以上に良いわけです。一方、ダメ教師はきつい。給与が低いのです。つまり merit pay system が採用されているわけです。
『教育は極めて社会的な意味を持っている』のです。
“職場でメシを食うために教師をしている”という教師はダメです。かつて、日教組の槙枝委員長、先生ですね。槙枝先生と何度か対談したことがあるのですが、あるときにこうしたことを言ったのです。「教師労働者論がありますが、子どものためというのではなくて・・・」云々と。槙枝先生は「教師は子どもに対する責任がある。そして、社会的な責任を持っている」等を話された。
教師聖職論は、私は好きでない。17時までに準備が出来て、子どものためになる方法をみつける研究をしていくのが望ましいわけです。長野の場合も、私が何年か指導してきたのですが、遅くまで学校にいてということは考えていなかったのです。
教師聖職論より、もっといやなのは、労働者としての意志、権利からものを言うことで、これは甘ったれですね。労働者の側面もあると、槙枝先生は話しておられたが、まずは、子どもをどう育てたかが大切です。年間240日勤めて、教科書を済ませて・・・、といった形式論ではない。海部俊樹さんが、2度目の文部大臣の頃に『教育は人なり』と言っておられる。教師をどれだけ大事にするかは、とても大切だし、賛成です。しかし、教師はこれに甘えてはダメで、(社会は)教師に責任を持たせねばならない。
アメリカでは、教師の責任という点で厳しくなってきた。1970年代に学校がメチャメチャになった。高卒でも英語が読めないものが出て来た。米軍は掲示する公文書を中学卒業レベルで記載していたが、小学校卒業レベルまでに落としたりしている。
このままではアメリカの21世紀はないとまでいわれた。今、アメリカは従来のオープン方式とか、フリースクール方式を止める時流にあり、(大きな教室には)壁をして、テスト、テストで、締めつけるようになっています。
日本は、先進国の中では、教育は極めてうまく行っているのです。
“評価”はいやなことだけれど、必要なのです。全てに良い点をつけてしまえば、結局は、誰も勉強しなくなる。日本では飛鳥時代から試験があるわけですが、中国では既に4、5世紀にカンニングの方法が書物に残されている位で、紀元前にテストは始まった。ギリシャ時代にも、口答でしたが、テストはあったわけです。
水面下の能力を育てること
今、日本では弊害が出ている。目に見える結果ばかり問われている。まちがえば、劇薬となってしまう。
文部省から“新しい学力観”が出されました。学力は目にみえない部分があるのです。氷山にたとえるならば、知識、理解や技能は見え易い水面上の能力といえます。自然科学的、実験観察などの技能ですね。しかし、人の能力の大半は、7割は見えにくい能力、つまり、水面下のものです。そして、水面下の育ちが安定していなければ困るわけです。関心、意欲、態度とか、思考力、判断力、表現力が相当します。観点別学習状況の評価、それは数学的関心、数学的意欲、知識、理解といったものですが、これらにより学力を評価していこうとするのです。今回、(1)関心、意欲、態度、(2)思考力、判断力、表現力の順になった。大切なものから並べていってます。
実は十数年前も同様で、考えとしては出していたのです。しかし、当時は「関心、態度など、客観的に評価しにくいものを加えてどうするのか」といった反対があった。ところが、知識、理解を評価の前面に出すと、テスト、テストになってしまう。
文部省の考え方は十年前と変わりました。“新しい”としていますが、実はあたりまえのことで、大正時代から言われていたことです。1930年台にタイラーが確立した教育観なのですね。これを、今新たに確認しようということです。
一時、共通一次がクローズアップされ、5教科で満遍なく点がとれていないと国立大学はダメだった。今は、3教科とか、信州大学では1教科でも優れておればOKというまでになった。また、共通一次がダメでも1割は小論文で採るとかしますね。
テストの盲点 : 思考力・関心・意欲が育つ?
テストでは、思考力、判断力というより、出題者の意図を見抜いて解くということが行われる。コツがあるのですよ。それは、まず、選択枝を読んでから、問題文を読む。次いで、選択枝を比べて読む。Key term(キーワード)は全ての選択枝にはないわけです。さらに、選択枝を比べて読み合わせるとスムースに書いてある方や長い方を採る。これはもう直感ですよね。以上で、8割位は正解を得ることができます。
クイズを解くことにはよかろうが、思考力、関心の深まり、意欲は育たないです。
とくに国語では、問題形式を多枝選択をしたら全くダメですね。
例えば、遠藤周作は自分の文が問題として出されていて、自分で答えようとしたが、考えても答えがみつからなかったという。
これは余談ですが、医師でもある賀川乙彦は、55歳でカトリックの洗礼を受けたのです。上智大学教授を辞して、文筆と精神科診療に専念しようとしたのですね。洗礼の実際について尋ねた賀川に対して、クリスチャンである遠藤周作は、「本気かぁ?。カトリック教会には地下室があって、洗礼を受けるときには、逆さで頭から浸けられるゾ」云々を言った。賀川は本気で心配したというのですが、洗礼の当日は2、3滴を額に垂らされる程度だったのです。遠藤周作にはそういう一面がありますねぇ。
私自身の文章も、ある年、都立高校の試験問題に、都立高校は二百校ほどもありますし、うれしかったわけですが、「自己と他者」から、引用されたのです。入試の日になって引用しているという旨の電話がありました。事前に出題が分かったらいけませんから、試験問題に関しては、事前に著者の許可が必要ということはないのです。著作権法の適用外なわけですね。
当時、高校生の息子といっしょに問題文を読んでいた。私自身は、自分の書いた文ですから、読んで「これ」と ○ をしたのですが、息子は「お父さん。それではダメで、出題者の意図を良く考えて・・・」というわけです。結果は、息子が ○ をしたのが正解だったのです。自分自身の頭を使わないで、一般にはどう対処されているかを考えて答えを出す。こうしたことばかりしていたら、自分の頭で考えられなくなる。
偏差値一流学生が有名大学をダメにした
今、東大は困っています。自分の頭で考えられない学生が多いのです。難しい大学はノイローゼが多いし、企業に行ってもモノにならない。大学院に行ってもダメというわけです。そうした学生の出身校を調べたら、いわゆる受験有名校が多かった。営業にかかわりますから、実名は出せないのですが、鹿児島のR高校とか、関西のN学園とかあるのです。中高一貫性の私立校が多いようです。そうした学校では、理科の実験はない。実験、観察を生徒にさせるよりは、テストをというわけでしょう。例えば、与謝野晶子を味わうという場合、自分の味わいをというよりは、出題者の意図を知ること、受験を突破することが目的とされるわけです。
大阪、阪神間では、小6の3学期に学校へ行かせないで、朝からやっている塾に行かせるのです。成績が上の方の10%から30%位は、学校にはほとんど行かないのですね。今、N学園で、欠席日数が多いと卒業させないというのは例外的なのです。
親の本音、先生のある本音。それは、良い大学に行けば・・・という本音ですね。
東大に合格出来て嬉しいことといえば、合格しサンデー毎日に名前が載ること(笑い)。今、この本音が、実はまちがってきている。一部上場企業への就職をみてみると、東大、京大、とくに東大は落ちている。京大は今4番ですか・・・。東北大や九大はずいぶん低下しましたね。国立でアップしているのは、一橋ですね。阪大は後発の方で、とくに理工系主体であるから横這いです。
私立では、6大学の中で、早稲田、慶応が落ちています。関西では、“関関同立”は良いですね。日大、駒大、専修大などが、さらに、亜細亜大学などが良くなっています。気をつけねばならないのは、大学の評価が高まると、偏差値が上がり、ダメな大学になる傾向があることです。
今や、2、3か月で、ドル、円の評価が違っていく時代です。自分で考える人こそ有能といえるのです。“学生一流、施設二流、先生三流”などと言われたりした早稲田は、以前は本当に良い学校でした。今、(受験技術の点で)学生が超一流となって、(大学が)ダメになり、私学で最も評価を落としている。
転んでも生きていく力を身につけること
自分の子を偉くしようと思えば、大学を選ぶべきだ。有名大学に入れて大丈夫と思うのは間違いです。一例として、新日鉄は、本来の鉄とは無関係の業種の子会社をもち、経営努力をしている。今、多くの企業がそうでしょう。子会社への肩たたきを40歳代でやっている。新日鉄で長年やってきたのが、全く異なる業種へと変わるのです。きまじめな人じゃぁ、やっていけないですよね。レジャーランドなどに出されても、そこで「おもしろい」というようでなけねば、やっていけないのです。
これが銀行だと、行員を止めさせる簡単な方法があるのです。わかりますか?。
それは営業に出させることです。営業でノルマを与えるのです。最初の3カ月は親戚や、知人が入ろうが、その後は続きません。本人が「止めさせてください」と言うようになります。平和的に止めて行くわけです。
まじめで、勉強が出来るというだけの子はダメになるのです。どう転んでも生きていく力を身につけることが大切なわけです。
あなたがたの子どもさんを先生にするといいですよ。一生が保証されますからね。但し、教師採用の枠は、今小さいですよ。それから、知っておくべきことは、ノイローゼの発生が(一般的職種の)3倍の率だということです。教師になるにしても、関心、意欲、態度等、水面下の力をつけておくことが大切なわけです。
人生80年 : 糧になるのは、水面下の能力
今、80歳までの人生です。目に見えるところだけやっていたのではダメです。
“子どもが3人いて”という40歳代でノイローゼになったりすると、これはもう大変なわけです。むしろ、大学でノイローゼになってくれた方がまだ良い。笑いごとではないのです。他人ばかり出世しての鬱(うつ)、自分が出世しても、また、他人と同じでも鬱やノイローゼにはなるのです。
結局、水面下の能力を培っておくことが、人生の糧になるのです。
関心、理解、意欲など、水面下の評価しにくい面は教科書では教えられない。教科書で教えられないことを、どう評価するのか・・・。水面下の能力の評価には、先生の主観性は入るが、まぁ良いじゃないですか。水面下の能力は、家庭で大きな影響を受ける能力ですからね。一方、テストの成績も塾でつけたのかもしれないからね。
先生に到達度、満足度を評価してもらい、次のステップにつなげていくことが本来的な試験と評価でありましょう。
テストの点が良く、オリコウサンで、先生から高い評価を受けたのが良いというなら、小学校のときに嘱望された人のどれだけが、社会に出てすばらしい人になっているのか?。先生に嘱望された人なら、多くが名のある人になっているはずでしょう。
ひ と
他人のために涙が流せるか
私の中学の同級生での出世頭は、勉強が全くできなかったチョロ悪で、チョロチョロ悪いことばっかりやっていた。島根畜産高校を出て、今県会議員になっています。彼は、青年団で伸びた。ものすごく伸びた。彼は、同級生が目覚めないうちに、国際問題や「人のために涙が流せるか」など真剣に熱っぽく話し、そして、懸命に行動した。消防団でも活動した。山火事のときなど、若いから前線に出されるでしょ。大変だが、彼は頑張った。その後、体をこわしていたが、中海干拓反対運動のときに担ぎ出されていった。やがて、選挙にも担ぎ出されたが、こんどは青年団の人たちが手弁当で彼を助けていったのです。
同窓会のときに、中学の先生が「おまえがなぁ・・・!」と実に感慨深げに話していた。竹下さん(元総理大臣)だって県会から国会に出ていったでしょ。彼は、今に国会に出ますよ。
“人のために働いた。今度は人が働いてくれる”。
こんなこと、東大で教えますか?。私は、教える。掃除当番をやらせたりして、青年団ほどには出来ないが、少しは教える。私は、(国立大学教授で、このあと頑張ってもせいぜい)勲五等をもらう程度だが、彼はもっと上の勲章をもらおう。
人生は長い
人生は長いですよっ。
キンさん、ギンさんの百歳になられた双子の姉妹には、本当に励まされます。番組は欠かさず見ていますよ。足が弱くなったからと、日に3回の散歩を欠かさないでおられる。気力、生命力ですね。大切なものは。オリコウサンではダメなんです。
東大、京大でなく、阪大で良い(宣伝めいた表現で、会場から苦笑)が、水面下の能力を養わなくてはダメなんです。いろいろやって、成績も良くなったというのが良いですね。
今、本当に幸せな人生を展望するとき、何を育てるのが良いか。それは、手に職をつけることですね。高級住宅地に住み始めた人は、自営業者と、黒塗りの外車がよく止まったりする組長さん?!。手に職をつけているんでしょ(笑い)。サラリーマンでは、私も含め、ダメですね。板前さんは良いですよ。6、7年間修行をして、米国で寿司屋を開店する。もちあじのある人生となりましょう。
君は燃えられるか?!
勉強だけ、みかけだけの勉強でなく、自分でピンとくるような勉強をしないと、30歳代、40歳代でダメになる。自分で燃えるものがなければダメなわけです。西郷隆盛の「わが燃ゆる心にくらぶれば・・・」や、吉田松陰の「止むに止まれぬ大和魂」が必要なわけです。
成績が少々良くても、燃えることがなけねばいかんのです。自分で自分に拍手してやればよい。納得していないのに、合わないのに、やらせつづけておけばダメで、また、理屈をつけねばやれないというのではダメなのです。
男性は、今日帰って、夫婦平等だ云々言わずに、愛情表現等々、理屈を言わずに皿洗いをしてごらんなさい。修行です。70歳、80歳になって、肩書もなくなってから、燃えて出来るようになろうじゃないですか。
夕方は今ではない
道元が中国に行ったとき、禅寺で炊事当番をしていた僧がいた。道元は、その僧に「あなたは、人が教えの話しを聞いたり、仏典を読んだりして、早く悟りを開こうとしているのに、どうしてそうしないのですか」と尋ねた。すると道元は笑われたというのです。またあるとき、その僧が、炎天下で畑を耕していた。道元は、「他の若い人にやらせたらどうか?」と問いかけた。すると「いや、人は私ではない」と返された。そして、「炎天下では暑いでしょう。夕方になってからやったらどうですか?」と問いかけると、「夕方は今ではない」との答えが返ってきた。
要は、理屈をつけないで、人に認められたいとかではなく、自分でやることが大切なのです。私は、子どもに、自分の下着を洗うことと、皿洗いの曜日を決めてやらせた。お手伝いということでなくて、感覚を身につけていくことが大切です。弟も朝から炊事当番をやっている。自然体でする。仕様がない、義務だからやるというのではなく、今やらざるを得ないからやる。
テストは大学に入るためではなく、自分で自分を評価していくためにあるのです。
一生が充実するために評価をしていく
結論は、「評価はせざるを得ない」というわけですが、ただし、水面下を見て育てていくことを忘れないことです。目に見えるところに力を入れて、18歳から20歳で絶頂がきてどうなりますか。70歳、80歳で絶頂がくればよいのです。
波多野完治氏は88歳になられ、勧められて私もワインを飲ませてもらったりしましたが、著作集を出された。絶頂は老年期にあるべきだし、「朝、燃ゆる思いで目覚め、夜、寝るときには死んでもよい」というのなら、最高でしょう。
外側に基準があるのではダメで、その子なりに、その子の一生が充実することが大切なわけです。縁あって、私は、教える側になったが、がんばり方を身につけさせていくことが大切だと考えています。人生の最後には評価はないのです。生きているときは、自分で自分を評価していく。「ま、ようやった」と思える人生でありたい。そのためには、くどいようだが、水面下の部分、つまり、生命力、生きる力などを大切にしてほしいのです。
【講演会の主催:子供のことを考える会 1992年11月14日 鳥取市】
鳥取県応用教育心理学研究会(鳥取県中部、西部、東部3支部の合同開催)
文責:大谷恭一
最後までお読みいただきありがとうございました。いかがでしたでしょうか。
講 演 記 録
こ れ ま で の 教 育、 こ れ か ら の 教 育
講師:梶田 叡一先生 (大阪大学人間科学部教授(:当時)
広い視野に立って日本の教育を考える
幼稚園前から高校卒業までは米子育ちで、大学が京都で6年間、その後東京で12年間の暮らしの後、現在、大阪で働いている私ですが、米子の言葉がぬけません。大学では心理学をやっていましたが、文部省の国立教育研究所に就職したのです。中央の機関ですから、全国的規模でいろいろと考えれた。このことは良かったですねぇ。
私が心理学や教育学の本などを、異分野にわたって執筆していることもあり、専門は何かと尋ねられることがあるのです。私は文学部出身でしたから、教育カリキュラム、教育心理、教育原理等については勉強していなかったわけです。かつて私が「小学校の生徒」・「教科」などと言うと、「全く分かっていない」と、よく叱られていたものです。「小学校には生徒はいない。小学校の児童だ」とか「教科ではなくて、科目だ」などですね。
30歳になって、文学博士の学位を習得した後でしたが、シカゴ大学の有名な教授のところへ行かせられたのです。あれこれと抵抗ばかりしていたから、学ぶようにということだったのでしょう。英語を勉強せねばならないわけです。
困りました。私は勉強がきらいでしたから。事実、米子東高校時代は、欠席はなかったのですが欠課が1学期に20~30時間はあったのです。さぼっていたということですが、何度も先生に呼ばれましたね。「就職先がない。卒業もできない」とか言われるわけです。
職務命令で米国に行かせられたようなものでしたが、結果的には良かったのです。心理学を勉強したあとから、教育学を専門とするようになったのですから。メリットとしては、大学時代に日本流の教育学をやらなかったことで、広い視野に立って、日本の教育が見れるようになったことです。
日本の教育は良い
日本の教育は良いと言えるのです。明治以降もそうですが、既に、江戸時代中期に、当時の3大都市であった江戸、大坂、京都において、庶民の子の大半が読み書きが出来ていた。大都市しか記録が残っていませんが、地方都市でも同様だったでしょう。実は、当時のパリ、ロンドン、ローマや北京など、世界の大都市では、ほとんどの子が読み書きができなかったようです。7~9割の子は読み書きができていなかったのです。日本では、当時から読み書きが出来ていたのです。
近代の日本の教育学は、日本の伝統的な良さを知らないままだったのですね。教育学を学ぶ人なら知っているデューイも結構だが、日本で江戸時代からどれだけのことがやられていたかを知ることも、また大切なわけです。日本で教育学を学んでいたら、広い視野で見れなくなっていたかも知れないなと思うことがあります。
その気になれば個性は育つ
個別に教育すること、一人ひとりの個性を重んじることなど、個別学習の必要性が今日提唱されていますが、これを実践しようと思えば、大きなマンパワーが必要であり、コンピュータで処理をするなどの対応も必要となりましょう。
これは今日のお話の要点の一つと言えるのですが、要は、本人がその気になれば、どのような教育のあり方であっても、個性は育つのです。
江戸時代にも、個別の対応はあったのです。一斉講義があって、発表会も行われていました。さらに逆上って、室町時代、鎌倉時代にも、多くの教育の形態がありました。現在の日本の教育に関しては、120年前から“一斉のみ”といえる教育形態であって、今日、違う方法が必要だとの意見が、とくに米国の理論に基づいて出されているわけです。しかし、日本もそうであったように、中国文化圏ではいろいろな学習形態を採っていた歴史があるのです。
自分の中に本物を育てることが大切
借物の知識ではなくて、そしてまた、借物の育ちではなくて、自分の中に本物を育てることが大切です。そして、自分の中に本物を持つことが大切です。
このことは、中江藤樹☆先生が、既に言っていたわけです。中江藤樹の祖父吉長は豊臣秀吉の臣加藤貞安に仕え、伯耆に住むに至り、米子に藤樹を連れてきた。藤樹は祖父が亡くなってから、あとを継いで愛媛県大洲に移ったのです。米子の藤樹の母校には、「至誠」・「進取」・「勤労」の3つが校訓として今に伝えられています。
(☆:江戸初期の儒者.日本における陽明学の始祖.1608~1648年)
米国における教育学の師となったベンジャミン・ブルームは、おもしろい先生で、こういうことを論文で書いていました。「学校はどこでも子どもをダメにしている。学校がなかったら、子どもはのんびりと個性を育てることが出来るのに。小学校・中学・高校、そして大学と、学校では劣等感を植えつけられ、プライドを傷つけられる。学校があるゆえに、自分の誇りを傷つけられる」と。そのような radical(過激)な彼の論文に接したわけです。当時私は若かったこともあり、面白いと思ったわけでした。
教育のあり方とマスコミ
教育に関して熱心な長野県で、今私は5つの学校を、年間10回位出かけて行って指導しています。例えば、伊那谷の実践には斬新な面、独創的な内容があったのです。伊那市教委や、県教委がしかめ面をするようなことで、マスコミを押さえたのか、話題にはなっていませんがね。
教育を考える際に、いくつかの問題点があります。
一つは、マスコミが上っ面を報道し、イメージが先行するようなことです。教育のあり方について、今日、マスコミが画一的に報道するのは困るわけです。
もう一つは、日本の学校批判をすれば、教育を語るとでもいうようなあり方で、これも困るのです。日本の学校は世界のトップレベルにあることは知るべきです。もちろん注意深くあらねばならないし、多様な問題を有していることも事実ですから。
それと、“子どもが育つ”という場合、発表会とかで、秋祭りのようなアトラクションになっているようではダメです。それは、教育の本質とは異なるものです。
子どもの育ちをどう見るか
バブルが崩壊して、昨今になってやっと人心が落ち着いてきた感がします。本当のことを言えるようになったのです。
経済力が急成長しているときは、モノ、金など、見かけが気になるような時勢といえます。大阪で勉強会をしていた当時、学校の先生が外車に乗って、ゴルフの話をするなど、これらはいわばアダ花ですね。
経済力が急成長していた頃は、車や家に関心が向きがちでした。幼稚園児を迎えるのに「今日、お母さんは小さい車で来た」とか、小さい車がベンベーで、大きな車といえばベンツの大きい車だとか。他の人よりも、少しでもよい車を持ち、よい家に住んで、自慢話が出来ることが、関心事となっていたのですねぇ。ちなみに私は、車もゴルフもどちらもだめです。
今、人心が落ち着いてきた。親として子どもの育ちをどうみるか。学校が子どもの育ちをどうみるかが問われるようになります。
これから後は、昔のように景気が良くなることはない。バブルはあと1回位はあるかもしれないが、まず無いと考えるべきでしょう。GNPの伸びは良くて3~5%までで、これまでの10%などということはなかろうと思う。これからは税収も減ります。
日本は欧米相手に貿易で利益を上げてきましたが、今や米国、欧州が疲れて、輸入が減り、一方で、日本より安い品物が輸出されるようになった。4ドラゴンズといわれる、韓国、台湾、香港、シンガポールがそうです。今や、さらにこれらの諸国もインドネシア、マレーシア、タイ、中国から追い上げられている。10数年経ったら、中国のGNPは米国を上回るようになるとも言われています。もっとも、各地域で貧富の差が大きくなっている中国という国が一つの国であり続けられるかどうか・・・。
微速前進でよいから着実に
そうした状況は、日本にとっては良いことで、着実にやっていけるとの見方もできましょう。いろいろな人間がいて、いろいろな育ちがあるわけで、そのようなものの見方をしていくことが大切だと思うわけです。
以下、3つの視点からまとめてみました。
立身出世の教育 → 自己実現の教育
勝ち残る教育 → 自分の舞台を捜し、将来の活動に備える教育
学校歴を築く教育 → 本当の実力をつける教育
明治以来、今日まで、欧米諸国に追いつけ、追いこせでやってきたわけですが、今後はそうではなく、微速前進でよいから着実にということです。しかし、脳は、頭の中の構造はすぐには変わらない。例えば、立身出世を追い求めるといったことです。
現実は、依然として、学校で何を学ぶかではなく、中学、高校、大学で何を学ぶかではなくて、例えば、中学ではどこの高校を目指すか、高校はどこの大学を目指すか、そして、大学ではどこの企業を目ざすかという立身出世型の考えが多い。立身出世型で、人生がリニア型、直線コースであることの願望が多いのです。
ところが今の若い人たちは、直線コースではなくなっています。下記の調査結果からも分かるように、転社、転職が増加しているわけです。
1992年12月~1993年3月に2万人を対象とした、日本労働研究機構の調査結果
入社後10年で、男子の33%が転社(人文系は63%)
入社後10年で、女子の79%が離職(その51%が無職)
公務員、教員の離職率は男女ともに低い
子どもの<向き不向き>をよく見定めて、進学や進路を考える
ところが親の考えが変わらないということですね。どこの学校がその子に向いているかを考えるのではなくて、どこそこの学校へ、進学校・有名校へと親が考えています。子どもの向き不向きをよく見定めて、進学や進路を考えることが大切です。
例えば、国立大学はみな違います。学部ごとの違いもあります。大阪大学の人間科学部は良いですよ。人間科学部は、文部省では、理科系となっている。つまり、学生一人あたりの床面積が広く、かつ、学生一人あたりの教官の数も多いのです。旧帝大であって、講座制であるから、学生1人あたりのお金も多いわけです。学ぶなら阪大の人間科学部が良い(会場:笑い)。
しかし、そこに合格できるような子は、勉強の好きな子は、多いとは思えない。
私の子も2人とも勉強は向きませんでした。
娘は、3歳の頃、漢字を読んでいました。新聞から拾い読みをしていたのです。職業柄、つい娘に検査をすると、ある領域は知能指数が150、180と出たりで、天才か!と、夢をみたこともあった。子どもは一度は親に夢を見させてくれるのですねぇ。
しかし、娘は本を読むことが嫌いだったのです。学校は好きでした。高校では「下校拒否症」と言っていた。遅くまで体操をしていて家に帰ってこなかったのです。どれだけ人並み優れて出来るというわけではなかったのですが・・・。
私は本さえあればよかった。今でもそうです。が、本が好きだということは、子どもからすれば健康的とは言えないですね。
以前から、娘は、乳児、赤ちゃんが好きだった。結局、関西の小さい保育専門の大学へ入ったのです。大学時代は保育園で、アルバイトを続けましたね。8時30分から16時30分までの8時間は正規の職員が働きますが、早朝7時から8時30分間までと、16時30分から19時まではアルバイトがカバーしていたわけです。娘は卒業後幼稚園に5年間勤めて、結婚し、妊娠して勤務を止めました。
「良かったなぁ」と思っています。向いていたのですね。
娘は、言い出したら聞かない子だった。夫くんは、よくぞ結婚したなぁと親からすれば思うわけです。もっとも相手のことが良く分かっていたら結婚できませんね。はずみで結婚するわけですから(会場:笑い)。
ところが息子は、親に夢をついぞ見せてはくれなかった。
息子は子犬などを育てるのが好きで、いろいろと育てていた。子犬は家の中で飼うわけです。家の中は異様な匂いがしていました。段ボールに入れて飼うといっても、出て来て、おしっこをしたりするわけです。
高校時代は射撃をやっていました。射撃部がある高校は大阪府下で唯一であったため、インターハイや国体に出れるわけです。射撃をやっている学校は数が少ないわけですから、有名大学も射撃で合格できたのです。父親として「射撃で、有名大学にフリーパスできるがどうするか」というようなことを息子に言いました。息子は「大学に入ってまで、射撃をやれとは・・・、大学に入ったら好きなことがやりたい。何が好きかお父さんは知っているでしょう」と返答した。息子にたしなめられたわけです。
息子は動物が好きだったのですね。息子は北海道の酪農の学校、大学へ進みました。大学は、文句言わなきゃ、どこかに入れるものです。
こうした息子も良かったなぁと思っています。今、息子は彼女のところに入り浸りで、このことが心配ですがね(会場:笑い)。
人間はプログラムされているから、例えば青年期の男女の違い等を含めてですが、もし息子に勉強しろと言い続けたらどうなっていたでしょうね。
娘には大学の私の講座の学生を家庭教師につけたことが一時ありましたが、塾には行っていないですね。息子は、家庭教師も塾も全くなしでした。
子どもには、向き不向きがあるのです。向き不向きを徹底すれば、高校は行かなくても良いということになる。無理に無理を重ねて、中学、高校、そして大学を出ても、本人、親にとって心配はつきないことでしょう。本当に勉強の出来る子は、1%にも満たないのですが、親にとっては安心だろうし、一方、勉強が出来ないというのも親は安心です。中の上はとくに心配ですね。親は悩んでしまいます。(会場:苦笑い)
とにかく、子育てや教育を語るときには、向き不向きを考えることが大切になります。もっと勉強をと考えがちだが、成績はそう上がるものではないのです。
自分に向いたことをやっていけば良い
私は5人兄弟の長男ですが、5人中、私と下の妹の2人が大学に行きました。中学では、私一人が長髪で、母親は「うちの子に髪を切れとはなにごとか」と怒鳴りこむようなことだったのです。学校もかなわないと、そっとしていたのでしょうね。当時、私は体が弱かったので、こうしたことも母親の気持ちにはあったのかも知れません。
私の3歳下の弟は、体が強く、スポーツが出来ました。しかし、高校卒業後、6年間浪人しました。当時、私の下宿で弟の面倒もみていたので覚えていますが、年々次第に実力が低下していくのです。志望校の水準を下げていったが、毎年合格できないでいました。新設大学で5月に入試があって、合格しました。2年留年し、他の人より10年遅れて卒業しましたが、今、給料は私より弟が良いのです。(会場:笑い)
ところで、私の住む箕面市では、90数歳の方が、唯一名誉市民です。しかし、学校には行っておられなかったのですね。いただいておられる勲章も、勲一等で、最も大きいのを、何と言いましたかね、いただいておられるのです。笹川良一さんですよ。
向き不向きを考えることです。自分に向いたことをやっていけば良いのです。勉強が出来なくても、向いたことをやっていけば良いのです。学校で教科書をマスターすることより、自分なりの考えや取り組みを大事にすることが大切なのです。
子どもに向いたことを、子どものやりたいことを、子どものやれるペースでさせていく、見ていくことが大切なわけです。
自己表現の教育を
学校は、多様な子どもたちを、多様に見ていけることが大切なわけです。先生は、勉強が出来れば良い子と評価しがちです。
あるとき、先生方に“良い生徒"を選んでもらったことがあります。“良い生徒”とされた子どもたちの性格はさまざまでしたが、唯一共通していたのが“成績が良いこと”でした。先生にとって、望ましい子は成績が良い子だ、という調査結果でした。
責任感、指導性、協調性等は、社会に出てから、長い人生において、大切なのですが、調査結果では一定の傾向が出ていませんでした。
子どもの持味をみることが大切で、勉強が出来る出来ないじゃぁない。やる気など、多様な面をみていくことが大切なわけです。勉強はある一面だといえます。
阪大人間科学部の学生は、成績が良いから入学してきたのですね。しかし、困ったこともありました。育ちに問題のある女の子、お嬢さん育ちで、成績も良かったのですが、盗癖がありました。
私自身、自分のものが取られるまでは、取られる方が悪いと思っていました。しかし、教室に入るものは限られている。犯人はその娘だなとみて、こうした推察は私は出来る方ですが、その娘を呼んで、くどくど言わないで、次にやったら警察に通報するし、親にも言うと伝えた。その後、盗難はなくなりました。
親は校長会の指導的立場にある人でした。大学に入って始まった盗癖ではないと思うのです。中学、高校でなぜ指導しなかったか、親も気付いていたはずです。のちに、親御さんが私の家に出向かれて、お礼をされたわけです。これは親も気付いていたということでしょう。
年長になってから、公になってからでは大変です。これは弱いなぁという育ちの子がいるわけです。
卒論について、小・中・高校と良い成績でストレートで阪大に入った男子学生の卒論の責任を私が持つことになったわけですが、彼は一人よがりなところがありまして、「それでは社会に出てからダメだよ」など助言はしていましたが、聞き入れないようでした。論文に関して、「研究になっていないよ」と返したわけです。
彼は、大柄で、えらそうなことを話したりしていました。ところが、論文に関して、一言叱られて、このところ約1か月間出てこないのです。これまで、人に叱られたことがなかったのでしょうねぇ。叱られることなく、成績が良いために、良い子で育ってきたのだろうと思いますよ。
本当の実力をつける教育を
登校拒否などは、小学・中学で終わりにしてもらわねば困ります。これをくぐって、丈夫になる子は多くあるのです。ところが20歳前後まで尾をひく場合もありますね。
登校拒否の時期を通じて、自分の中にたくましさを育てることになるのです。
ある時期に鬱(うつ)になったことは、長い人生にとってプラスになります。
一方、いろいろと育っているのに、認めてもらえないということがあります。中間、さらに期末の成績が低下してきて・・・ということがあります。成績が低下するならば、他のことで勝負すれば良いのです。
酪農関係に進学した息子の例を出しましたが、当地鳥取でも鳥西に入れず残念、ということではなく、農高からの特別枠があるのです。米東から農大へ行くよりは、農高から推薦されて進学する方が易しいのです。向かなきゃ地獄ですよ。
今、採用が少なく、小・中学校の先生になるのは宝くじに当たるようなものです。先生になって、向いていないと分かって転職する例もあります。
最近、脅迫状事件がマスコミに出ました。22歳の女の先生、彼女は大阪府の教員採用試験にストレートで合格するなど成績が良かったのです。ところがクラスを持ったら、掌握が出来ず、混乱したのですね。あそびと授業の区別が出来ず、保護者が校長に談判に行ったりしたようです。教頭先生が、彼は出来る人でしたが、いっしょにクラスに入り授業したのですね。その時は、クラスは落ち着きを取り戻したようです。しかし、その女の先生が一人になるとざわついてくる。周りの先生からもうるさいと言われる。何とかしなくては、と思いついて、古新聞の活字を切り抜いて脅迫状を作らせたというわけでした。学校から、市の教育委員会、箕面市ですが、ここを飛び越えて、府教委へ、そして情報がマスコミに流れ、新聞の早刷りが出たという経緯でした。その女の先生は、子どもといっしょに、子どもの心をつかんで、という育ちがなかったのでしょう。今、彼女は内地留学の形で某教育大学附属小へ行ってます。
勉強、成績を重視するのではなくて、向き不向きでみてやることが大切です。車の運転に関しては、私はダメ・不器用で、娘は上手ですね。
親がしっかりと見てやることです。お父さんは優秀だとか、逆に父親がダメで、子が優秀などいろいろとあります。
「親と子どもは似ていないと思え」
「親の思い通りに子はならない」
この子がこの子の持味を発揮するにはどうあるべきか、まず考えてみるのです。その上で学校を考えることがよかろうと思うのです。
学校の先生も目標を広く持ってほしいのです。とくに日本に職業がどれだけあるかを学校の先生には知ってほしいわけです。コックさんは高卒では遅いと言います。大卒ではまずダメなわけですね。手に職を、という場合、つけ方があるわけです。
また、公務員といっても多様で、例えば刑務所の刑務官の場合、勉強ができることと、柔道等ができることが求められます。高卒で現在刑務官をしている私の甥が、今日、大卒で試験に合格して刑務官になった者は役に立たないとか言ったりします。
公務員でもいろいろな職種があることを知ることが大切なわけです。
<世間の目>より、<子どもの幸福>を考える
世間の目よりも、子どもの幸福を考えてやることが大切で、「世間の目など知ったことか」といったあり方がほしいのです。あるいは、世間の目が本当に厳しいのなら、別の所に住めばよいのです。東京、大阪でも良いのです。要は、毎日が楽しければ良いのです。親自身の人生がそのようになっているかどうかも考えてみることです。
米国や欧州の大都市では、失業率は十数%です。日本は2~3%で、また、日本では何としてでも生きていける、何をしてでもやれるのです。日本は、貧富差の小さい国で、成功すれば創業者利益が大きくなる創業者を除けば、少々やっても知れているのです。頑張ってもほどほどにと思います。
肩書きや財産より<生活スタイル>や<気持ちの充実・ときめき>を大切に
私のモットーに“明日やれることは、今日するな”というのがあります。モットーは人生の途中から変わったのです。
私は、かつて体が弱かった。そして、さあ頑張らねばという時期になって、30歳代半ばで、東京で病気になりました。体から色素がすっかり抜けたり、原因不明の発熱が続いたりして、仕事を休みました。このことがきっかけで大阪大学に移ったのです。後世に残る仕事を残そうとか、偉くなろうというのも、良いかもしれないが、“長生きが勝ち”と考えたのです。子どもを見る目も変わりました。
そこそこで良い。自分に鞭を打ち過ぎると、つい、子どもに対しても鞭を打ち過ぎることになりかねない。自分が明日やれることを今日するというのでは、子どもに対しても圧迫を与えるかも知れない。
世間の良悪の基準ではなくて、肩書きや財産より、生活スタイル、気持ちの充実やときめきを大切にすること、自分なりの基準を持つことが大切です。
世間相場で、絵が素晴らしいということ、それは号何十万の絵だからすばらしいということにとらわれて、自分の判断でこの絵が良いという様に見れなくなっている。旧ソビエトの故フルシチョフが、ピカソの絵はわからないと公言したが、私もピカソはわからない。私はリトグラフを2枚所有していますが、ジャン・ピエール・カシニョール☆の絵で、まださほど名前が売れていないときに、自分で良いと判断して購入したわけです。私にも分かる絵なのです。きれいな女の人と花が描かれているわけです。
(☆:1935年、パリ生まれ。1970年初来日。画集「魅せられた夢」講談社。1993年、ほか多数)
親も子も<実感><納得><本音>を大事にした生活を
好みや趣味があるということは、ゆとりにもつながります。
私は茶碗が好きで集めています。世間の評価で良いというものではありません。この茶碗は時価何百万円だというのは気が知れない。私の目で見て良いと思うものを、好きで集めているわけです。
千利休も、自分が好きな茶碗を集めていました。利休の持っていたのは、そんじょそこらの茶碗だった。ところがこれを高価で売った。売れたのですね。このことが、後に罪状の一つにもなっているのです。世間相場でみていたらダメです。
ベートーベンだから良いということではなくて、私自身もピアノをやらされたことがありますが、自分にとって好きな音楽は、石川さゆりですね。それも特に離婚してからの石川さゆりはとくに良いですねぇ!(会場:笑い)
幸せは、自分としての価値があってのことです。世間相場ではないのです。肩書がアレコレあるということではないのです。
例えば、テレホンカード集めは、心理学者は収集の趣味は幼児性云々言いますが、別にどおってことはないのです。
また、私は外国に行くとその国の水晶を買って帰ります。メキシコの水晶、コロンビアの水晶、山梨の水晶といった具合です。山梨の水晶は大きなもので、講演料をつぎ込んで買い求めました。(会場:笑い)
収集は自分にとっての楽しみであれば良いのです。自分にとってピンと来ること、感動があることが大切です。
親も子も、実感・納得・本音を大事にした生活をしたいわけです。
自分の内側からの感動が大切
私もかつては世間相場で捕らえていました。今は、子どもにも言ってやれる。孫にも、世間相場ではないモノの感じ方について話してやれましょう。
世間相場で子育てをする親はしんどくなります。同様に学校の先生もしんどくなるでしょう。国語は出来るが、数学はできない子とか、しかたないなぁと思うのです。
さまざまな子どもがいるのです。大きな仕事をする人や、充実した人生をおくる人とか、これらの人は、確信として、世間相場では生きていないですよ。世間相場にとらわれていては燃え尽きてしまうことでしょう。
他人に分かってもらわなくても良い。自分の内側からの感動が大切です。
順序が逆になっては困ります。まずは自分の内面の充実であり、世間体は後についてくるものです。親は単純で、子どもがどこそこの大学に入ったというだけで喜ぶ。しかし、子どもには子どもの人生があるのです。
キリストや仏陀の教えも
今日話したことは、実は、目新しいことではなく、昔から聖書にも書かれています。それは、ユダヤの律法に断食のことが記されており、ある人が断食をして施しを受けていた。そして、キリストに誇ったというのです。キリストは「断食は自分のためにするのであって、あなたのようにひけらかしていてはダメだ」と言うのです。
仏陀も「自分をよりどころにして生きなさい」と言っている。自分の中に欲望が多々あり、命を支える欲望は良いが、グルメで食べる過剰な欲望はダメだともたしなめている。自分の足で、自分のペースで、ということですね。
自己実現のために、自分の舞台でやっていく
バブルがはじけた昨今、人々は自分のことを考え始めたといえそうです。
再々繰り返しますが、自分の向き向きで生きていくこと、内的な自己実現のために、自分の舞台でやっていくことが大切です。
大金持ちとかタレントということではなくて、自分の実力で、本当の世界(自分にとっての価値ある内面的な世界)を作っていくことが大切です。
生きていく上で最も大切なことを、ブッダが、キリストが、そして、中江藤樹も、おおよそ共通のことを言っているわけです。世間相場ではなくて、自分だけの世界に立ち返らないとダメだというわけです。
何人かの人が同じ内容の話を聞いても、考え方、感じ方は一人ひとり違います。
脳でどう位置づけるか・・・、自分の枠で「これだ 」と思ったら自分のものになります。何々学を学んだということはともかく、自分がどう読み取るかが大切なわけです。
考え抜いて到達したところに本音、本物があるといえましょう。自分の財産は、自分でピンときたものだけだともいえます。借り物の知識は役に立たないのです。
学校でも、自分なりの考え・取り組みを大切に
みかけの教育を語る時代は終わったといえます。高校で優れていたから大学でも優れているとは言えないし、大学で優れていたから企業でも優れているとは言えない。みかけの肩書は、中身とは無関係です。企業は、今やそつなくできる人は求めていません。これからの時代は変わり者が世間で損する時代ではないですよ。世間体を気にして、無理に合わせるよりは、変わり者でよいのです。
生まれるときは裸で、死ぬときもはだかであって、肩書ではないのです。
世間相場でやろうとするから、劣等感を抱いたり、プライドを傷つけられましょう。学校でも、教科書のマスターより、自分なりの考え、取り組みを大切にしたいのです。学校もですが、親が子を見る視点を変えることも必要です。
Q&Aから
学校の先生と、親の言い分が違うという場合、無理に一致させる必要はないでしょう。親は親の立場や考えで言うし、先生は先生の立場でものを言う。世間に出ればより多くの意見があるわけです。要は、自分の考えを持つことが大切なわけです。
親として、言わねばならないことは言う。本人はそれなりに受け止めくれるでしょう。もっとも、大人になるまでは、子どもには親の言うことを聞いて欲しいわけです。子どもに(相手の人が言うことの)受け止め方を教えていく必要はあります。
【講演会の主催:子供のことを考える会 1993年12月11日 鳥取市】
鳥取県応用教育心理学研究会(鳥取県中部、西部、東部3支部の合同開催)
文責:大谷恭一
最後までお読みいただきありがとうございました。いかがでしたでしょうか。
1997年6月9日、第31回母子保健セミナー「周産期医療における生命倫理を考える」から、
「バイオエシックスにおける Narrative Ethics の形成
- 周産期・遺伝・Futility をめぐって」と題した、木村利人氏の講演要約です。
講 演 記 録
周 産 期 に お け る 生 命 倫 理 を 考 え る
講師:木村利人 ( Kimura Rihito ) 先生
*講演者、木村利人( Kimura Rihito )氏のこと
・米国、ジョージタウン大学、ケネディ倫理研究所・国際バイオエシックス研究部長、同大学医学部客員教授、早稲田大学人間科学部教授。
・ゲーテは臨終に際して「もっと光を」と言った。光はドイツ語でリヒトです。私の叔父は産婦人科医院で青山に「リヒト病院」を造りました。そこで最初に出生したのが、私であり、リヒトと命名された。木村姓はとにかく多いが、木村利人はきっと私一人でしょう。覚えていただけています。
*リヒト氏がわが国に紹介したカタカナ用語
・バイオエシックス Bioethics の語源がお分かりでしょうか。Bioの語源はギリシャ語の BIOS ビオスで「命」の意味で、ETHIKOS には「習慣・風俗」の意味があります。「BIOETHICS バイオシックス」は「命・生命・生き物の暮らしの倫理・規範」となります。日本語では「生命倫理」とも訳されてはいますが、必ずしも適切ではなく、私はバイオエシックスとカタカナで示しています。
・今日、マスコミで取り上げられない日はないくらいにすっかり定着した長ったらしいカタカナ用語があります。そう「インフォームド・コンセント Informed Consent、IC」です。私が、約10年前から、ICの必要性を説いて、全国を廻ったのですが、当時は「日本でそのような長いカタカナ用語は定着しない」と、否定的な意見が多かったですね。「説明と同意」の訳もありますが、内容は必ずしも正しく理解されていないのが現状です。
*インフォームド・コンセントとバイオシックス
・ICには、開示・公開の原則があります。例えば、胎児の情報を夫・祖父母に伝え、妊婦である本人に伝えないのが日本の現実でしょう。中には、情報を知らない方が良いとする人もあるが、ICからは間違いです。本人には「知る権利がある」のです。妊婦さんに知らせないのはおかしいのです。
・ICでは、医療者が「やろうとする医療行為のみでなく、他の選択肢も知らせて」、患者さんは「知らされて、納得した上での同意」となります。
・「がん」の治療も同様です。バイオシックスからすれば、診断名を伝えるのが原則であり、WHOもその立場です。
*ICに関するテレビ番組から
・日本の教育TVに相当する、米国のCNN-TVが「 Medicine at cross road、分れ道に立つ医療」のシリーズで、日本の状況を取材しようとしましたが、取材許可を得ることが極めて難しい状況でした。日本での患者さんに対し「告知をしないがん治療」を「沈黙の約束」として作製したのです。唯一、取材を許可した某がんセンターにおける事例の特殊性を放映していました。
内容はこうです。70歳の女性患者さんに対する説明を家族ぐるみで聞いている場面です。「おばあちゃん、悪い病気でね。だけど、治るから、心配しないでいいよ・・・」「どこが悪いの?」「大丈夫、とにかく手術をするから、まかせて・・・」と患者さん本人に話した後、打ち合わせと称して、患者さんのみ席を離れてもらい、家族に本音の話をしていたのですね。末期胃ガンであり、数カ月ももたない命であろうことなどが、本人不在の席で、家族に話されていたのです。
がんであることが本人には告げられず、本人を抜きにして、家族に話されるというシーンを見たアメリカ人はショッキングだったとの感想を述べています。
・米国では、告知は、成人の場合1対1でなされます。
小児白血病の場合は、例えば7歳の子どもにも、分かり易いように話すのです。子どもが泣いて、親も泣くわけです。話した後で、医師・看護婦がどのように支援するかも問われています。
・よりよい説明の仕方と、その後の支援のために、シミュレーションプログラムもあります。告知専門のスタッフを有している病院もあるわけですね。
・米国では「私は、乳ガンで、もうダメなのよ」と、言葉とは裏腹に、希望ありそうな表情で話す患者さんがいます。一方、日本では、切除した乳房を本人には見せないで、家族に見せて話をする場面がありました。このこともアメリカ人には驚きでした。切除した乳房を、本人の許可なく、他人に見せてはならないのです。
・日本のICの現状だとして放映したのですが、終わりにテロップで、某ガンセンターでの取材であることや、取材に協力いただいた患者さんが、唯一胃ガン末期のおばあさんを除いて、亡くなられたことなどを示していました。この番組は日本では放映されていません。がんと知らないご存命中のおばあさんが見たら困るという家族の願いがあるためです。
*ICにおける自己決定の原理
・最も重要なことが、本人に告げられていない、本人から同意が採られていないことは、ICの原則から外れます。ICは、手術の方法・効果、化学療法、疼痛緩和のことなど、考えられ得る医療行為の内容・選択肢を含めて、治療方針を説明することが基本にあるわけです。周生期には、二分脊椎で、出生して初めて分るケースがあります。手術のリスクや予後などを含めて話をするのが基本です。
・「 principle of autonomy 自己決定の原理」があります。ICには十分な情報の提供が必須なわけです。
・「 DO NO HARM 」(他者に危害を与えてはならない)と「 DO GOOD 」(良いことをしなさい)が、ヒポクラテス以降、医療の大原則としてあります。何を基準に良い医療を行うのか?、それは、医療者側の価値観ではなく、患者側の価値観に基づいて行う行為といえます。
*バイオエシックスの考え方が出てきた背景
・現在の医療システムは、生かすことの出来る技術を有しています。ゆえに、患者(周産期医療では保護者)の価値判断を基準にして医療を行うという視点が出てきます。単に、生命を長らえることが「是」といえない時代にあるわけです。
・バイオエシックスの視点からは「無理遣りにいのちを長らえることを望まない」といった表明・表記・表出を、事前にしておけば、医療は介入しない、ということです。「患者さんの価値判断を尊重すること」が基本なわけです。
・かつて、医療技術が進歩していなかった時代においては、命があったことは「是」とされていましたが、今日、延命技術により、喜びを共有出来ないで命を長らえることの是非が問われています。
*障害児を暖かく迎える社会
・一方で、重症の知的障害があっても、暖かく迎える社会が求められてもいます。そうした社会づくりが課題であるともいえます。
・遺伝的欠陥や突然変異があって、重症の障害を持って生まれることがあります。このことは、人類が生存している限り、避けられないことです。生物学的な命があることが、即ち「よかった」ではないのです。
*Benefit oriented ( 誰の利益になるのか?) :公正の原理
・胎児にとって利益があるのかどうかの視点もあります。これまでになかった視点であり、臨床現場で原理を創り出していく時代にあるともいえます。
・「 principle of justice 公正の原理」ですね。
・病院には予算面での制約もあります。米国の州によっては、お金を使うかどうかの議論もあります。
・「 public education 国民・大衆への教育・啓発」も必要になるわけで、そのための「病院祭り」をボランティアを含めて行うことも一案です。米国では実施している病院が多いのですが、日本では佐久総合病院がしていますね。地域との交流を通じて、医療・健康教育もしているのですね。
・「医療は自己決定の時代」といえます。
・ホスピタルケア( Hospital care )の視点においては、病院の建物が云々ではなく、在宅を主とした care system を大切に実践する時代です。医師と看護婦がチームを組んで展開するわけです。米国には処方・注射が可能な資格のある看護婦もいるのです。
*倫理委員会の意義・役割と地元住民の参加
・「 Ethics Comittee 倫理委員会」は、大きく二つの要素があります。
IRB( Institutional Review Board ;制度上、再試を検討する委員会)
:臨床研究~あらゆる医療機器・薬剤については、人体での治験が必要になります。
HEC( Hospital Ethics Committee ; 病院倫理委員会)
:例えば、遺伝的欠陥のある胎児など、事例が発生したら即委員会を即開催するのです。医師・看護婦と地元の人を必ず入れている委員会で検討をするのです。
・Ethics Consultation(医療倫理会議・協議会)~医療者以外の地元の人などの委員が主体で、HECのメンバーとの重複があります。ここでの意見をHECは参考します。
・欧米の病院にはボランティアが根付いています。医師・患者関係について考えるボランティアもいます。Ethics Consaltation の委員は、例えば、病院ボランティアや病院祭り等への自主的な参加者から募っても良いでしょう。周産期における課題については、障害を持つ子の両親も必ず加わります。医師・看護婦では、看護婦の役割が重要になります。
・Patient Relation Coordinator(病院・医療者と患者関係の調整者)や、Ethics Nurse(倫理担当看護婦)を置いている病院も、米国にはあります。
*社会とバイオエシックス
・バイオエシックスは社会制度として取り入れているのです。
・「個人の権利・義務」を、社会として支えるシステムといえます。課題を、病院内部・医療関係者に留めないで、オープンにしてやっていく。みんなで考えて、ガイドラインを作っていくのです。そして、患者が決める・選択することなどを、支え合うシステムであるといえます。
・米国の厚生省は、ダウン症候群の方が35歳まで生存すると仮定し、出生前スクリーニング検査に関わる費用(ダウン症候群であると分って中絶となる一定数がある)と、これをしなかったことによる医療・福祉に要する費用を比較試算しています。
また、障害者が「内にこもることによる介護等の費用」と、「環境整備をし、バリアフリーを目指すことで、障害者が社会に出ていって働き、収入を得る場合の費用」も、試算し比較検討しています。
・Child Abuse 法では、妊娠したら、きちんとした生活をすることが義務づけられています。アルコールについては、ラベルに「 Harmful to the Fetus 」妊娠中は胎児に危険性が及ぶことが明記されています。
・以上からも、私(木村利人氏)は、バイオエシックスを、単に「生命倫理」と邦訳したくないのです。「 Public(公共)」の視点、バイオエシックスは社会がつくり出していくものだという視点があるからです。
*バイオエシックスの起源
・1960年代から命に対する考え方の変化が出始めました。「命が、医療技術によって、操作されてしまう」危惧からです。命の問題を、医療者に委ねず、自分たちの問題としてとらえようとしたのです。
・この流れの中で、インフォームド・コンセント(IC)が、必然として出てきました。
「情報を十分に得た上での、選択の権利」ということです。
*「 Narrative Ethics 」
・Narrative(物語)は、story と history を合わせた意味で、my history(自分史・生活歴)といえます。
・高年出産の方で、胎児診断を選択か否か、結果によっては胎児の命の選択をする。あるいは、胎児の障害の有無に関わらず、生命を受けとめようとする視点です。
・「人間の尊厳」や「基本的人権」を守ることについて、その受けとめ方は、個々によって異なる。これは私(木村利人氏)の考え方です。
・medical indication(医学的適応)、social indication(社会的適応)、family indication(家族事情による適応)や patient benefit(患者の利益)といった視点があります。
*救急医療におけるIC
・緊急医療におけるICの考え方は、ICを図っている時間的ゆとりがない場合は、国際的に認められたあり方として、救急介入が優先することを認めています。
・事前に病院・地域で、policy(方策)・manual(手引き)を作っておくと良いですね。
・大災害におけるトリアージの原則も働きます。三色のタグを患者に付けて廻り、「医療介入しても死亡すると思える例」は除外し、「医療介入すれば助かるかもしれない例」を優先し、「命に別状ない例」は後回しとする原則ですね。
*その他
・私の関わっているジョウージタウン大学病院では、相談にはのりますが、人工中絶はしません。
・Child Abuse 法では、妊娠したら、きちんとした生活をすることが義務づけられています。アルコールについては、ラベルに「 Harmful to the Fetus 」妊娠中は胎児に危険性が及ぶことが明記されています。
( futility = 無用・無益)
上記は、1997年 6月 9日、第31回母子保健セミナー「周産期医療における生命倫理を考える」から、「バイオエシックスにおける Narrative Ethics の形成 - 周産期・遺伝・Futility をめぐって」と題した、木村利人氏の講演要約です。
「温故知新」今また新たに:自戒を込めての自学 2018/ 9/18 記