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※ 智頭中学校からの依頼で、3年生を対象とした特別授業〔性教育講演会〕は、2007年度から毎年1回・2時間枠で継続しています。

 中学校生活3年間のまとめとしての性教育は、生命(いのち)の教育と人権教育との三位一体の内容です。用いたスライドをお示しし、適宜、解説を付記します。

 また、例年の定番で、受講した生徒の感想文が(個人情報を排して)届きます。

生徒たちの感想も適宜加えたく思います。

 なお、ここでは、智頭中3年生にお話しした以上の大人・専門職を意識した赤裸々な内容も記載しています。
 ご通読いただければ、かつ、公私においてお役立ていただければ幸いです。

ご意見・ご感想など(2019/1/23~30記)

 冒頭は「環境教育」の範疇から始めています。今の日本・鳥取県・智頭で生活していることの意味について、生徒たちに考えてもらいます。

 資料は、アニメーション機能を活かし、徐々に展開します。ここでは最終的な画面の提示です。この資料の結論的な問いかけである「幸せとは何か?」は、例えば、授業などでのグループワークでワーク・作業してもらい、発表し合ってもらうのも是と考えます。

 写真はセーブ・ザ・チルドレンから引用させていただいています。

(直接許可を得ていませんが、自身、毎月、自分の銀行口座から5,000円ずつ、毎年6万円を寄付させていただいていますので、身勝手ですが、使用意図、即ち、教育・啓発目的であること合わせて、お許しいただけると思っての引用です。)

 2019年になりましたが、引用されている調査年月は、変更がありません。調査自体の困難性や、調査よりは実質的な支援が優先されるためと理解しています。

 冒頭の資料を提示し、生徒たちに若干の時間を与え、小生の考えを提示しています。

 ピラミッドモデルですが、最低限の〔衣・食・住〕が確保されていることを基盤とし、上に〔水・空気・安全〕を置きました。この上に、人と人の〔関係性〕を置いて、これらがバランス良く、持続的に保たれているのを幸せとしました。

 四半世紀前の日本は、高度経済成長に沸き、モノが非常に豊かになりました。当時、「豊かさとは何か」を問う本に出合いました。[豊かさとは何か (岩波新書) 新書 – 1989/9/20
暉峻 淑子  (著)
]当時西ドイツの大学生と日本に大学生の比較をするなど、日本の“見掛け上の豊かさ”に警鐘を鳴らすインパクトのある内容でした。現代の過食など食生活等にも関連することです。

 日本は、世界的にみれば、今でも〔水・空気・安全〕に恵まれています。智頭町は世界に誇れる環境にあります。

 そうした基盤に支えられていますが、残念ながら、今日では〔関係性〕が劣化し、幸せ感が損なわれています。その要因・誘因にメディアがあります。

 今日、メディアの弊害は、疾患としての認識もされるようになりました。いわば“麻薬中毒”相当の大脳の“汚染”です。麻薬は、手を出さないことが基本ですし、法でも罰せられます。が、メディアは、自身で、家族ぐるみ・学校ぐるみ・地域ぐるみで啓発し合いながら、ルールづくりと、メディア漬けに陥らない実践が喫緊の課題になっています。

 メディアが大脳を汚染する麻薬効果をもたらすことについては、2005年12月の単行本、岡田 尊司  (著)「脳内汚染」に記載されています。自身、深い学びを得ました。

 子どもたちの育ち・教育に関わる各位には是非お読みいただきたい本です。

 遡って、1982年、自身が鳥取県立中央病院に赴任した翌年10月、当時の国立小児病院を会場とした、平日5日間の研修機会に上司の配慮で恵まれた際に、小児精神科医の彼女から学んだことが定着しています。

 「あらゆる問題となる言動は、その人がそうしようとしたのではない。そうせざるを得なかったとの認めにたつ(立つ・発つ)ことが大切で、カウンセリングの基本」とのまなびです。勿論、事件となれば、法が罰しますが、弱者を支援する立場にある医療者の姿勢は、受容し、常に認めにたつことが基本であるとも学びました。(と、書きましたが、或いは、自身の別の学びなどにより修飾があるかもしれません。が、概要・根幹は変わりません。)

​ 「幸せな人生とするヒント」も中央病院時代に整えた内容です。

 自身、上記を実践する人生ですが、車の運転やピアノ演奏などと同様、年月をかけて熟達してきたと実感しています。

 久しぶりに思い出しましたが、連続テレビドラマは、「かわいそうな私」「悪いあの人」などを場面設定し、「どうなるのかしら・・・」で、次週をお楽しみにと言った構成のはずです。自身、テレビはほとんど見ませんし、ドラマも見ません。

 過去に囚われている大脳の働き、責任論・感情論を展開している様子に自身を置きたくない姿勢もあります。

 例外があります。オペラです。モーツァルトの伝記映画として著名な[アマデウス]は偶然、秋田市で開催された日本小児保健学会の発表を終えて、オツムの疲労感を覚えた際に、事前情報無くして見て驚愕感動したのがアカデミー賞作品賞など8部門を受賞した映画[AMADEUS]でした。作品の中で、貴族を揶揄した「フィガロの結婚」が発禁本になっていた当時、モーツァルトが作曲し、結果的に、人類遺産的なオペラとして、今なお人気演目ですが、音楽を除外して上演ないし読書するとなれば、あっと言う間に世の中から消え去ることになります。

 音楽自体には、善悪・品位がないのはふしぎなことです。

 大きく脱線しました。ご容赦を!

 幸せな人生とするヒント」に示した「今・今からを大切にした姿勢」と「達成可能な方法論を展開すること」を基盤として、接する相手には、「関係性・共感性を育み、自立・自主を促すことが」上手になって欲しい願いがあります。

 単純です。「ありがとう・うれしい・ステキだ」上手になることです。

 儒教文化が根づいてきた日本では、今なお、小生が嫌う用語が残っています。「主人」・「家内」です。自身、妻が電話などで「うちの主人が・・・」など話すのを聞くと、「わたしの夫が・・・」が願いであることを話します。自身「家内が・・・」と発言した記憶はありません。「妻が・・・」とか、親しい人には妻の名前を話しています。
 と書いたのは、男性、とくに、家長・家主とされていた戦前・戦後当時は、“目上”の人が“目下”に「ありがとう」と言わないのが通例だったのです。
 とかく、人生経験の長い人は、いわゆる“上から目線”で、指示・命令や強要する言動をしていました。とくに、子どもが思春期になれば、反発します。勿論、親子間に留まらず、夫婦間、上司・部下の間でも同様です。
 指示・命令・強要する言動は、相手の自尊心を傷つけることになり、関係性・共感性を高めることにはなり得ません。
 自主・自立を促すのが教育・指導の本質と心得ていますが、そのためには、人生の先輩・(失敗)経験者としての学びを押し付けるのではなく「困ったなぁ」・「・・・の考え方もあるよねぁ」とか、「そうかなぁ」・「・・・と、こう思うけどなぁ」などの言動を練習して欲しいのです。
 人として、親として、上司として、絶えず、自身の価値観・尊厳を高める観点からも、そして、お互いに育ち合い、幸せな人生とするために・・・。

 智頭中での教育講演の後、受講した感想文が届きます。毎年の恒例ですが、「ありがとう」の意味について、中3生徒は、非常に良い反応を示しています。
 「ありがとうの意味がわかった」「ありがとうは大切だ」「ありがとうをもっと練習する」「ありがとうがさっと言えるようになりたい」など・・・。
 中3生徒に限らず、勿論のことですが、アナタ、大人も是非「ありがとう」を高めて欲しいのです。
 幸せ感には、自己肯定感が高まることが大きく関係します。「ありがとう」がさっと言えることは、実は、自己肯定感とも関係します。どうか、「ありがとう」が言える場面を見出して、さっと・軽快に「ありがとう」が言えるようになりましょう。
 とくに、知識人・学識経験者や社会的に成功した男性にとって、長い人生の終末期において“幸せ感”を高めるために、今・今から、心して、「ありがとう」を高めて欲しいのです。

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 [怒りの仮面]を初めて学んだのは、2003年12月、福岡各債会議場で開催された日本子ども虐待防止研究会において、森田ゆりさんに出会った際でした。
 彼女は、米国での活動を実践され、日本でも・・・と帰国されて間もない頃でした。
 実は、小生は、今日の基準からすれば被虐待児として育ちました。身体的虐待・心理的虐待を親父から受けてきました。かつ、親父が母に対するドメスティックバイオレンス・DVにも触れて育ちました。
 親父の気性はその母(祖母)から受け継いだものですが、終戦末期に二等兵として召集され、上官から殴られるなどの日々だったようです。かつ、ソ連の捕虜となり、約2年間の抑留生活も体験し、命を長らえて帰国し、恵まれて(お嬢様育ちのオフクロとの縁があり)結婚し、小生が長男として生まれました。
 幼少時の小生は虚弱で、喘息性気管支炎~気管支喘息、乳児湿疹~アトピー性皮膚炎などで、母などに多大な負担を強いていました。
 かゆみ・掻痒が強く、かつ、ゼーゼー・呼吸困難が持続し(横になると苦しいので)、母は小生を抱いたまま、皮膚も描いてくれながら夜を過ごしたことを聞かされ・おぼろげながら記憶してもいます。
 保険診療のない時代、胸のレントゲン写真を撮るために、(雲州平田駅から“バタ電”こと一畑電車に乗り)わざわざ松江市まで出かけた記憶もあります。
 まちがいなく、撮影した画像は、役に立たなかったはずですが・・・。
 小4以降は、病欠しなくなりました。よく食べるようになったのもこの頃からですが、当時は“骨皮筋衛門”と、痩せた体型を揶揄されていました。それも肉親の叔父(親父の弟たち)から・・・。
 思い出しました。小生の耳は顔の横に突き出た形状で、ゆえに“猿”のあだ名もありました。猿の物まねをすると、叔父たちは小銭をくれてました。5円・10円を、“猿真似”することで得ていたのです。小学校の低学年まで続いていたはずです。子どもながらに自嘲的な感覚を抱いたことを覚えています。母には聞いていませんが、悲しかったはずです。
 当時、サーカスと併設する形で、見世物小屋があり、そう、大きなお祭りに祖父と出かけた際など、世にも稀な“オオイタチ”・・・。これはカーテンでしつらえた小屋に入ると“大きな板に(おそらくニワトリなどの)血が塗られていました。”大板血”であり、看板に偽りなしと言うことだったのでしょう。人をだまして、揶揄して、お金を稼がざるを得ない“猿智慧”でした。
 近年では、映画《グレイテスト・ショーマン》をイメージします。或いは、映画《エレファント・マ》や、舞台では表現されませんが、映画の《オペラ座の怪人》でも稀有な体の方を揶揄する見世物小屋が描かれています。
 小4までもそうでしたが、二つ下の弟とささいな誘因から喧嘩をすると、“喧嘩両成敗”の観点から親父に過剰と言えるほどに、感情を込めて、殴られました。平手で頬を、また、拳骨で力強く、やがて、手が痛いからと、スリッパで頬を叩かれていました。再三再四兄弟喧嘩をしたいので、親父に見つかれば再三再四叩かれ、殴られていたのです。覚えていませんが、ある時に、母が泣きながら、親父に対して「お願いだから頭は叩かないで・・・」と懇願したのを思い出します。これが契機で、スリッパで頬を叩かれるのが定着していたのかもしれません(が、経時的な詳細は忘れました)。
 ある種の戦争犯罪とも思えます。軍隊に出て、父が受けていた体罰が、子どもの兄弟喧嘩の際に、怒りの感情を持って再現されていたとの理解をしています。
 またまた大きく脱線しました。止めます。

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 幼少期の生育過程からすれば、当然とも言えますが、私事、自信のない子でした。一方で、反抗期と言える年代は勿論、今でも反抗心が強いと自認しています。反抗心の一方、青年期までは、内心はおどおどしている自分もほぼ常時認識していました。自信のなさの現れです。
 自身にとって「怒りの仮面」は、自分の内面・態度を描き出していたのです。
 自身の怒りの仮面は、幸い、非行・触法行為には至りませんでしたが、自虐的言動は日常茶飯事と言える状況でした。自身の至らなさを、自嘲的に失笑する態度を、医師になってからも恩師から指摘・叱責されたことを鮮やかに思い出すことが出来ます。40年以上まえのことなのですが・・・。
 なお、自分に自信が持て始めたのは成人期に至ってからです。幸い、恵まれて伴侶を得、心が癒されるようになりました。詳細は省きますが、感謝至極です。

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 性感染症は種々あります。HIV(→AIDS・エイズ)や若い人たちに急増している梅毒などナド・・・。智頭中ではクラミジアを例としてお話ししています。

 成人女性なら承知していることと思いますが(願いますが)男性にも学んで欲しいのです。

 赤ちゃんが性感染症の影響を受けて発症することについて、とくに、女子生徒の反応は大きいです。赤ちゃんを守りたい、だから、自分も守り、性感染症を予防したい・・・など。

 性感染症は、男女関係においては、女性が弱者になることが多いはずです。女性は自らを守り、男性は女性を守る責任がある。安易な男性の性行動は女性虐待ともなり得る。女性・お互いが幸せになる権利を損なわないことが願い。

 性感染症に関連した人権問題ともみなし得る、本質・根幹との認識をしています。

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​ 性は命に直接係る大切な人生の課題です。命・・・ 話題が転換しますが、息抜き的にお話ししています。私事、生まれて初めての海外は、成田空港からロンドンへの飛行でした。当時、アラスカ経由だ、いや、シベリアを飛ぶと思うなど、仲間での会話がありました。1990年10月29日、第1回鳥取市勤労青年海外研修団員としての体験でした。最新鋭の大英航空機ジャンボジェット(B747-400機は、午後出発便で、A席から機窓を眺め続け、夕刻に日本ではあり得ない巨大な河川の黒竜江(アムール川)を感動的に視認し、やがて北極圏に近づく頃にはシベリアは凍てつく暗黒世界に陥っていました。この間、地上約1万mを飛行している航空機地球の直径・人間が生存する大気圏のことなど、アレコレと思い描き、計算もしてみました。

 やがて、主翼の先が明るくなっているのに気づき、不思議な感覚を抱きました。結果的にはレニングラード(現 サンクトペテルブルク)上空界隈で、機が右旋回をした際に、主翼の下に夕陽が見えたのです。大感動でした。徐々に明るくなり、そして、再び、ロンドンに近づくにつれ、暗くなりました。日本とは異なるロンドンのオレンジ色基調の街明かりを眺めつつの着陸でした。

 さて、地球の直径は約12,000kmですが、飛行機は約1万mの高さを飛行し続けています。地球を直径1.2mのボールに例えると、飛行機はどの程度の高さを飛行していることになりましょうか? 計算してみましょうよ・・・

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 地球を直径1.2mのボールに例えると、高度1万mを飛行しているジェット機は、ボール上では1mmの高さを飛行している計算になります。イメージし易いかと思いますが、両手を少し拡げた大きさのボールの表面1mmの高さを飛行している。視点を変えると、高度1万mでは人類は生存できません。例外的に、地球上の高度5000m界隈で、チベット高原やアンデスの界隈で生活をしておられる人がいます。日本人は高山病に陥る高さです。日本にあっては、せいぜい2000mの高さでの生活が例外的にあり得るかもしれません。直径1.2mのボールでは0.2mmの高さです。つまり、地球上で人間が生活できる大気は非常に薄いことを改めて実感するのです。

 2015年10月12日、初めて搭乗したカタール航空機はドーハから関空への飛行の際、何と!カラコルム山脈上空を飛行しました。現地時間では朝8時頃相当でしょうか・・・。幸い、快晴で、朝日が山を照らしていました。カラコルム山脈は標高7,000~8,000m級の峰々が連なっています。機窓からは「峰が近い!」と初体験に感動しました。勿論、人間の生活を寄せ付けない凍てつく高度です。

 私事、恵まれて、2015年からスイスの自由旅行(旅行業者に頼らず、航空券、ホテル、スイストラベルパスを自分で手配し、現地での行程も自分で自主設計)を繰り返しています。2018年7月には北壁で著名はアイガーから流れ出るアイガー氷河(Eigergletscher)の末端・アイガーグレッチャー駅(標高2320m)界隈を散策しました。地球温暖化に伴い氷河の退縮が目立っているのですが、退縮し石ころに覆われた荒地に、「何故ここに?!」と驚きの念を抱く所に高山植物が点在して咲いていました。そして、少し下ると、高山植物が群落をなしていました。冬の厳寒期を耐え、水・栄養素の少ない荒地で根付き、年余を経て、群落をも成す。その間の命の連鎖などにも思いを馳せつつ、愛らしく・可愛く可憐な高山植物に見惚れつつ、撮影も繰り返しました。

 地球を大きな命とするならば、高山植物は小さな命と言えましょう。一方、私たちの命も、出発は男女の性行為に基づく1個の受精卵でした。1個の受精卵は分裂し2個になり、分裂を繰り返し数を増やしていきます。(倍数分裂と表しますが、単純には1個が2個、2個が4個、・・・8個・・・、10回の分裂で1024個の計算になります。)細胞の塊は、機能分化しつつ、例えば、オタマジャクシのような形状を経ます。人の赤ちゃんらしさが形作られるまでの期間を(胎児の芽)胎芽・胎芽期と表します。人の赤ちゃんらしさが形作られた後(胎児期)も、分裂を繰り返し、やがて「オギャー!」と誕生します。

​ クイズです。人の赤ちゃんは、受精卵として始まり、何回分裂を繰り返して「オギャー!」と誕生するのか?

 多くの方は、「考えたことはない」「思いつかない」など、お困りでしょう。

1個の受精卵が1回分裂して2個になり、・・・、10回分裂して1024個になり、・・・。

​人の大脳の神経細胞は130億個はあります。

 正解は50回です。信じられないことですが、たかだか50回、されど50回で、一般的な計算機では振り切れてしまう数になります。1,000兆を超えます。が、細胞分裂の途中で、器官形成をするために、分裂を止める細胞があります。複雑な人類の進化の過程を、たかだか50回の分裂を繰り返すことで、ヒトの赤ちゃんが形作られ、誕生に至ります。受精卵から始まる過程には命の神秘を感じます。人間の英知を遥かに超えた力をも感じ、祈りにつながります。(人間が組織化した・・・教などの宗教、人間がイメージ・創造して定義づけた神ではなく、)宇宙、銀河系、太陽系、地球、海・大地、生命・無機質、何十億年もの命の輪廻、数万年に留まる人類の出現などを含めた自然界の力、稀有な人類の文化・戦い・殺戮(地球の破壊)や敬虔な祈りなどに思いを馳せます。

 胎内で系統発生の過程をとり、例えば、心臓は魚類の心臓から、両生類の心臓、哺乳類の心臓へと作っては壊しを繰り返し、出生に至る過程において、残念ながら、医学的には健康から外れる赤ちゃんの出生を迎えることになります。「先天異常」と総称しますが、概略的には「遺伝子病」・「染色体病」・「胎芽病」・「胎児病」に分類します。各々、先天異常の内容が異なりますし、千差万別と表記できるほどに多種多様です。

===== 小生のこだわりてきな脱線を・・・

 昨今、障害の“害”が不適当な漢字の当て字であるとして、ひらがな表記が市町村レベル、そくに、広報で用いられています。一方、国・厚労省は「障害者」・「障害者福祉」と漢字のままです。自身は、障がい・障がい児・障がい者の表記は、何やら隠蔽・ごまかしの感・違和感を覚えます。歴史に学ぶ観点を含め、敢えて、障害の漢字表記としています。

 以前、ボケ・呆け・呆け老人や痴呆の表記が望ましくないとして、用語自体が変わりました。認知症です。認知症のある高齢者など、認知症は定着しました。また、以前、精神分裂病の表記がありましたが、これも望ましくないとして、統合失調症に用語が変わりました。

​障害も用語自体が変われば良いのに・・・と、小生は考えています。

 ところで、「障害」の英訳は・・・ 今や和製のカタカナ文化になった「ハンディキャップ」が該当します。障害者はハンディキャップのある人・方となります。

 本題に戻ります。「先天異常」の医学的なとらえ方です。下記に示した通りです。

 上記で定義した先天異常の頻度は、出生何人に1人? 何%程度と思われますか?

 出生5,000人に1人程度、2,000人に1人程度・・・、50人に1人、20人に1人と例示をし、皆には立ってもらい、思う頻度のところで着席してもらいます。

 あなたは、どの程度の頻度だと思われますか?・・・

 答をお話しする前に、具体的な先天異常の例と頻度についてお話ししています。

 多指症(:胎芽期に指の高まりが5つあるはずが、ボクも指になりたいと言った細胞分裂が続くと、指が6本で生まれ、「ワァ凄いねぇ!6本あってステキだね」とはみなくて、手術で5本に整えてもらう赤ちゃん)が約1,000人に1人います。

 21番目の体染色体が1本多く、21トリソミーとも称するダウン症候群の赤ちゃんは、今日のわが国では出生1,000人に1人より多い頻度です。これは高齢出産が影響していることが分かっています。

 唇裂・口蓋裂がある赤ちゃんは出生約500人に1人の頻度です。

 先天異常は、多種多様ですが、その頻度は約20人に1人より若干多い、5%から6%近い頻度であると分かっています。

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 先天異常には含めない、周産期(お産の周囲の時期)、赤ちゃんからすれば周生期における望まれない多種多様な出来事が、育ちの過程に加わります。

 例えば、胎児仮死、新生児仮死は、出生20人に1人程度はあります。予定日より、とても早く小さく生まれたことによる後遺症と言える脳障害などの障害を有する子もいます。

 また、細菌性髄膜炎などでの後遺症がある子もいます。

 中央病院時代は、新生児医療の3次救命救急医療を担ってきたことで、実に多くの赤ちゃんとの出会いがありました。

 上記の4人の赤ちゃんの中で、集中医療対象にならなかった3例目、軽い仮死状態で生まれた赤ちゃんで脳性麻痺の早期診断、早期療育開始をした以外、重症例の3人の赤ちゃんは元気に育ってくれました。しっかりと医療支援はするけれど、最後は(命果てるか、後遺症を残すか、それとも、明らかな後遺症なしでそだつか)は、赤ちゃん自身の生きる力に委ねられている感覚を得ています。医療者としては諦めないで、それこそ三日三晩の徹夜に近い状態で支援した結果、赤ちゃんが応えてくれる・・・。

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​ 「どこかで誰かが役割を担って・・・」のスライド・内容は、自身の医療者としての根幹をなしています。

 今、これを書いている時も、頭を垂れ、祈りながら・・・です。障害の何たるかの啓発は、自身に対して子どもたちから与えられた天命的な感覚をも抱きます。

「あらゆる障害は、誰もが望まなかったでしょう。ご本人・ご両親・ご家族・・・

 たまたま私やあなたではなくて、あの人だった。」

「私たちの社会には、どこかで誰かが、障害を担い、

 私たち社会の一員として、生活しておられる。」

「障害のある方は、命・健康の尊さを教えている。」

​ 健康ならば「より健康に、より幸せな人生をめざすことが願い。」

 鳥取県立中央病院時代、平成年代に入ってから小児科医を代表して、県教育委員会の地域啓発活動に毎年参画するようになりました。(恩師 故 安東吾郎先生が、小生に中病小児科を託すようにして郷里の豊岡市にお帰りになり、年老いて開業しておられたご尊父の支援・後を継ぐとのご意志でした。)
 活動は、地元日本海テレビに委託契約した啓発番組[幼児の世界 すこやか子育て]のレギュラー出演、地域を巡回する講演・グループ討議、啓発資料の作成等でした。 自身、何となく、経年的に主題を設定していたのですが、やがて「感謝に始まる」・「感謝力を高めること」が根幹となりました。
 個人情報は廃した臨床経験例などを含めて、お話をする中で、「感謝」に帰結するようにしたのです。

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 「今、生きていること・命あることに感謝」     
 「家族・仲間と共に居れることに感謝」      
 幸せな人生は「感謝に始まる」とも言えましょう。
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 スライドに要約した内容は四半世紀以上経た今も軸ブレしていません。

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 さらに、WHOによる健康の定義には、体・心・社会の三要素があります。(近年、これらに加え spiritual 魂・霊 が論議になりました。これについては末尾で記しました。)
 臨床小児科医ゆえ体の健康は分かります。年代を超えて分かり易い要素です。
 心の健康について、自身、どうとらえるのか・・・。ある時に、自身で、ワークショップをするがごとくに想いを巡らせました。結果、6項目に整えました。
 これも四半世紀前のことで、自身の年代では40歳代です。当時は、「老いを受容すること」には、本音として違和感がありました。実体験がないからです。が、今年(2019年)秋の誕生日で古希年となる身であり、かつ、当直の際には同世代の急患を診療している体験を踏まえて、何となく実感できるようになりました。
 「老いを受容すること」は、自身の生き様・過去を否定しないこと、「そうせざるを得なかった人生」であることも受容し、結果、心静かに・穏やかに、「今を大切に」・「今からをより良く」生きること・生活して欲しい願い・祈りを込めた項目です。

 今でも設定した6項目は軸ブレしていません。 「幸せな人生とするヒント」になりましょうし、私も心がけています。現に、今、こうして自身で設定した「心の健康」を構成する6項目を黙読し、自己啓発しています。

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 心のあり方は生活様式に密着します。かつての“成人病”が「生活数看病」とされ、定着しています。この代表例が「糖尿病」です。
 広報やマスコミ等で、再三再四取り上げ有れているので記述は割愛しますが、「生活周囲看病」は「大脳のクセ病」だと、依頼講演の際に話したら、(教師になって間もない頃の)娘が同席していて、帰宅後に強い肯定的な見解を話しました。意向、下段に一行を増やしたことを記憶しています。
 クセをなおすのは、自身でないと達成できないのです。その解消・軽減のためには「ありがとう」など、心の健康を高めることがエネルギーになります。

 小泉首相時代に“構造改革”が再々唱えられました。これを活かして、「大脳は日々刻々と“構造改革”をしている」を設定したことを覚えています。
 また、自身の体験を基に、「大脳は成年・老年においても“発達”する」ことを実感として確信しています。

 但し、生活習慣を通じて、「大脳の機能低下をもたらす要因」があります。喫煙習慣、副流煙による脳血管障害等や、失意・恐怖・不安・非感動など、心のあり方も負因となります。

 一方、「大脳の活性化・“発達”・《幸せ》促す要因があります。非生活習慣病であり、心のあり方では、有機・笑顔・安心・感動・共感・信頼と言った要素があります。 これらの土台の上で、[大脳は成年・老年になっても“発達”する]ことを、自身は時間しています。

 多種多様なチャレンジが出来ていること、それらが定着し、達成されていることなど、大脳が“構造改革”をしていることも実感としてあります。(具体例は末尾に記しました。)

 今を大切に、今から具体的な方策を展開し、・・・などの(既述した)姿勢・大脳の使い方は常に大切です。私事、感謝至極の今・日々が続いています。​

 学校保健委員会における定番的な主題に、“早寝・早起き・朝ごはん”で象徴される生活時間のあり方が話題になります。生活リズムは、バレーボールなど、運動面と同様、練習し、体に覚え込ませて、熟達・スキルアップすることが願いになります。

 生活リズムも同様で、早起きが基本となり、朝食を摂り、排泄する時間も確保し、一日の活動を生き生きと開始したい願いがあります。そして、大脳が疲労し、早寝とすることが基本になります。帰宅後、就寝までの身体面の疲労の解消等の“達人の業”は後述します。

 大脳の“構造改革”に係る実験例です。(今日では動物虐待の観点から、ネコを使った実験は出来なくなりましたが、自身が学生当時は、医学研究でネコは重宝されていました。)

 実験内容の概略は下記の通りです。

 大脳が“構造改革”を繰り返していることは事実ですが、どんな情報を大脳に組み込み、定着させるかの選択は個人に委ねられます。

 乳幼児から義務教育年代は、保護者に委ねられます。つまり、家庭教育です。

 大脳皮質の顕微鏡モデルは、1970年代までには判明していました。当時は、就学年齢に至ると大脳の9割が育つ云々で、自身の才の乏しさを嘆く自分がいました。が、その後、大脳が可塑性が大きいことが分かり、つまり、常に“構造改革”を繰り返していることが分り、自身、安堵したこともあります。

 勿論、天賦の才能には限界がありますが・・・。皆がモーツァルトにはなれない・・・。盲目の人気ピアニスト辻井伸行さんも恵まれた才能の持ち主です。が、“分相応”で、各々の個性が輝くように、自身で達成感・満足感や共感性・感謝などを大切にしつつ、チャレンジすれば良いのです。決して、他者との比較・競い合いではなくて、自身の幸せ感を高めることが人生の目的なのですから・・・

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 関連して、体の健康について考えましょう。

 あなたの「体調はいかがですか?」、換言すると「自律神経系の機能はいかがですか?」

 生活習慣病対策の観点では、肥満・過食・塩分過剰・偏食・喫煙(副流煙)や飲酒過多は、再三再四、啓発される要素です。自律神経系の機能にも密接に関係します。 

 日々、脱水状態を避けることも重要です。心身の疲労を覚えて帰宅した際には、夕食前後までに飲水を多くし、就寝時に脱水状態を解消しておくことが重要です。このことも生活習慣に係ることです。

 さらに、重要なことは、心のあり方です。イライラ・カリカリなど、不平・不満などの要素は、自律神経系の機能を乱す・萎えさせるとともに、生活習慣病を悪化させることになります。世俗には“笑う”ことの効果が唱えられますが、いわゆる“憂さ晴らし”的な笑い~高笑い・大笑いは「是」です。

 ところで、“自律神経系の機能”と書きました。自身は下記のスライドも活用しています。

 筋骨隆々と言った観点ではかく、自律神経系の機能が体力・身体機能と関連します。

 医療関係者には馴染みですが、自律神経系には2系統あります。交感神経系と副交感神経系です。

 曖昧な名称が混乱を来すとの認識をしていますが、決して、主・副の関係性ではありません。交感神経系は、私たちが外部に働きかける際に優位に働くシステムで、英語では「ファイト!fight」のイメージです。一方、副交感神経系は、私たちの体を整えること、細胞・体の組織を育てるが主機能です。英語では、ファイトに「l」一文字が増えたフライト flight」で、近年はフライト(飛行)やフライトレコーダーで耳にする用語です。フライトは逃避・休息の意味づけです。

 自律神経系の機能を啓発する観点で、「今あなたは、自分で数・大きさを調整しなが呼吸をしていますか?」と尋ねると、異口同音に「否」の答です。呼吸は、意識すれば、速く・大きくすることが出来ますが、一方、「心拍数は自分で調整している?」は、勿論「否」で、「生まれて以来ずーっと休まず拍動を続けているので、たまには休ませてやろうよ」も不可能なことです。生きている限り、拍動し続け、かつ、自身の生活・活動状況に合わせて、心拍数を自動調整しているのです。さらに、心臓を形作る細胞も指令をする細胞(洞結節)が心拍数を整え、これが拍動を正常に促すように伝搬し、ポンプとしての筋肉が協働して拍動毎に血液を末梢まで送り出しているわけです。必要に応じて、呼吸、血圧とも連動して働く、完全自動システムであり、自己整復もこなしているスーパーコンピュータと言えます。

 「食事をした後の消化・吸収を、ご自身の胃腸に命じて、こなしていますか?」の問いも「否」です。これも完全自動システムです。さらに、毒物や不必要なウイルス・細菌(ノロウイルスや病原性大腸菌など)が入り込むと、嘔吐や下痢で、これらを排除する機能も備わっています。

 「尿量」や「体温」の調節も、勿論、自動システムによります。「自動システム」と書いているのは、大脳が指示・命令しなくても、生命維持のために、ないし、より高機能に私たちの体が動くように自律神経系が調整していることを象徴しています。

 「血圧」は、動脈圧を測りますが、静脈圧も身体機能に密接に関連しています。それは“立ちくらみ”・失神発作の例で分かることです。失神発作の例は、例えば、立位での集会が長引くなどで、さらに、梅雨時期の蒸し暑いなど、体調がとりにくい時節や、新入学などで緊張を強いられる場合において、目の前が暗くなり、上体がふらつき、さらに、意識をなくして、バタンと倒れるのが失神発作で、思春期の女性に多い傾向があります。

 私たちは地球上で生存していますが、ご存知の通り重力が働いています。日常生活で重力を体感することは常にありますが、例えば、階段を降りる際に、降りた思い込んで、次の一歩を出すと、実際にはもう一段あった場合、ど~んと落ちるように感じます。或いは、階段で転ぶ大人が不注意で・・・と言うこともあり得ましょう。私たちは無意識で生活している中で、視聴覚とも連動して、重力に抗しています。

 例えば、体を横たえていて、急に立ち上がる際に、重力が働き、血液が下半身に溜まることになり得ます。大脳に流れる血液が不足することになると、“立ちくらみ”や失神発作で困ることになります。

 私たちは、体を横にしても、立位でも大脳には一定量の血液を送り続けています。これにより、どんな姿勢でも、大脳が正常に機能し続けるのです。(例えば、オペラ歌手が舞台で、立位で、寝た状態でもしっかりとした声で歌っていますが、勿論、呼吸法などの技術に裏付けられた訓練の効果もありますが、)姿勢を問わず、大脳を正常に機能させている要が静脈の機能です。
 横になっていて、急に立ち上がると同時に、下半身や腹部の静脈が収縮することで、大脳に一定の血液が巡るように機能します。また、横になった際には、下半身・腹部の静脈が瞬時に弛緩することで、大脳に過剰な血液が流れないように自動調整しています。

 つまり、自律神経系により、命のシステムが保たれ続けているのです。私たちは、生きている限り、超秀逸なスーパーコンピュータが機能しているのです。これこそ感謝に値する事実です。あなたは素晴らしい!!・私もスバラシイ!との大切な学びです。

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 パワーポイントでは、アニメーションで、スライドの過半が下の文字に転換します。

 現代に生きる私たちは、情報過多など、緊張感を強いられることで、交感神経系が強くなり過ぎです。体細胞・組織を整える副交感神経系が優位に働く時間が乏しく、劣化し、結果として、大脳の働き(交感神経系優位を強いる生活)が、種々の病的状態をもたらしています。ストレス可能の現代病・心身症に総称されます。

 一方、四季が明快な日本での育ちは(:昨今は異常気象で程度が“普通”でなくなりつつありますが)幼少期から寒い・暑いを体が覚え、自律神経系の機能も育っていました。ところが、夏には冷房、冬には暖房の環境が整い過ぎて、かつ、寒かろうが暑かろうが、屋外で遊びながら育つ機会が損なわれ、屋内でのゲーム類に囚われる育ち・生活が増えています。

 そうした現代の生活様式と表裏一体となりますが、交感神経系が鍛えられることなく、副交感神経系も弱まり、生命観・躍動感が乏しい子どもたち・人たちが増えていることを懸念しています。

 文字の大きさで示した通りですが、交感神経系・副交感神経系の両機能が活性化し、バランスよく働くことが願いになります。

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 再度、体の健康について・・・。イラストは笑顔です。「体調が良いですね!」は「自律神経系の機能が良いですね!」と換言できます。

 過食をしない、適正塩分摂取、偏食をしない、禁煙や摂取と脱水に陥らない生活と、心の面ではニコニコ・ユッタリや笑顔・平穏・感謝・受容がキーワードになります。さらに、自他を祝福も! これらは、実はとても奥が深く、自身、生涯を通じての目標になります。

 自他を祝福とは・・。自身の思いを書きます。

 自分を構成する細胞クンたちへの感謝、「生きているよ、ありがとう」が根幹です。

 他を祝福とは、出会いのある方への祝福です。が、俗には、(自分自身の力で排除したい感情ですが、)妬み(ねたみ)・羨む(うらやむ)や、卑下する・揶揄するなどが、自身の大脳の中で機能すると、その大脳の働きは、実は自身の幸せ感を損ねることになります。

 素直な気持ちで、相手の方を祝福することが出来るようになれば良いわけですが、実は、非常にハードルが高い感情です。

 自分は自分、世界中に他のだれと比較しようが、自分は自身の命に感謝している姿勢・態度を貫けることが願いになります。「感謝力を高める」ことが人生目標です。

 実は、(不遜だとのご指摘を受けることなりますが、)自身、癌の痛みを体感しても良いと、心から思っています。現に、癌性疼痛で(文字表記が困難なほどに)困っておられる方がおられるのは事実です。臨床医として、自身で、そうした方の疼痛を共感したい・体感して良いとの思い・覚悟があります。

 癌細胞は、勿論、自分自身の体を構成してくれた細胞クンたちです。喫煙習慣をはじめ、自身で細胞クンたちに負荷を強いたことなど、癌免疫が劣化したことで、癌細胞に変化した細胞クンたちが塊となり、或いは、体内各地に拡がったことで、幸せに向かうベクトルを損ねることになるわけです。勿論、丁寧・優しい生活をしてこられた方に、望まない若い年齢で癌になり、癌死された親しい仲間・後輩もいます。嗚呼無常と言った感覚もあります。

 平成2年度、鳥取県の社会教育課(当時)が「生き生き鳥取っ子」のイメージとは・・で、予算がついたようで、鳥大の心理学の教授、退職校長などと、医師では小生が参画して5人の委員で論議を重ねました。時には、拙宅にも来てもらい、妻の世話にもなりながら、夜遅くまで語り合った成果が上記のモデル図です。

 既述しましたが、1990年(平成2年度)に恵まれて、竹下首相時代のふるさと創生基金を活かし、鳥取市は全国一律に提供された1億円に1億円を上乗せし、2億円を基金として、(今からすれば当時)高率の利率を活かした活動費で、第1回鳥取市勤労青年海外研修団が稼働しました。と言っても、当時、中病での仕事で懸命だった小生が上記知ることはありませんでした。

 前年度(平成元年度)から、兼務で、鳥取療育園の園長を拝命しており、8月下旬の日曜日午後、居間でワープロ機に向かっていたのです。真剣・集中の様子を見てか、妻が「何を書いているの?」と。で、日本における施設福祉の時代から、西欧に学び、地域福祉が云々と応えたら、物置を探し始めて、「あった!」と、見せてくれたのが、鳥取市報でした。これに団員募集の記事があったのです。年度当初に40歳未満で、鳥取市在住2年以上の勤労者、職場の長からの推薦状、応募した動機の作文、面接などが条件になっていました。

 当時、既に、教育委医会活動等を含め(世間的には多忙を極めていた)多用な日々でしたが、催行期間は空白!

 10月29日に出国し、ロンドン3泊、デュッセルドルフとアムステルダムに1泊、パリで3泊、復路の機中泊の計9泊10日でした。結果的には、成田空港からの出国前日も伊丹空港至近で前泊・・・。自身、海外は初体験で、憧れていた西欧でした(一部既述)

 募集定員に満たなかったのでしょう。追加募集であり、期限は間近。妻に、翌、月曜日に鳥取市に聞いて県職員にも応募資格があるか否かを早急に確認してもらうことにしました。結果はOKで、小生は当時 岩宮 緑 院長にお話ししたら「マ、ようやっちょうけん、行ってこいや」と、推薦状を書いていただけました。

 おかげで、既述の通り、シベリアの初飛行を体験したのです。このこともあり、生き生きに(地球・細胞レベルの)「命」、「夢」をお話しし、結果、6つの要素に入りました。その他の4つも意見が多く、まとまったのが、「創造」・「 挑戦」・「表現」・「感動」でした。そして、個を支える土台が「地球・歴史・文化」であり、「地域・学校」に育まれ、「家族・友人」に支えられての個人の生き生きであるとのモデル図です。

 今なお、私自身が大切にしています。

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 まとめです。再掲です。教育現場における性教育の本質は、命の教育、人権教育を合わせた三位一体との認識をしています。

 祈りのメッセージで授業を終えました。

※智頭智頭町報〔広報ちづ〕に連載した「幸せな人生とするヒント」(1年間12回)・「幸せは 見つめ愛 育ち合い」(続編として1年半18回)は各々別ページで公開しています。

感想文

以下は蛇足です。

 冒頭で[セーブ・ザ・チルドレン]にある写真を引用させていただきました。自身のの“芸術文化活動費”の中で、口座からの自動引き落としで、毎月5,000円の寄付を継続しているのが、[ユニセフ]、[国境なき医師団]の三つです。その他は、適宜・・・。

 地元では、今や被虐待児への救済・支援が主体となっている[鳥取こども学園]に“芸術文化活動費”から最も多額を寄付しています。

 自身の懺悔と話していますが、上記の国際組織には、本当は身を持って参加することが願いですが、余りにも英語力が拙いこと、勇気がないことから金銭ボランティアに留まっています。祈るだけです。

 [鳥取こども学園]は、当所、待ったく未知の身でした。今は理事長ですが、当時、学園長だった(小生が及ぶところではない)熱血漢の藤野興一さんに誘われ、名古屋市で開催された「日本子ども虐待防止研究会(当時;現 同学会)」への参加を促されたことが、実質的に氏を知ることになった端緒です。この前、任意団体としての子ども虐待防止ネットワークとっとり(今に至る Child Abuse Prevention Tottori Association CAPTA キャプタ)の前身が組織された当時、中央病院小児科部長であって、地域活動も担っていたこともあってか、壊れて副理事長的役職を担っていました。結成されて間もない同組織の啓発用の看板にもなっていたことでしょう。(大谷も参加しているからと・・・)
 名古屋市の組織は略称CAPNA(N:名古屋;T:鳥取)ですが、医療機関用の虐待防止指針(案)を作成し、上述の研究会の分科会で配布されました。経緯と内容を読み込み、鳥取県にも必要だと判断し、帰鳥後、県に上申し、予算化され、製本されました。鳥取県は保健所版も必要だとして、医療保健機関用としての仕上がりでした。
 事例については、中央児童相談所が、数畳の守秘をした上での症例も加わりました。医療機関用の指針はほぼ全体を小生が執筆し、全体構成も整える責務を得ました。
 その後、CAPTAは法人化されることになり、県に上申すると、任意ではあるが、重責を担うのは望ましくないとの判断で、一般会員となりました。
 一方、法に基づく、市町村単位の児童虐待防止協議会が整備されることになり、小生は鳥取の同会発症時の責務を拝命しました。
 4年目には智頭病院に異動しましたが、結局5年間の会長職が続きました。智頭町でも同機能が発足したこと、鳥取市の現場から離れている実情もあり、何とか、5年間せ鳥取市の責務を辞することになりました。智頭町では発足以来、今も会長職を拝命しています。
 鳥取こども学園は、今や日本のフロントランナーとして、多種多様な地域ニーズを掘り起こし、子ども主体での居住空間、職員配置などや、外来・通所等の多様な機能も拡充してこられました。自身、妻に話していますが、職責・業務量を鑑みると、間違いなく職員は薄給でありましょうし、理事長・幹部職員は、小生が供する金額(収入に占める割合)とは比較にならないほどの善意を物心両面で、滅私奉公の言葉通りに、日々実践しておられることと確信します。キリスト教の精神そのものでありましょうし、そうした行為(金銭を私的に贅沢・享楽のために用いない。宴会等で食べ残しをださないなど)の日々と思います。そして、そうした日々において、精神が清浄化され、祈りと共に、子どもを守るエネルギーの醸成に至るとも推察しています。
 一方、小生は・・・。心身の健康に恵まれていること、それなりの知的資質をも伴っていることもあって、かつ、貪欲である気質もあって、例えば、還暦年以降ですが、ロンドン、パリへ、2012年以降は毎年ウィーンへ行き、2015年以降はスイスへも毎年体験している事実があります。旅行業者に委ねず、自主・自立的な自由旅行ですが、さらに、国内においても、兵庫県立芸術文化センターを核として、クラシックの演奏会等に、少なから出かけている実績があります。
 既述しましたが、時代がそうさせたとの観点もありますが、今では明らかに被虐待児の範疇に入る、自身のない・自己肯定感の乏しい幼少期から少年期を経て、還暦年以降、自身の想定を遥かに上回る恵まれた人生に至っていることからすれば、(身を持って果たしていない)金銭ボランティアに留まっていることは、自己判断で「懺悔」なのです。祈り・・・。
 退職後は、病院当直料、急患診療所当番における手当を自身の“芸術文化活動費”と称していますが、現状では、着実に口座の残金が増額しつつあります。
 合銀、鳥銀の二つの口座にほぼ同額ずつになるように調整していますが、自身の他界後は鳥取子ども学園と、子孫に各々滞京することを妻・子たちに話してあります。
 自身の心身の健康が続く限り、とは言え、諸条件があって、現在の勤務が続く限り、徐々に金額が増すことでしょう。

蛇足の追記)

 開き直りの人生:2019年秋の誕生日で古希年~母曰く「古来稀なる年齢だから、ホドホドに」とは言え、自身の体感年齢は若返っており、これを裏付けるのがタニタの体組成計:暦年齢で乗ると、体重・基礎代謝量ほかの指標は変動するが、唯一、計算上の体内年齢は常に15歳若くなり、面白くないので、暦年齢を15歳偽って乗ると・・・、やはり15歳若くなって動かないので、暦年齢を30年偽っての乗ると、やっと若干の変動があり、先回(2019./1/3)は偽りの年齢38歳より8歳若い、体内年齢30歳の表示! 子どもより若い体内年齢!

 自身の感覚でも、妥当とも思える30歳で、自動車に例えるならば、エンジンと車軸・車体の加重構造は快調(≒ 心肺機能と神経系~筋骨は快調)で、果たして、この後、どのような推移になるのか、自身の機能低下は何歳頃から、どのような兆候として現れるのか、興味津々・・・。一方、体の部品は各所で劣化し、傷んでいることも事実です。頭髪(皆から禿増され、白々・・・)、視機能(近視と老眼に飛蚊症)、高音性耳鳴、アレルギー性鼻炎、齲歯による歯の脱落、細い首の可動時の違和感、撫で肩も要因である慢性的な肩凝り、青少年期に草野球・ソフトボールで(皆が嫌う)捕手を再々していたことで、ファールチップを指に当てるなどでの突き指(軟骨骨折)での右手中指など数本の指の変形、1982年3月以降の腰痛、肛門機能の劣化、緊張性暴行の兆候、高校2年生以来の左膝の寒冷・重力負荷による疼痛、高尿酸血症、腎機能の劣化兆候、糖尿病兆候の気配:と、初めて、公に書き出して、自身、お見事!と称賛できる身体部品の欠陥を呈しています。

 心肺機能と神経系~筋骨は快調と書きましたが、免疫能も高い状態を維持できています。この後、こうした面の機能低下、部品のさらなる機能低下が、どのような形で「困った!」に陥るのか、自身楽しみにしています。

 やがて、智頭病院小児科を辞することにもなります。その時はいつなのか、自身に対する基準も整いつつあります。これらも公にしておきます。

◎当直負担:とくに、毎年の定番としてる12/30と 1/ 2の各々24時間当直が億劫になる時

◎当直時の成人~高齢者診療におけるトリアージが不適切(当直看護師が不安を抱く)と誰かが判断した場合

◎智頭町・智頭病院が小生を不要とした際

蛇足の蛇足

 齲歯で歯が脱落:小1の際、齲歯の治療に近所の歯科医に連行されました。歯肉に局所麻酔と称する注射がされ、激痛に泣きました。(自然に抜けるのが待てなかったのか?!)

 二度目、次の、齲歯の治療の際、(おそらく言いくるめられて、しぶしぶ受診したのでしょうが、)歯科医が注射器を手にし、注射すると分かって、治療台の上で大泣きし、暴れました。タイミング良く、注射器を持つ歯科医の手にキックができて、ガラス製の注射器が破損しました。歯科医は「お前なんぞ二度と来るな!」的な発言をし、小生は「二度と歯医者なんぞ行かん!」と宣言し、結果、60年以上、歯科医の手を煩わせていません。当然、齲歯は生じました。進むと、痛みを伴います。還暦年前後から、数回、妻・家族に「肉肉しい食生活を止める!」と宣言しました。内実は、歯痛が強く、噛めなかったのです。しばらく我慢すると、黒化した歯の先端部を主体に崩れ落ちます。同時的に、知覚神経も退縮し、痛みは消失します。その後、歯が欠けたことでの食べにくさは残りますが、やがて適応します。かつ、歯が根部から抜けた際は、隙間を埋めるように、奥歯が距離を縮め、隙間が狭くなります。

 歯のケア? 中病時代に下の前歯の外面の黒化が目立ち、妻が「虫歯でしょう!診てもらって!」と強要しました。仲良しの彼女(歯科衛生士)が、「歯垢よ!昼休みに来て。超音波で綺麗になるから・・・」と。で、超音波での除垢を受けましたが、一度限りで逃げました。それ以来、彼女の世話にもなっていません。

 歯のケア! 智頭に異動し、今は廃校になった山郷小学校の保健委員会で、学校歯科医の彼が“8の字磨き”の方法を示されました。自身のそれまでの歯磨きは何となくで、同じような所を磨き、磨き残していた場所が多々あったのです。よって、当然ですが、各所で齲歯が進行していのは止むを得ません。

 また、旧富沢小学校の保健委員会で、学校歯科医の彼女が「食後20分を経過すると、歯垢が貯まり始める」と啓発しました。これを契機に、食後は早めに歯磨きを開始する生活習慣としています。

​ 今後、加齢とともに、何歳になったら、肉肉しい生活と別離ができるのか・・・。

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 一方では、癌です。暦年齢ではなく、社会活動が出来ている年代での癌は、正しく癌であり、転じて、社会活動から身を引いた(引かざるを得ない)心身の機能における癌は、もはや癌と言うよりは身体機能の老化・老衰の一環としての捉え方を、自身はしています。

 自身の今後の人生において、果たして癌を発症するのか否か・・・。

 何れにせよ、癌の診断・治療は皆無にする意志を有しています。既述ですが、自身の細胞が発端として、癌免疫能の低下がもたらすた癌を、自身は受容します。そして、癌の痛みや、それによる多種多様な機能低下もまた、受容し、感謝につなげたく心しています。当然、寿命は(常識的には)縮まりましょうが、現時点で、既に、恵まれ過ぎるほどの人生に至っています。せめて、人生の終末期に、癌で難渋し、或いは、凄惨な闘病をされ、また、願わない早世を余儀なくされた方々への思いを馳せながら、自身の癌に馴染んでみたいとの密かな願いも有しています。勿論、闘病の概念からはかけ離れます。感謝しつつのこのされた日々になることを夢見ています。

 智頭中3年生を対象とした特別授業「生命を考える~幸せな人生とするために~」は、実は、毎回が、新たな自己啓発・自己への警鐘の機会でもあります。勿論、中3生徒には、実感としては分からないでしょうし、子ども世代の方々にも実感としては捉え難いことかと思えます。

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 他力本願・自力本願の用語は何となくわかります。近年(と言っても十年以上前)、他力本願について、自己啓発し得たのですが、目標に向かって自助で努力を重ねていると、自分の想定外の(願った以上の)結末・成果となり、自身で驚嘆するに至る。この際に、他力が働いたとの理解になります。宗派・人減が創造した神ではなく、自然界と言うか、自身の大脳の潜在機能と言うべきか、とにかく、想定外の人生になっている自分自身を体感しています。

 小さくは仕事のアイデアしかりで、夢の中に、昼間は考えつかなかったアイデア等が実にタイミング良く具体化し、これに従っておれば、無理なく仕事が速やかにはかどっている。そうした場合にも、「他力が働いた」ないし“お告げがあった”などと、妻や小児科の看護師さんなど、親しい人に話しています。

 また、三浦綾子さんの著作の中で知り、自己啓発することになったのですが、(曲解した理解に陥っているかも知れませんが、)キリスト教の祈りの本質は、「願い、達成できていることを実感し、感謝の祈りを捧げる行為」と認識しています。(勿論、宝くじに当たり・・・億円を手にすると言った願いではなく、)日々刻々の人生を歩む上で、地に足が着いた夢に向かい、目標を立て、具体的に創造もしつつ、挑戦し、表現を重ね、その都度、感動し、感謝する人生を通じての行為、感謝の祈りを捧げる行為です。その過程において、自身の想定外の素晴らしい結果・過程に至っている事実(体験の重なり)があり、今に至っているのです。

 「感謝力」を高めること、常時、今・今からを大切に、具体的は方法論を展開していくこと、困った過去は、自他ともに許し、感謝につなげ、今・今からの「ありがとう・うれしい・ステキだ」につなげる人生の過程こそ、「生命を考える~幸せな人生とするために~」の本音と言えるかもしれません。

 今もステキなあなたが、もっともっと素晴らしくステキな人生になることを念願しつつ、蛇足の蛇足を終わります。

蛇足の蛇足の追記:は書かないで終わりにします。

ここまで、読みこなしてくれたアナタって、素晴らし~い♪ (2019/1/31)​

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2月4日(月)夕方、生徒の感想文が届きました。

★初めて知ったことがたくさんありました。・・・命を大切にしたいと思いました。いきていくなかで、人との関係は大事で、また、言葉で ありがとう などの感謝を伝えることの大切さがよく分かりました。小さいことでも ありがとう をたくさん言える人になりたいです。自分の体を大切にして、幸せな人生にしたいです。

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