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子どもたちから学び得たこと / 鳥取県立鳥取療育園30周年記念誌(2004年11月)

子どもたちから学び得たこと

(順不同)

 筋ジストロフィー症で在宅生活中の方を主役とした療育キャンプが昭和55年度から毎年間続いています。ご家族、学生ボランティア、その他多くの関係者・支援者が百名前後集い、1泊2日の日程で、健診・懇親をするのです。発会当初からお世話をしてこられた米村さんが、ある年のキャンプにおいて、皆が和気あいあいと集っている懇親会の挨拶で、「キャンプが無くなれば良い」と話され、驚いたことがあります。米村さんの本心は、「筋ジスの治療が確立し、症状が進行しないで治ること」にあったのです。

 幼児期に発症する筋ジスは、少年期に自力歩行が困難になります。乳児期に発症する先天型や成人になってから発病する型を含め、発病を未然に抑えることが出来れば、療育キャンプは不要であり、この観点では、未だに医療は無力です。
 筋ジスは、その原因が出生前にあるため、医学上の分類では「先天異常」に含めます。そして、先天異常には、筋ジスなどの遺伝子の異常・傷害が原因となる〔遺伝子病〕、ダウン症候群をはじめとした染色体の数・形の異常である〔染色体病〕などがあります。多種多様な先天異常による発達障害を、発病前に治療することは、ごく一部の疾患を除き、未だ道遠しといった医療の段階にあります。

 多様な先天異常のほかに、出産を巡る時期(周産期)に胎児・新生児に疾病が及んだために赤ちゃんに脳性まひなどの発達障害が出ることがあります。さらに、急性脳症や事故の後遺症による障害もあります。
 鳥取療育園には、これら実に多様な原因により運動発達の遅れ・障害などを呈した子どもたち・ご家族が集われます。


 「あらゆる障害は、その子が望まず、ご家族も望まれなかった」はずです。しかし、私たちの社会には、ある一定頻度で、何らかの障害を担ってお生まれになる方がおられ、また、生活しておられます。「たまたま私に障害がなく、たまたまあの子に障害があった」と考える視点は、命・健康や人権を考える上でとても大切なことだと、私は確信しています。鳥取療育園に集う子どもたちは「身をもって、健康・命の大切さを教えてくれている」とのみかたも出来ます。
 障害があることについて、子どもたちに責任があるわけではなく、堂々として人生を歩んで良いのです。ご家族の方も同様です。鳥取療育園で出会う人たち皆が同様であり、お互いが学び、理解を育み、協調・共感して臨めることは幸いなことです。換言すれば、子どもたち・保護者の方が、誇りをもって人生を歩めるように支援することが鳥取療育園の重要な責務といえます。

 一方、衣食住に恵まれたわが国において、人と人の関係性が希薄になったために多様な問題が生じています。子どもたちの心身の健康を損ねる生活環境・家族関係の崩壊、命が軽んじられる風潮があります。こうした情勢にあって、鳥取療育園に集う子どもたちは、“健康・命の伝道者・メッセンジャー”としての社会的役割を担っていると、私は考えます。関係者は、その大切さを啓発する責任があるとも考えています。
 健康・命の大切さに係る発信基地としての社会的役割も担っている鳥取療育園ですが、まずは、子どもたち・保護者と仲間たち、職員・関係者が、誇りをもち、幸せな人生を歩まれることを祈念します。

 私事、療育園の子どもたちとの出会いの日々は、昭和53年度研修時代の1年間と昭和56年度に鳥取県立中央病院赴任以降平成14年度までの23年間ありました。さらに、平成元年度から13年間は、療育園長を担いました。このことで、県東部地域を主とした関係機関・職員の方々や全国肢体不自由児通園施設連絡協議会を通じた出会いと学びもありました。小児科医になって27年の小生ですが、子どもたち・鳥取療育園から多くの学びを得、小児科医として育てられたことに感謝いたします。

平成16年11月 3日記

 

鳥取療育園 第3代園長 智頭病院小児科科長

 

園長就任後間もない頃の依頼原稿 「みんなが主役ですよ」 1989年 5月~温故知新〕 

[子どもたちに学ぶこと][鳥取療育園の願い 子どもたちと育む夢]鳥取療育園 創立20周年記念誌 〕

  

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 上記を記してから、約14年が過ぎました。兼務の園長職を平成元年から13年間担い、本務の鳥取県立中央病院では、小児科の責任に留まらず、2002年度から医療局長を任じられ、同時に、鳥取療育園の園長職を解任されました。

 一方、既に、常勤医が不在となり、某お母さんが「智頭では子育てができない」と、時間外救急を初診された際の発言が、自身に重く負荷され続けていました。後輩を誘いましたが、誰も行く者がいない・・・。当時、鳥取県は片山知事時代で、2期目は無投票当選でした。知事選を控え、2002年度末の人事は小規模で、知事の継続就任となった2003年度6月末に、病院局を含めた人事があり、同体制等が強化されたのです。

 鳥取県立中央病院で管理職を担い続けるか、臨床小児科医に戻り、過疎地に位置づけられ、かつ、一人小児科医となる智頭病院に自ら異動するのか・・・。院長に上申し、内諾が得られ(先輩が担っていた)智頭病院長に「電話をして良い」との発言もあり、電話をしたのが、2003年7月上旬でした。結果、「明日からでも来てくれ!」との返答でした。

 県の次長格の医療局長人事は、県の病院局長、さらに、知事に即上申されるべき職務ですが、(幸い?と言うべきか)県の人事に不慣れだった当時の中病院長は、8月下旬になって、小生の異動に係る件を「県に言わないけんだろうか?」と発言され、驚愕した次第でした。自身は、とっくに病院局に話が伝わり、実際に異動するとしても半年以上先の2004年度当初との理解をしていたのですが、一方、智頭では土地柄か、小児科医が着任することのうわさが拡がり、さらに、小児科医が小生であること(:小生を知る仲間・後輩は「マサカ大谷が!」と信じられないと・・・)、かつ、何と小生の着任を歓迎する趣旨での署名活動が始まっていたのです。このことは、着任後まもなく、想いを記した用紙が、アルバム化されて、小生に贈呈されました。はい、今でも[宝物]です。この時点で、自身のエネルギーが続く限り、智頭病院での臨床小児科医の責務を全うすることにおいて、軸ブレが0%となりました。なお、智頭に異動する前に、管理職は担わないで、小児科医として全うすることを話し、このことの了解を得ていました。

 結局、智頭病院・智頭町と中病・県との交渉結果、年度途中でしたが、2003年11月 1日に異動が決定しました。その時期は失念しましたが、9月当初だったと思います。

 自身の職責・業務に係る整理・整頓を鋭意済ませ、10月当初には一段落しました。同時に、智頭病院側の依頼を受けて、外来診療を10月中旬から週2回ずつ担い始めました。同時並行で、智頭での小児科医としてのあり方、生活面のことなどの打ち合わせも重ねました。

 病院敷地内の宿舎に居て、病院(全科)当直は担わず、一方、小児科の22時までの急患は全て小生が、当直看護師の連絡で(当直医を介さず)診療し、22時以降は当直医の要請で看護師を介して診療をする体制でした。自身が提案したことを医局会で「是」として、決定した経緯でした。

 その後、病院の医師数減や、鳥取県東部医師会急患診療所の小児救急診療体制が整い始めたこと、家族の要因などから、自身も病院全科当直に加わると共に、急患診療所輪番制当番医としても参加し始めたことで、現在に至っています。即ち、この数年間、徐々に宿直を主体とする当直回数が増え、7月以降では毎月9枠(宿直が7~8回)で、現況では出産前後の女性医師が2名並行的にあることから、今後も続くことでしょう。急患診療所の小児救急当番回数も最多回数を担う一人です。幸い、心身共に、想定外の健康に恵まれている今があるが所以で、感謝至極です。

 蛇足ですが、当直当番を組むのは、智頭病院では、通例で医局長が担い続けています。2003年11月に移動し、2005年度から現在に至るまで、(公務員医師を退職した後も継続して3年目で)14年間継続して医局長を担っています。

 つい、書き過ぎました。当直の際、診療の合間、大半はクラシック音楽を集中し聴き、あるいは、BGMとして、聴いています。今朝方もベートーヴェン、シューベルトのピアノソナタを聴いています。

 Ivo Pogorelich イーヴォ・ポゴレリッチの演奏:彼の演奏を初体験したのは、NHK BS-Premium[クラシック倶楽部 イーヴォ・ポゴレリチ In 奈良 -正暦寺 福寿院客殿-]で、演奏に惹かれ、探し得たのが、愛蔵・秘蔵品になっている[DG録音全集(14CD)]~ この稀有かつ貴重なボックスが探し得たことは幸運でした。

 最近3年間で、ピアノに限定すると、

Grigory Sokolov グリゴリー・ソコロフ[:NHK BS-Premium でリサイタル全体を放映した(サイトが見出せない!)録画を視聴・聴いたのが端緒で、CDボックスも貴重!Complete Recordings Box set, Import]、

Mikhail Pletnev ミハイル・プレトニョフ[:初めて触れて驚愕したのは、彼が組織したロシア・ナショナル交響楽団を指揮したベートーヴェンで、その個性的かつ秀逸な演奏に感嘆!~本来はピアニストだが、調律を含めピアノ自体に限界を感じ、ソロ活動を中断していた経緯の中で、河合のピアノに出会い、演奏活動を再開した経緯を知り、かつ、自身の国内での生演奏の拠点である兵庫県立芸術文化センター大ホールソロリサイタル(2016/7/2 土)で生を聴いて、演奏に感動・感嘆!:お勧めのCDを二つ~ベートーヴェンの交響曲全集 プレトニョフ&ロシア・ナショナル管弦楽団(5CD)と同じくベートーヴェンのPiano Concertos (Comp) Box set, CD, Import]や、

詳細は割愛するが、ショパンでは、アカデミー主演男優賞受賞を受賞したエイドリアン・ブロディ主演の映画「戦場のピアニスト」で演奏を担ったJanusz Olejniczak ヤヌシュ・オレイニチャク、若手では、NHKが放映したN響定期で下野竜也指揮でショパンのピアノ協奏曲第1番の演奏を視聴したのが端緒で(、とくに、第二楽章の彼の表現で“氷の結晶”にも)驚愕・驚嘆した Jan Lisiecki ヤン・リシエツキDaniil Trifonov ダニール・トリフォノフ:トリフォノフはウィーン・コンツェルトハウスで生体験をしたが、曲目がプロコフィエフの3番で、アムステルダム・ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団、就任間もない音楽監督ダニエラ・ガッティ指揮で贅沢ではあったが、ショパンにアラズで残念だった。かつ、彼の待望のリサイタルが いずみホール で計画され、チケットも購入したが、何故か来日がキャンセルとなった!なお、リシエツキの生演奏は未体験のまま。勿論、オレイニチャク、ソコロフも生は未体験・・・

 研修人生が続きます。 アリャ 7時を過ぎた! 間もなく、当直業務の一つ、病院普通食の検食! 

2018/ 9/14 08:08

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Pianist

 上記を記してから、約14年が過ぎました。兼務の園長職を平成元年から13年間担い、本務の鳥取県立中央病院では、小児科の責任に留まらず、2002年度から医療局長を任じられ、同時に、鳥取療育園の園長職を解任されました。

 一方、既に、常勤医が不在となり、某お母さんが「智頭では子育てができない」と、時間外救急を初診された際の発言が、自身に重く負荷され続けていました。後輩を誘いましたが、誰も行く者がいない・・・。当時、鳥取県は片山知事時代で、2期目は無投票当選でした。知事選を控え、2002年度末の人事は小規模で、知事の継続就任となった2003年度6月末に、病院局を含めた人事があり、同体制等が強化されたのです。

 鳥取県立中央病院で管理職を担い続けるか、臨床小児科医に戻り、過疎地に位置づけられ、かつ、一人小児科医となる智頭病院に自ら異動するのか・・・。院長に上申し、内諾が得られ(先輩が担っていた)智頭病院長に「電話をして良い」との発言もあり、電話をしたのが、2003年7月上旬でした。結果、「明日からでも来てくれ!」との返答でした。

 県の次長格の医療局長人事は、県の病院局長、さらに、知事に即上申されるべき職務ですが、(幸い?と言うべきか)県の人事に不慣れだった当時の中病院長は、8月下旬になって、小生の異動に係る件を「県に言わないけんだろうか?」と発言され、驚愕した次第でした。自身は、とっくに病院局に話が伝わり、実際に異動するとしても半年以上先の2004年度当初との理解をしていたのですが、一方、智頭では土地柄か、小児科医が着任することのうわさが拡がり、さらに、小児科医が小生であること(:小生を知る仲間・後輩は「マサカ大谷が!」と信じられないと・・・)、かつ、何と小生の着任を歓迎する趣旨での署名活動が始まっていたのです。このことは、着任後まもなく、想いを記した用紙が、アルバム化されて、小生に贈呈されました。はい、今でも[宝物]です。この時点で、自身のエネルギーが続く限り、智頭病院での臨床小児科医の責務を全うすることにおいて、軸ブレが0%となりました。なお、智頭に異動する前に、管理職は担わないで、小児科医として全うすることを話し、このことの了解を得ていました。

 結局、智頭病院・智頭町と中病・県との交渉結果、年度途中でしたが、2003年11月 1日に異動が決定しました。その時期は失念しましたが、9月当初だったと思います。

 自身の職責・業務に係る整理・整頓を鋭意済ませ、10月当初には一段落しました。同時に、智頭病院側の依頼を受けて、外来診療を10月中旬から週2回ずつ担い始めました。同時並行で、智頭での小児科医としてのあり方、生活面のことなどの打ち合わせも重ねました。

 病院敷地内の宿舎に居て、病院(全科)当直は担わず、一方、小児科の22時までの急患は全て小生が、当直看護師の連絡で(当直医を介さず)診療し、22時以降は当直医の要請で看護師を介して診療をする体制でした。自身が提案したことを医局会で「是」として、決定した経緯でした。

 その後、病院の医師数減や、鳥取県東部医師会急患診療所の小児救急診療体制が整い始めたこと、家族の要因などから、自身も病院全科当直に加わると共に、急患診療所輪番制当番医としても参加し始めたことで、現在に至っています。即ち、この数年間、徐々に宿直を主体とする当直回数が増え、7月以降では毎月9枠(宿直が7~8回)で、現況では出産前後の女性医師が2名並行的にあることから、今後も続くことでしょう。急患診療所の小児救急当番回数も最多回数を担う一人です。幸い、心身共に、想定外の健康に恵まれている今があるが所以で、感謝至極です。

 蛇足ですが、当直当番を組むのは、智頭病院では、通例で医局長が担い続けています。2003年11月に移動し、2005年度から現在に至るまで、(公務員医師を退職した後も継続して3年目で)14年間継続して医局長を担っています。

 つい、書き過ぎました。当直の際、診療の合間、大半はクラシック音楽を集中し聴き、あるいは、BGMとして、聴いています。今朝方もベートーヴェン、シューベルトのピアノソナタを聴いています。

 Ivo Pogorelich イーヴォ・ポゴレリッチの演奏:彼の演奏を初体験したのは、NHK BS-Premium[クラシック倶楽部 イーヴォ・ポゴレリチ In 奈良 -正暦寺 福寿院客殿-]で、演奏に惹かれ、探し得たのが、愛蔵・秘蔵品になっている[DG録音全集(14CD)]~ この稀有かつ貴重なボックスが探し得たことは幸運でした。

 最近3年間で、ピアノに限定すると、

Grigory Sokolov グリゴリー・ソコロフ[:NHK BS-Premium でリサイタル全体を放映した(サイトが見出せない!)録画を視聴・聴いたのが端緒で、CDボックスも貴重!Complete Recordings Box set, Import]、

Mikhail Pletnev ミハイル・プレトニョフ[:初めて触れて驚愕したのは、彼が組織したロシア・ナショナル交響楽団を指揮したベートーヴェンで、その個性的かつ秀逸な演奏に感嘆!~本来はピアニストだが、調律を含めピアノ自体に限界を感じ、ソロ活動を中断していた経緯の中で、河合のピアノに出会い、演奏活動を再開した経緯を知り、かつ、自身の国内での生演奏の拠点である兵庫県立芸術文化センター大ホールソロリサイタル(2016/7/2 土)で生を聴いて、演奏に感動・感嘆!:お勧めのCDを二つ~ベートーヴェンの交響曲全集 プレトニョフ&ロシア・ナショナル管弦楽団(5CD)と同じくベートーヴェンのPiano Concertos (Comp) Box set, CD, Import]や、

詳細は割愛するが、ショパンでは、アカデミー主演男優賞受賞を受賞したエイドリアン・ブロディ主演の映画「戦場のピアニスト」で演奏を担ったJanusz Olejniczak ヤヌシュ・オレイニチャク、若手では、NHKが放映したN響定期で下野竜也指揮でショパンのピアノ協奏曲第1番の演奏を視聴したのが端緒で(、とくに、第二楽章の彼の表現で“氷の結晶”にも)驚愕・驚嘆した Jan Lisiecki ヤン・リシエツキDaniil Trifonov ダニール・トリフォノフ:トリフォノフはウィーン・コンツェルトハウスで生体験をしたが、曲目がプロコフィエフの3番で、アムステルダム・ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団、就任間もない音楽監督ダニエラ・ガッティ指揮で贅沢ではあったが、ショパンにアラズで残念だった。かつ、彼の待望のリサイタルが いずみホール で計画され、チケットも購入したが、何故か来日がキャンセルとなった!なお、リシエツキの生演奏は未体験のまま。勿論、オレイニチャク、ソコロフも生は未体験・・・

 研修人生が続きます。 アリャ 7時を過ぎた! 間もなく、当直業務の一つ、病院普通食の検食! 2018/ 9/14 08:08

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