top of page

鳥取県立鳥取療育園 創立20周年記念誌 [20年のあゆみ]

平成7年3月刊

子どもたちに学ぶこと

 

現 園 長  大 谷 恭 一  

 

 鳥取療育園に子どもたちが集うようになって20年になります。20年間に、350名の子どもたちが在園しました。一人ひとりの子どもたちは、それぞれがゆっくりした運動発達を呈していました。脳性麻痺など肢体不自由児と称せられる発達障害をはじめ、様々な原因により、個性豊かな子どもたちが集ってきました。

 お腹の中で障害の診断を受けていた子、生れた時点で障害児と判った子どもたち。お産になって仮死状態が強く後遺症が危惧され、早期に脳性麻痺と診断された子や、生れてから黄疸が強かったり、けいれん発作を来したりなどで発達障害を来した子どもたち。元気な乳児であったのに高熱が出て化膿性髄膜炎の後遺症が出た子、歩き始めていたのに溺水で呼吸や心拍が止まり、救命されたけれど寝たきりになった子どもたち。その他、実に多くの原因で、多様な発達障害を来した子どもたち。

 鳥取療育園に集う子どもたちは、ご両親をはじめとした保護者の方々やご家族や仲間の方々は、みんながその子の障害を望みませんでした。しかし、私たちの社会には、一定の頻度で障害児と呼ばれる個性を持った子どもたちが加わってきます。

 この20年間で、お産に関連した脳性麻痺などの障害は減少してきましたが、一方、在胎24週未満や500gに満たない超未熟児が生存するようになって、周産期医療の責任が問われています。乳幼児期に健康に育っていて後遺症が残る場合、原因の特定ができない急性脳症や、何よりも溺水などの事故はつらいものです。一方、先天異常の占める割合が着実に増加し、多様な重複障害を有する子どもたちも目立ちます。

 子どもたちから、命の尊さや健康であることの重みを学ぶ日々です。

 

 障害のある子どもたちは、健康の何たるかを私たちに教えています。互いに学び合い、育ち合うこと、ここに福祉の原点があると教えられます。

 ノーマリゼーションの理念に基づいた地域福祉の推進や多様な運動発達障害に対する早期療育の動向は、鳥取療育園のあり方にも変革をもたらしました。関係諸機関との連携や外来療育相談事業もその一端です。

 鳥取療育園の20年、多くの先輩諸氏のご努力の賜物として鳥取療育園の今日があります。20年を経た今、新たな気持ちで、新たな出発をと心しています。子どもたちのために、よりやさしい地域づくりのために、今後ともよろしくお願い申し上げます。

viii

_/ _/ _/ _/ _/

鳥取療育園の願い 子どもたちと育む夢

 

園 長  大 谷 恭 一  

 

 医療のあり方を問ういくつかの重要なキーワードがあります。「全人医療」、「チーム医療」、「説明と同意」などです。これらのキーワードは、20年を過ぎ、やがて21世紀を迎える鳥取療育園における療育を考える上でも重要になります。

 

1 全人医療と全人療育

 近代科学のもたらした医療は、高度に専門化し、とかく病んだ臓器に対する治療に限定されがちな傾向にあります。この反省に立ったのが「全人医療」で、患者さんの生活背景、人格を重んじた医療を指向するものです。「全人医療」の完遂のためには、医療者(=強者)、患者さん(=弱者)の図式を排除した、一対一の対等な人格の関係性を持ちつつ、ともに医療を行う姿勢が不可欠となります。本来的には医療そのものに全人医療の概念も含まれているわけですが、敢えて、全人医療が提唱されている現状に注目したいと思います。

 療育においても、問われた機能障害に固執してm子どもたちが心身ともに健やかに育つための配慮を、改めて、大切にしたいと考えるわけです。即ち、「全人療育」は、用語としては存在しませんが、療育する側(=専門性を有する成人職員、とかく)強者の立場におかれがち)と、養育を受ける側(=社会的弱者であい、かつ、発達障害を有する子どもたち、そして、保護者も弱者の立場に陥りがち)の図式がどのようであるかを確認したいわけです。子どもと大人の関係性を越えて、そして、障害児の保護者、療育をする側の大人の関係性を越えて、人として対等であることが、即ち、お互いが尊敬し、信頼関係を育み、お互いの立場、能力でもって協力しあえる関係性が築かれ、保たれることが必要でしょう。

 

2 チーム医療とチーム療育

 鳥取県立中央病院で、骨髄移植やハイリスク新生児医療に携わってきました。

 骨髄移植をはじめとした各種の先端医療の導入と成功のためには、綿密なプログラムのもとに、多様な職種が各々の専門性を協調させて発揮することが不可欠で、「チーム医療」が必須です。とくに、生死にかかわることが多いだけに真剣勝負が求められます。患者さんの様態や、治療の山場においては、超未熟児などのハイリスク新生児医療においても同様ですが、それこそ滅私奉公の言葉の通りで、自分の能力(知恵と体力)の限界に挑むことになります。

 生死にかかわるといった緊迫性はありませんが、療育においても本質は同様です。子どもの療育においては、限られた職種が、専門性を連携させて、子どもの療育の質を高めていくことが求められます。子どもたちの障害の内容は多様であり、かつ、発達段階と年齢が各々異なり、そして、生活背景が一人一人異なるわけです。とくに、幼弱乳幼児を療育対象とする鳥取療育園は、障害を診断され、障害に気づかされてから初めて在籍する保護者への援助も大切な役割として担っています。

 

3 説明と同意

 「絶命と同意」は、informed consent(インフォームド・コンセント)が日本語に訳されたものですが、とくに治療行為を遂行するにおいて、患者さんに対して理解可能なように十分な説明を行い、患者さんに理解をしてもらった上で、患者さんが主体的に治療構内容の遂行に同意されるという医療の関係性を提唱したものです。

 計画された治療行為が成功した場合の効果が絶大であったとしても、治療行為そのものが苦痛を伴うものであったり、重大な合併症を招きかねない場合においてはなおさらのこと、十分な説明と患者さんの主体的な同意は不可欠になります。そして、しばしば緊急性を伴う場合があり、遅延すると命にかかわったり、重大な機能後遺症を来しかねません。治療者と治療を受ける側の立場の違いこそあれ、医療行為の遂行決定において、速やかに対等な関係性を築くことが求められます。「説明と同意」を実践する医療においては、患者さんと医療者は相互関係にあるわけです。

 療育も同様にあるべきでしょう。留意すべきは、療育は救急的な側面が小さく、かつ、効果が短期的に得られないことが多いため、ともすれば惰性的に陥り易いことです。その打開のためにも、保護者にきちんと説明し、保護者と協力関係を築いて、発達障害を有している子どもたちに療育を提供することが必須でしょう。

 

 以上、地域の基幹病院で医療に携わってきた経験から、やがて21世紀を迎える鳥取療育園の療育の質を高めるべく、療育に関連する所感を記しました。

 

 療育環境も重要になります。ヒーリング・アート・イン・ホスピタル healing art in hospirtal は、日本で推進すべく地道な活動を続けておられるクミコ・クリストフさんに学んだことですが、環境のあり方が患者さんの心を和ませ、勇気づけ、さらには生きる力を高めることにもなるというのです。

(参考図書 クミコ・クリストフ著 「Healing Art」 文芸春秋刊)

 

 病院の環境にとどまらず、療育環境も同様でしょう。

 開設後20年を過ぎた鳥取療育園では、低年齢化、障害の多様化など在園児の変化があり、さらに療育の質を高め、療育を多様に展開していく上で、確かに手狭になっています。当面は、現状の鳥取療育園の環境を、ヒーリング・アートを考慮し、少しずつでも改善してくことになります。

 一方、長期的な観点に立って、地域における鳥取療育園の果たすべき役割と療育空間・環境のあり方に関する検討などに着手するべき時期に来ていると考えます。

 福祉におけるノーマリゼーションが提唱され、地域福祉が展開されている今日、鳥取療育園の果たす役割は重大です。福祉の目標の一つに、「互いに学びあい、ともに育ちあう」社会づくりがあいましょう。「障害児に学ぶ」は、私が座右の銘としていることですが、鳥取療育園の子どもたちから多くを学びます。

 「障害児は自ら望んで障害児として生まれたわけではないし、保護者も子どもが障害児であることを望んだわけではない」、しかし、人が生まれると一定の頻度で障害児が生まれていることは毅然とした事実です。たまたま私に障害がなくて、あなたに障害があったという認めに立つこと、あるいは、受精から人として誕生に至るまでの過程の神秘さ、健康と障害の理解など、障害を有した子どもたちから学ぶことは多く、かつ、重みがあります。

 こうした学びを、障害の何たるかを、地域にメッセージとしてお届けすることは、ノーマライゼーションや、障害児(者)の完全参加と平等を推進する観点からも、鳥取療育園が地域に対してかけがえのない命のメッセージを送り届けることが出来るようになることは、やがて障害児が地域の中で生き生きと育ち得る社会の達成は、即ち、健康に生まれた子どもたちがより健康に育ち得る社会の達成、健全な高齢社会を意味します。

 地域福祉の推進、健全な社会づくりのために果たすべき鳥取療育園の役割は21世紀においては一層大きくなります。子どもたちとともに、大いにかつ着実に歩みます。

- 58~60 -

bottom of page