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※平成元年(1989年) 5月、園長就任後間もない頃の依頼原稿です。

み ん な が 主 役 で す よ

鳥取県立鳥取療育園 園 長  大谷 恭一

 1989年3月末のある夕、といっても20時を過ぎた頃、未熟児センターにいたんです。 

 

 ポケットベルが鳴り、応答してみると「療育園の園長だぞ ! しっかりやってくれ」との 岩宮 緑 中央病院長の声。

 「えエっ!。ハイ」。勿論、半信半疑で実感沸かず。 

 

 辞令交付の日。挨拶を終え、療育園に新たな立場で「ただいま」。

 促されて園長の椅子に座ってみれば、なにやら楽しくなりました。病院との兼務であることからして、とにかく時間が足りない自分であり、そして発達の早期診断は出来るようになったものの、療育指導、つまりリハビリテーションについては未熟な知識、技術しか持ち合わせていない自分です。椅子に座ってみて、楽しくなった訳は、自分が頑張っても何にも出来ないと分かり、そして、与えられた役割が以下の三つだと気付いたことからです。 

 

 その一つは、子供達から、子供達のご家族からしっかり、たくさんの悩みや要望、子供についての願いや夢をお聞きすること。これがとても大切。ぼんやりとした夢は、具体的な夢、目標にし、その実現に向けての方法を一緒に考えて行きましょう。 

 二つめは、療育園の職員のみんなから抱負を、夢を聞かせてもらうこと。夢を大きくふくらませてもらい、実現に向けての方法を一緒に考え、応援することが自分の役割。時間がなく、スタッフを指導する力に乏しい自分ですから、スタッフの方々によろしくお願いする立場に自分はいるわけです。お互いの力を合わせていきます。 

 三つめは、夢の実現に向けて、関連した多くの方々にお願いすることが自分の役割と心得ています。療育のレベル向上のためには、最先端の先生、施設の方々にお教えいただこう。福祉、教育面で必要ならお話しし、お願いに行こう。かわいい子供達のためだもの。
 時間も、療育指導の力も不足している自分であるがゆえに、「多くの方々にお世話になって行くんだなぁ」と、園長の椅子に座って実感し、楽しくなったんです。その後、園長として書類に印鑑を押すときにも、多くの方々がかかわっていらっしゃることを嬉しく思い、願いを込めて、勉強させて戴きながら押印しているこのごろです。 

 夢への歩みが始まりました。よろしくお願い致します !

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 以上は4月早々に原稿依頼を受けて、『夢への歩み』と題して、したためたものです。みなさんに新園長としての思いを知って戴きたく紹介させて戴きました。 

 

 4月にはまた、鳥取療育園の主管である民生部の施設長会議に、森下次長さんに促され出席しました。行政を担当される民生部の方々のお話しがあり、業務や予算内容がきめ細かく検討されているのを実感しました。次いで、福祉事務所長、児童相談所長、皆生小児療育センター院長の高田先生などがお話しになり、そして小生も療育園の推進事項、懸案事項を述べさせて戴きました。引き続いての懇親の席上、療育園が日ごろお世話になっている多くの方々とお話しでき、お礼を述べることが出来ました。 

 

 多くの方々にお世話になっていることが実感できたことは、園長として誠に幸いだったと感謝しています。鳥取療育園の推進事項としては、前記『夢への歩み』に書きました3点を述べ、懸案事項としては以下のことを述べました。大きくは、外来部門の開設のこと。施設面の拡充について。そしてスタッフのこと。 

 

 

 今日我が国における社会福祉の動向として、在宅において、地域の中の一員として生活出来るように、ということが上がります。このことは欧米の社会福祉先進国においては、歴史があり定着しているわけです。一方、我が国では、施設に収容する、つまり、家庭から肢体不自由児が離れざるを得なかった、という戦後の流れがありました。が、この傾向は、確実に見直しの時代に入っていると認識しています。即ち、経済力が増し、国民の教育水準が高まった今日、出生数の減少と相まって、ひとりひとりを大切にするようになったため、家庭での生活中心へと改まってきたのです。 

 

 発達障害の有無にかかわらず、どんな子であってもよりよく育てることが、親の、家庭の、そして社会の使命であるといえますね。とくに発達障害のない例は、障害がないことが当たり前の権利でもあるかのごとく思われ、これも一因となって子育てがおろそかになることがありましょう。それが、今日の登校拒否など社会的問題にも少なからず波及していると考えます。 

 

 私達人間は、精子と卵子が受精してから出生するまでの過程において、さまざまなハードルを越えてきているのです。おなかの中の赤ちゃん、つまり胎児に、ごくわずかのつまづきがあっても、その結果は発達に重大な支障を来したりします。指が欠けているなどの目に見える奇形があったり、脳や心臓の内蔵奇形があったりなど、つまり「先天異常」と総称する異常につながる可能性があります !

 おなかの中で順調であっても、次には、お産における危険性が控えています。早くに破水がおこり、予定日より2、3カ月早く生まれる、つまり未熟児であったりすることがあります。胎盤が赤ちゃんが出るより早くに子宮から剥がれり、赤ちゃんのヘソが自身の首に巻き付いていたりで、その結果死状態で生まれたりします。 

 先天異常が5%、未熟児が5%、問題になる仮死も2%はあります。赤ちゃんが元気であるということは、これら様々なハードルを乗り越えて無事生まれているのだ、ということを熟知することは、われわれ大人が子供達に接する際に、また社会の一人一人が生き方などを考える際にとても大切なことになる訳です。 

 そして、発達障害や、心臓の奇形などをもつ赤ちゃん、子供達は、これらのことを身をもって、我々健康人に教えてくれているわけです。もちろん、鳥取療育園の子どもたちもそうです。親であるあなたがたに、ご家族のみなさんに、そして、小生を含め地域社会の多くの人達に、身をもってして、健康の大切なことを教えてくれているわけです。 

 

 障害のある方に接することで、私は気持ちが新たになります。つまり、人生を、毎日をどのように過ごしていくべきかを教えられ、あるいは励まされることになり、また、自分自身が謙虚にもなります。 

 

 県の会議で療育園の懸案事項として話すことが出来た背景には、以上の歴史的事項、思いなどが根底にあるわけです。 

 さて、懸案事項であるとした外来部門の開設のこと。鳥取県の東部地域で就学年齢を迎える子どもたちにとって、家族と共に、地域の中で生活するためには、県東部地域にて機能訓練をしながら学校にも通うということが必要になるわけですね。
 ところが現在、鳥取療育園での訓練には、児童相談所に行き、保健所の健診を受けたりして、入園を措置されることが制度上必要なわけです。ちょっと調子悪そうだから、あるいは、しばらく見てもらっていないから、ということで気軽に療育園を受診し、診察、指導を受ける制度にはなっていないわけです。 

 

 開設を展望している『外来部門』の対象となる例は、例えば軽症から中等症の脳性麻痺で歩けるようになった例や、一方、乳幼児でも1~2週に1回程度の指導で効果の上がる発達境界例、軽度遅滞例などです。医療保険を用いた診療扱いで、気軽に指導受けられる状況をイメージしてみて下さい。 

 

 本来、鳥取療育園の定数は40名ですが、職員の数が増えないままで暫定的に50名となって、その結果物理的に訓練の密度が低下せざるを得ない状況にあるのも、外来部門が存在しないためです。つまり、措置解除後の訓練体制が、地域の中に整っていなこともあって、就学年齢に至った例が増えて、乳幼児の新たな例の措置入園がしにくくなってきた。こういった経緯で現状に至っています。 

 学齢に至っても必要な例は勿論機能訓練を続けていく必要がありましょうし、また、学齢児が事故などで脳性麻痺と同様の状態に至り、専門的かつ集中的訓練を必要とすることもあります。鳥取療育園の対象児は、「原則として入学前の子どもで、学齢児も入園が必要と認められた場合、入園できる」となっています。 

 

 結局、設立当初と比べて、15年を経た今日では、発達障害の早期診断に関する医療技術が格段に進歩し、かつ早期療育の示す効果が認められるようになったことで、0歳児の入園が増加してきた。
 そして、脳性運動障害は、機能訓練を一時的に行ってハイ終わりという性質のものではなく、少なくとも私共の関与する小児期を通じて密度が薄くなることこそあれ、継続していくことが大切なわけです。以上様々な観点から考えてみましたが、結局は鳥取療育園の需要は対象年齢の点からも、そして、訓練指導を行って行く発達障害の程度の幅の点からも、今日では拡大しているといえるのです。 

 以上のことから『外来部門』の設立の必要性が急務になっていると思うのです。 

 

 施設面の拡充については、開設後十余年を経て、障害に併せて作成されたりした訓練器具等も増えており、手狭になっています。訓練器具の収納する場所にこまっている現状もあるわけです。また、設立当初と比べて乳児が増えていますし、乳児を安心して休ませることの出来る部屋、ベッドなどが必要であることもお分かりですね。どこかで誰かがふみつけられたりしては大変ですから。お母さん、職員や周りの人は、気が休まりませんね。とくに乳幼児の機能訓練は、出来れば落ち着いた心で行えるほうがよいですから。 

 

 そしてスタッフのこと。まずは、みんなの力をまとめることが私の最大の役割だろうと思っています。みんないい人たちですから、これは大丈夫。
 ただ、外来部門が設けられるとなれば、これは現在のままでは不可能ですから、或は定員を40名に戻してもらうことから始めねばならないでしょう。さらに、理学療法士をはじめとした職員が増えるということは、これは療育園に限らず、もっと多くの施設間の役割や機能の統合など大きな仕事になるわけで時間がかかります。これらのことは県の地域医療計画策定とのかかわりにおいて検討されます。 

 

 ところで、私の立場は中央病院小児科が本務で、療育園が兼務なわけです。小児の機能訓練、つまりリハビリテーション医学は、他の医学領域と同様随分進歩し、専門的になっています。私はこちらの点では全く不十分なわけで、鳥取療育園のためには将来的に小児リハビリテーション専門医が欲しいなと考えています。 

 

 

 『みんなが主役ですよ』をタイトルとしましたが、本音です。

 主役になっていただくために、まずはアレコレと日ごろお話し戴いたり、お考えのことを、お聞かせいただかねばなりません。 

 病院で学ばせてもらったことに、組織開発の手法というのがあります。困難な問題に当面したときなど、あるいは何かをまとめようとするときに、役立っています。私の頭には定着してるんですね。その方法は4つの段階からなります。 

 まず、日ごろの問題点、不平不満、などナド、いわば腹の中にしまっていること、普段は見逃してしまっていること、希望、夢までも、とにかくどんどん出し合うことです。そして、これを大まかに分けて整理します。これにより問題点を明確化し、みんなで共有することです。これが出来ると半ば成功したのも同様、と私は考えています。

 というのも、みんなのモヤモヤした気持ちをすっきりさせ、意見の違いや問題点を共有するということは、心がよくなることですから。心からわだかまりがのぞけて、スッキリすれば、エネルギーが沸いてきますヨ。人には、また組織には最も必要なことだと思います。このことが、日常的に行われている組織は、よい組織であるわけです。 

 

 解決策を検討すること。問題の内容によっては、お金も設備も要らない、みんなの協力と工夫で可能なことがあります。中には、県の方にお願いしたりする事項も出るでしょう。これについては、みんなが話し合って、考えて工夫したりした上で出て来たことですから、園長として私もしっかりと、いわばお願いのし甲斐があるというものです。そしてまた、このような経緯を通って出たものならばと、担当の方も、しっかりとお骨折りしてくださいますよ。 

 実施段階。実施し、定着化を計ること。

 実施している事項の再検討。

 みんなが主役ですよ。

 

 もちろん、わが子のこと、そして、同じような病気の人達のこと、また、同じような年齢の方々のこと、そして、それとは違う仲間のこと、つまり療育園全体にもかかわること、さらには、東部地域のこと、鳥取県のことなど、次第に視野も広げて考えてみましょう。 

 難しいことは、視点を変えれば、大きな夢にもつながる、ということですよネ。
 難しいことでもいいじゃないですか、しっかりやっていきましょう。

 

 予想もしないほど長くなりましたが、終わりにひとこと。

 

 鳥取養護学校と病院には『医教懇』と称している、病院側と学校側の懇談の場があります。校長先生も私も、養護学校と療育園が懇談する『養療懇』とでも称する懇談の場を、年に4回位はもちたく考えています。学校との連携もよくなりますよ。つまり、養護学校、病院と療育園の3者の連携ですね。鳥取県の機構でいえば、教育委員会、衛生環境部と民生部の連携ということです。
 鳥取療育園は隣接した現場も、行政の方とも、そしてまた地域の他の発達障害、遅滞児にかかわっている多くの施設、病院とも連携を密にしていく必要があるわけですね。これは地域を単位とした大きな組織というわけです。前記した組織開発の手法でもって、そのうちこちらの方にも取り組みを持ちたいな、と夢が広がります。 

 

 まずは、みなさんと一緒に夢をふくらませましょう。
 みなさんが主役です。みなさんがいっしょになってお考えになるということは、即ち、発達障害をもつ子供達が主役になることです。その取り組みは、地域社会をも活性化することにつながります。人のあるべき姿、生き方、思いやりや自立する心の大切さを教えることにもなります。
 「思いやり=共感性」と「自立心=自主性」、この2つは障害の有無にかかわらず、子供達が成長していくのに、つまり、子育てにおいて最も大切なことで、また、現代の社会において、最も必要とされていることでもあります。発達障害のある子供達の両親、家族は、そしてみなさんとふれあう私達は、「思いやり」と「自立心」が欠かせないことがよく理解出来るわけです。 

 さあ、しっかりと、着実な夢への歩みをはじめましょう。

1989年5月

​参照〔子どもたちから学び得たこと〕鳥取療育園30周年記念誌

 [子どもたちに学ぶこと][鳥取療育園の願い 子どもたちと育む夢]鳥取療育園 創立20周年記念誌

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「障害」の漢字を使用していることについてはコチラに私見を書いています。

2018/ 9/13 記

 兼務での園長職は2002年3月末までの13年間でした。

 2002年4月に鳥取県立中央病院の小児科部長に加えて、初代の医療局長を任じられた際に、同職で忙しくなるから兼務を外したとの結果論を伝えられたのです。実は、鳥取療育園の園長職は、自身が学び、勇気づけられ、かつ、子どもたち・保護者や職員と、心を通わし合うことで、リラックスできる場でもあったのです。さらに、どうやら小生は、ハイリスク新生児医療や病院の雑務的な公務など、多用になればなるほど、エネルギーが増し、疲れを知らないタイプ(:とは言え、家族・家庭は犠牲になっていました。)

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