平成3年(1991年)8月22日 第40回中国人権擁護委員会総会(鳥取地方法務局.鳥取県人権擁護委員会)における講演の記録
講 演
障 害 児 か ら の メ ッ セ ー ジ
講師:大谷恭一
大谷です。赤ちゃんや障害児が、私自身を通じて、気持ちを皆様方に聞いていただければ、という立場でお話しが進めばと思います。
お話しは大きく3つに分けて進めます。
第一は「先天異常」です。先天異常は“先天的に身体の異常がある”ということです。
第二は、障害児を取り巻く療育、すなわち治療する、教育するという意味である“療育”の現状に触れます。
第三は、健康に生まれた赤ちゃんであるならば、子どもたちであるならば、より健康にという願いを込めて、私達が取り組んでいること、あるいは考えていることなどをお話しできればと思います。
◆ 先天異常に学ぶ ◆
最初に先天異常の話です。県教育委員会のお仕事で、私はお母さんがたにお話しする機会があるわけですが、そうした機会とか、あるいは看護学生に講義をするときに、この話から進めるのですね。
今、私自身こうして立っている。私の気持ちが言葉になる。そして、例えば・・・右手を挙げてみようかなと思ったら、このように右手が挙がる、右手を挙げることのできる右手がある。このこと自体「すごいなあ」ということでしょうし、あるいは皆様方とこうして集うことができているこの事実は「あぁ何てすばらしいんだろうなぁ」ということとか「生きている、生かされている」・「生きているよ、ありがとう」と結論づけるわけですが・・・・。
私たちは、両親があって、1個の精子と1個の卵子が受精したところに生命の出発点があったわけですね。最近のことですから、映像で知ることができるわけですが・・・。私たちは、1個の細胞からスタートした」ということを、考えてみたいと思うのです。
1個の細胞が分裂して2個になる。2回分裂して4個になり、3回分裂して8個になる。いわゆるネズミ算ですね。4回分裂して・・・、どんどん増えていく。10回分裂すると1024個、11回目で2048個と、どんどん増えていく。さぁ、そのうちに、ある細胞は胃腸として形を整えるなど、人の赤ちゃんとしての育ちをお腹の中でとげていく。
イメージしていただきますと、私たちはある時点では“おたまじゃくし”のような形のときがありました。おたまじゃくしのような様子から、手が出る、足が出てくるということですが、要は、オギャーと生まれるときまでに、さあ何回分裂して、我々は一体何回分裂して、オギャーと生まれたのでしょうか。(演者が自分の身辺を指し示して)これだけの身体、また、赤ちゃんをイメージしまして、すこやかな赤ちゃんの体がオギャーと出てきた、その段階で何回分裂してきたかという質問を、学生さんに、あるいはお母さん方にするんですね。
皆さんにもイメージして欲しいんですが・・・。「人の身体は精巧なものだから、何万回かな。何億?。倍々で増えて行くから、かなり多くなるので、数千回かな」って、お答えが出てくるのですねぇ。
これが実はたったの50回。50回ですよ・・・。50回というのは、我々にとっては本当に身近な数だと思うのです。1個からはじまって、たったの50回で人の身体ができてくるとなると、「いや、ちょっと待てよ。これはすごいことじゃないかなー」という話になってくるのです。これを数学の式にしますと、2の50乗(250)ということで、計算機でこれを2×2×2×2×・・・と、ずうっと50回やると、日常使用する計算機では振り切れますね。計算すると1、000兆を越えるのです。
ところで、私達の身体が作られていく過程で、ある細胞はあるところで役割を終えて、ヒトの形を整えていくのです。我々大人で60兆程度の細胞数だといわれているようです。受精からたったの50回の分裂で人が誕生するということを考えてみますと、形が整って生まれてくるということの不思議さ、神秘さを思うわけです。
先程、おたまじゃくしという話をしましたが、おたまじゃくしのような状況から手が出てくる、いわゆる手の出発点になる細胞が、高まりが出来てくる。漫画で言うと、ドラエモンのような手なんでしょうか。それから水鳥のように、水かき部分があって手が整いつつある過程もある。何となくイメージ出来ますね。そして、人の手になるためには、この膜の部分の細胞が役割を終えて「もう、あなたの役割はここまででいいよ。ご苦労様。じゃ、あとは僕達頑張るよ」ということで、指が人の指として整ってくる、というわけですね。
仕事柄、私は、赤ちゃんの医療の現場にいるわけなんですが、ときとして、例えば、指がくっついて生まれてくる赤ちゃんがいらっしゃる。あぁつらいな、悲しいなぁ、ということなるのですが、要は、この指と指の間の細胞が、「もうあなたの役目は終わりだよ」というときに、「いやだいやだ。僕、もっと皆といっしょにいるよ」といったわずかのタイミングでそのまま育った結果が“合指症”ということですね。考えてみれば、「それくら良いじゃない」と、言いたくなるがごとくでしょう。100点満点10教科で、計1000点満点の999点といったところでしょうか・・・。
あるいは、逆に指が伸びてくる段階で、本当は、たとえば中指を例にとりますと、中指の細胞として更に発育せねばならない役割をもっている細胞が、両隣の膜のあたりの細胞が役割を終え「あとは頑張ってなぁ」というときになって、「いやだ。僕もいっしょに」ということになると“欠指症”ということですね。こういう赤ちゃんにも出会います。欠指症の程度がひどいと、手の甲にも裂が入って“裂手症”の赤ちゃんもいらっしゃる。また逆に、高まりが出来るというときに、もうひとつ余分にたかまりができて育ったら“多指症”ですね。
たとえば指のことだけ取り上げてみて発生を考えましても、単に形態の視点だけですが、そういった過程をたくみに乗り切って、そういったことがたった50回の分裂で行われているということですものね。
たとえば、心臓。心臓も単に形とか構造とかだけでなく、機能ということもそうなんですが・・・。私たちの心臓のお部屋は四つに分けられていますね。一つは酸素が少なくなった血液を肺の方に送り出す“右心室”。そして、酸素が多くなって肺からかえってきた血液を身体全体に送り出す“左心室”。それぞれに血液を集める左右の心房があって四つの部屋というわけですね。
お母さんのお腹の中にいるときは、あるときは“一心房一心室”といって、これはお魚の心臓ですね。お魚の心臓を一旦お腹の中で経験して、それから両生類の心臓、“一心房二心室”も経験する。そういった過程を経て、人の心臓、哺乳動物としての心臓を作っているというわけです。系統発生ということですね。
それから心臓の細胞といいますのは、心臓の細胞それぞれが、実は独立して自分自身で収縮する能力をもっています。みんながバラバラで収縮していたら、それこそ私達、もうたちどころに人生を終えてしまうということになるのですが、幸いなことに“伝導系”というのがあって、その中で一番張り切って調子を整える細胞があり、そこの指令で一糸乱れず収縮してはじめて心臓の役割を果たしています。
考えてみれば私達が意識をもつ以前から、お腹の中でそういう役割を心臓は黙々と続けていてくれる。走れば走ったなりに、休めば休んだなりに拍動し、血液を送り続けてくれている。そうして、これは私達が、たとえば呼吸ですと、これを止めることが出来ますね。では、「心臓さん。ちょっと休ませてあげるよ。では、ハイ、止めてごらん、「さん、ハイ」というわけにはいかない。心臓は、私達の体がどのように働いていようと、どういう状況であろうと、体に応じた拍動をもち続けてわれわれの寿命を永らえてくれています。
一生にどれくらい心臓が拍動し、血液を送り続けてくれているのでしょうか。1分間に平均75回拍動があると計算して、そして、75年の人生だとしますと、1時間が60分、1日が24時間、1年間で365日ですから、これらを掛け合わせますと、75×60×24×365×75で、約30億回ですね。約30億回の拍動、それを本当にきちんと、私達を生かして、拍動し続けてくれているというわけです。
「私達の体に感謝する」というあり方が大切ですね。子どもたちを見詰めているときに、気づいて、感謝するとか、私は今お話しが出来ている私自身の体に対しても、「あぁ、ありがたいな」と感謝するわけです。自分の体の一つひとつの細胞、あるいは「細胞が集まって『生きているんだ』『生かされているんだ』ということに気付くこと」は、とても大事なことじゃないかなぁと思うわけです。
多くある先天異常の中で、手や心臓のお話をしましたが、今、ここで私が言う先天異常は、手術や薬剤など何らかの医療が必要か、療育など福祉的な手だてや特別な教育的配慮が必要な異常を問題としています。そして、そういった先天異常が、生まれてくる赤ちゃんの何人に1人位いるのか、これをイメージしていただきたいのです。心臓の発育過程(演者は自分の手をかざして)あるいはこうした手のこと、それだけをとってみても「すごいなぁ」ということです。
こういう質問をしますと、返答は、例えば1万人に1人位かな、いやもうちょっと多いかもしれない。5、000人に1人、とか1、000人に1人かもしれない。いやぁ、いくら多くても500人に1人だろう。100人に1人?。
500人に1人というお答えをなさった方に、こんなお話をするのです。「例えば、哺乳動物の中で、たとえばライオンでもトラでも、ネコでも、唇は左右が閉じていません。私たちヒトの場合には、これを“唇裂”と呼びます。かっては、兎ののくちびるということで兎唇と言いましたが、そのような表現は正しくないだろうということで、現在では“唇裂”としています。唇裂か、あるいは“口蓋裂”、つまり上あごが閉じていない赤ちゃんや、または唇裂・口蓋裂の両方を有している赤ちゃんがいます。そのような赤ちゃんが、500人に1人よりも若干多く生まれています。
形態の異常があるか、機能的な異常があって、医療や療育が必要な赤ちゃんを、合計しますと、およそ20人に1人となります。「生まれた赤ちゃんの約5%程度に、何らかの先天異常があって、医療を必要とする日常生活であったり、あるいは訓練を一生懸命なさっていたり」ということなのです。中には、早くに生命を終える赤ちゃんもいるわけですが、その人生も大事に診て行きたいなと思います。
早くに生命を亡くする赤ちゃんが、先天異常があったから「あぁ、亡くなった。やれやれ」では決してなくて、大半のお父さん、お母さんは、ほぼまちがいなく、「赤ちゃんから学ばれて、生命を学ばれて、次の人生へと歩んで行かれる」ということです。決してマイナスではなくて、人生にはいろんなことがあるでしょうから、これは私のような若造が言うことではないのでしょうが、実際そのような障害のある赤ちゃん、早くに生命を終えて行く赤ちゃんと、ご両親、ご家族のいろいろな葛藤とか、歩み等を学びますと、短くても、その子の表現するものはとても大きかったと感じるわけです。
ところで、鳥取県で発足時から一貫して筋ジストロフィー協会のお世話をなさっておられる米村ご夫妻がいらっしゃいます。私も10年間、11年目ですが、お付き合いさせていただいているわけですが、多くを学んできました。筋ジストロフィー症にはいくつかの型がありますが、その中でドゥシャン型という幼児期に発症する型があります。男の子の歩き始めが何となく遅い。そして、3歳頃になると、例えばしゃがんでいて立つ際に、よいしょっと膝に手をあてて、よいしょと反動をつけ登っていく、つまり、大腿から腰の筋肉とか背筋が弱いということなのですが、そういったことで診断のヒントを得る。病気の進行が早いと、18歳頃あたり、思春期の真っ只中に寝たきりになって、生命を亡くしていかれる。未だ、根本的な治療法がないのです。
米村さんの2人目のお子さんが筋ジストロフィー症で、当時としては非常に延命なさったのですが、30歳の頃に亡くなられました。それからもう10年ほどになりますが、ご夫婦の中で、その方は勿論生きていらっしゃるし、米村さんは様々なところでのボランティア活動に、余生を費やしておいでです。本当にたくましい。障害という個性がおありであったお子さんの存在があってこそ、「人生に広がりができた」ということに感謝なさっている。障害とは何であろうかということを考えるのに、ヒントがあろうかと思います。
先程、どよめきのように聞こえてきたのかなと思いますのは、「先天異常は20人に1人」というところでした。その内訳などについて、今少しお話しします。
まず、遺伝子の異常があって出てくる障害についてですが、突然変異があったり、あるいはお母さん・お父さんから伝わってきた遺伝子にたまたま異常があって、赤ちゃんに異常が出るということもあります。
劣性遺伝(常染色体性劣性遺伝)の例をお話します。私には父の遺伝子、母の遺伝子があるわけですが、実は、私の身体にもいくつかの欠陥遺伝子があります。あなた方にもあります。けれども幸いなことに、劣性遺伝子だから、片方が良ければ病気としては出ない。お母さんの方が悪くても、父親の方が良ければ、“保因者”というだけで病気とはならないのが特徴です。また、いとこ結婚とかの近親結婚があると、劣性遺伝子による障害が出易くなる。それは、両親に同じ欠陥をもつ遺伝子があって、それらが揃って赤ちゃんに伝わると、病気として出るということでもあります。
例えば、ある劣性遺伝の病気が1万人生まれて1人の頻度だとします。「1万人に1人の病気?。まれな病気だな。運が悪いのかなぁ。うちは関係ないわ」という話が出る、あるいはそういう発想をされる方がいらっしゃるかもしれません。が、劣性遺伝で1万人に1人としますと、保因者の頻度は?ということで考えてみますと、50人に1人となります。
50人に1人となれば「他人ごとではないぞ」という話になりますよ。50人に1人と50人に1人が結婚される。これで50×50で2500に1つの確率で、さらに、欠陥遺伝子が赤ちゃんにそろって伝わるのが4分の1の確率ですから、50×50×4は1万ですね。1万人に1人というまれな病気も、保因者ということで考えれば50人に1人ですから、非常に身近な話となるわけです。4万人に1人のまれな病気であって「あ、そりゃ、全くまれなことで、大変でしたね」という場合でも、保因者の頻度は 100人に1人となります(100×100×4=40000)。他人ごとではないのですね。
先程の米村さんに限らず、障害児と、そのご家族との触れ合いをしていますと、本当に大事なのは「正しい理解」だということです。「理解に始まる」というふうに私は思うわけです。
劣性遺伝子は、およそ1人が4つずつ位は持っているということです。たまたま私達は劣性遺伝子が揃って両親から伝わらなかった。病気としては出なかった。「あぁ、生かされていたのだな」・「生かされていた」という思いが沸いてくるわけです。
そして、染色体病というのがあります。私達ヒトでは46本の染色体がありますね。ヒトは父親から23本母親から23本、合計46本のうち、赤ちゃんにたまたま小さい染色体が1本混ざり込んだりして47本になりますと、「遺伝情報が多いから、天才かな」ではなくて、実は、例えば、知恵おくれであったり、しばしば心臓の奇形があったりとか、いろいろな異常を持つ赤ちゃんだというわけですね。詳しい染色体の分析方法が普及し、従来原因不明の知恵遅れとされてきた方が、実は染色体異常であったという例が出ています。
それから、先天異常の中で頻度が比較的多いのが“胎芽病”です。これは妊娠3か月あたりまでの時期、人の赤ちゃんとしての形が整っていないときに、例えば、有名なものでは、放射線被曝だとか、あるいはサリドマイドによる障害もそうですね。サリドマイド児、いわゆるアザラシ肢症という用語もよくないのでしょうが、手が不完全で、例えば肘のあたりから先が欠損していて、肩の近くに不完全な指があるという障害です。松山善三監督が取り上げた「典子は今」という映画がございましたね。実在なさっている典子さんは、とても強く生きていらっしゃる。周囲の人たちの正しい理解があってこそ、そして、支えが継続して、典子さんの自立心が確固としたものになり、望ましい強い育ちに至ったと思うわけです。
さらに、赤ちゃんの形態が整った時点、胎児期における障害、即ち“胎児病”があります。それは胎盤を通じて感染症が起こったり、あるいは、お母さんが熱を出してなど外的な要因が胎児に及んで、例えば一旦は出来た脳がこわれるといった脳卒中のような病態があって、脳性麻痺となったりするものです。
アレコレとしんどくなりそうなお話なのですが、けれどもそれで留めるのではなくて、さまざまな要因があって生じる「先天異常に対する正しい理解」をお願いしたいと思います。「先天異常に学んでみようよ」という子どもたちからの、障害児からのメッセージだと、私は思うわけです。胎内から私達が生かされ続けているということを障害児は自らの体でもって教え、示してくれていると思います。
◆ 療育と社会 ◆
障害児の療育を考える上で私にとって大切なことばがあります。それは、鳥取東高校ご出身の、故糸賀一雄先生がおっしゃった「『この子らに、世の光を』ではなくて、『この子らを、世の光りに』」という言葉です。私自身は、年齢からして面識はありませんが、糸賀一雄先生は、戦後の混乱期、食べるものにも事欠く時節にあって、まだ福祉が行き届かなかったころ、この言葉をおっしゃったようです。いわゆる知恵遅れのお子さんたちに対して、「この子らに、世の光を」というのは、現在、あるいは今後も欠かせない福祉の基本ですが、さらに、「この子らを、世の光りに」との言葉をお残しになったわけです。障害児を正しく理解する上で、療育を考える上で、この言葉のもつ意義は非常に重要だと考えています。
「この子らを、世の光りに」は、私にとっては「障害児を、世の光りに」、つまり「障害児から学ぶ姿勢がなくてはいけないよ」、「障害児はたくさんのことを教えてるよ」ということです。科学が発達し、経済的に恵まれた今日の日本であるからこそ、大切な生命を、あるいは「自分達が『生きている、生かされている』ということを、身をもって教えてくれているんだよ」ということだと思います。
次に、療育の考え方の変遷について考えてみます。“療育”、つまり子どもたちの治療・訓練をし、保育・教育をすること、それを医師、訓練士(理学療法士)、保母さん、児童指導員が、専門家として対応し、支えたりというのは、これは、実はお年寄りに対する福祉も同じように考えて良いと思いますが、経済が発達していない世情では、切り捨てといいますか、どうにもやりようがなかった時代もあったわけですね。そして、今も、世界を見渡しますと、まだまだそういう国、地域は少なからずあると思えます。
生きていく力がなければ、それでいのちを落とす時代といいましょうか、そういう時代から「障害のある方がいらして家庭生活が大変だね。何とか、公的にみましょうか」ということで、いろいろと施設が出来てきました。たとえば先程の筋ジストロフィー症においては、山陰では国立療養所松江病院に筋ジストロフィー病棟があります。あるいは鳥取市内ですと、国立療養所西鳥取病院に重症心身障害児の病棟があります。「障害のある方を我々が施設でみますから、ご家族はどうぞ安心してお暮らしください。勿論、交流は大切にしてくださいよ」という時代があったわけです。
その後更に経済が発展してきまして、また、子どもたちの数が少なくなってきますと、一人ひとりを地域の中で、ご家族とともに、「障害があっても、同じ地域の一員じゃないか」ということで、地域福祉が進んできました。施設福祉の土台があっての、地域を指向した福祉のあり方です。この動向というのは、ヨーロッパ型の福祉のあり方、流れから来ているわけですが、現在では、厚生省も鳥取県も推し進めているのです。そうした福祉施策の基で、障害があろうともお子さんを、ご家族がしっかりと育てあげようとされる状況が整ってきたということです。
これを実践し、質を高めるためには、医療、福祉、療育、教育を通じて、専門職にある立場の方が、「子どもたちから学ぶ。生命を学ぶ」という姿勢を持ち続け、専門性を高めていくことが大切だと考えます。
鳥取県立鳥取療育園と称する、運動発達の遅れを認める乳幼児、障害児が、家庭から通っておいでになって、訓練、保育を受ける施設が、鳥取市内にあります。小生はそこの責任も、兼務なのですが、いただいていまして、そこでは40名ほどのお子さんが在園なさっています。乳幼児を中心として、より早い時期を中心として療育をするわけです。
乳幼児に対する療育の考え方に関する考えを述べます。
例えば、私を含めて、多くの方々は、英語が苦手なのだろうと思います。仮に、英語に関してマヒしている脳だとします。さて、どうすれば英語が得意になるか?、得意になったか?という質問です。
脳がある程度育ってから、英語に親しまないで育ってから、さあ、習熟すべく頑張ろうとしても多くの場合は上達しませんね。実は、日本語に関しては、不自由しないわけでして、これは、乳幼児期からの積み上げによります。英語でも同様です。
乳幼児の療育も同様に考えます。発達診断学というのが医学の分野にありまして、まだ脳が未熟な段階で、一般には麻痺があるとは気付かれない発達段階で、運動麻痺の可能性があるか否かを早期に診断する。普通に育児していたのでは、運動マヒが強くなる脳だと診断します。そのことをご家族にお話し、療育を早期から開始するわけです。いわば英語が苦手なようだから、早くに慣れさせましょう(麻痺の可能性が高いから、良い運動の方法に慣れさせましょう)ということですね。つまり、小児の療育は(超)早期の診断をし、(超)早期に療育を開始するのが基本です。
さまざまな原因、病態があって運動発達障害を呈します。乳幼児に早期療育を開始して、歩行を獲得する段階になりますと、実生活面での応用ということが次の目標になります。英語を塾で早くから学んで、家庭でも親しんで「さあ、社会で実践するぞ」というのに似ています。
つまり、地域と連携が大切になる。公的な出発点としては、保育所という小さな子どもたちの社会集団での実践ということになります。ということで、保育所にお願いしますと、保育所側の最初の反応は、「そのようなお子さんを受け入れたことがない。どうかしら。大丈夫かしら」ということであったりします。特別なことをせねばならないとか、特別な目で見ようとされる。「障害を育てるのではなくて、子どもを育てる基本は全く同じ」なのですが、つい、障害に目が行き過ぎるようです。ご家族はお子さんを育てていらっしゃるわけで、障害を育てておられるわけではないし専門家でもない。「子どもたち一人ひとりの個性があって、それぞれに対応する」がごとくで、及第点が得られるわけです。
保育所の先生に、いろいろお話しし、お願いして、さらに、お子さんといっしょに、ご家族といっしょになって、保育所の方を交えて勉強をし、討議を続け、理解があって「じゃあ、やってみましょう。より良きを目指して頑張りましょう」ということですね。行政の方にもご理解いただけて、障害児が保育所に入る。
そうして、やがて返ってくる言葉、決まって出る言葉は、「本当に良かったです。この子から学べる。そして、この子を通じて、周りの子どもたちがすばらしく良く育っていく」ということをおっしゃるんですね。
これが大切なんだと思います。「『障害児がより良く育つ』ということは『健常児もより良く育つ』ことと表裏一体だ」と考えてよいと思えます。少なくとも、そうした実践からはぐくまれた理解が正しく広まることは、とても大切なこと、地域にとってもかけがえのないことだと思います。
そして、このことは、今の学校教育においても、非常に微妙なところがあり、また時間がありませんから、端的に申しますと、下手すると競争、競争、テスト、テストの学校で、子どもたちに失われていく大事なものがあろうかと思います。障害児が、早くから、小学校1年生のころからずっと、みんなといっしょに育っていく中で、正しい理解というかけがえのないものが、子どもたちに基本的なこととして育まれてくる。そうした大切なヒントを、障害児が持っているというわけです。福祉(療育)の方で連携・実践している、地域の中でみんながいっしょに育っていくというあり方、理解の広がりは、残念ながら、未だ道遠しという状況であろうと思えます。
私達人間が1人、2人、さらに集い、やがて地域集団ができてくると、さまざまな個性がぶつかり合うことになる。お互いにいろいろな能力、個性があることを認めることは大切でしょう。それらを認め、受け入れてこそ、地域社会があるわけです。
かってのドイツで、ナチがユダヤ人を排斥した事例を出すまでもなく、劣性だから切っちゃえというのは、非常に危険なことになろうと考えます。
これもヒントとしてお考えいただくとうれしいのですが、今、療育は「施設福祉」から「地域福祉」へと成熟しつつあり、施設で培われてきた専門性が、地域の中で出して行く、援助するという福祉のあり方を一層進めて行くことになるのです。障害児が地域の中で適応していくために、しっかりと育てようというご家族の支援をしていこうというわけです。
ところで、最近の公共施設は障害児・障害者に対して配慮がなされるようになって来つつありますが、例えば、トイレの改造を必要とする児が学校に受け入れられる際にどうするのか、といった問題も障害児が地域で育つ上で生じてきます。金銭的な問題はありますが、支出を上回る「大切なものが子どもたちに育つ」と思ったりするわけです。それは、まずは理解あっての決断があっての実践となります。
例えば、二分脊椎症のお子さんがいらっしゃいます。「二分脊椎症」といいますと耳慣れないでしょうから、難しくなりますが、少しお話ししてみます。
私達の脳脊髄の発生は、1個の細胞から始まって、細胞の固まりができてきます。(演者は拳を作った手を会場に向けて挙げ)ちょうど、この手首のあたりまでみていただいたら良いわけですが、頭になる側の細胞が膨らみ、尾側がちょっと細くなります。そして、お腹側、背中側の細胞と分かれるわけですが、背中側に窪みを生じ、さらに、窪みが次第に深くなり、周囲の細胞が合わさることで、内腔を形成してきます。内腔の周囲の細胞が脳や脊髄に分化して行き、脊髄の周囲は骨(脊椎)で覆われて行くのですが、一方で、内腔の端が閉じて行きます。閉じる端の一方はおしりの付近に相当します。ここの閉じ忘れという状態で生まれる赤ちゃんがときにいらっしゃって、脊椎が二つに分かれているということで、二分脊椎症という病名です。鳥取県では、出産約2、500人に1人位の頻度のようです。
二分脊椎症の病状の程度はいろいろですが、大人の場合では事故後遺症による脊髄損傷の状態を呈します。即ち、下半身の弛緩性運動麻痺と知覚麻痺、さらに膀胱直腸麻痺を伴います。さらに、大人の脊髄損傷と異なるのは、脳髄液の循環が悪くなっているために、大多数のお子さんに「水頭症」を伴っている。これは脳の中に生理的に水(髄液)の溜まっている部屋(脳室)がありますが、これがとても大きくなって脳の発育を障害するという病態です。脳神経外科で脳室に溜まっている髄液をお腹の中にバイパスをつけて逃がす手術をし、脳の発育が正常化するようにするわけです。しかし、おしり付近に露出していた脊髄神経の機能は回復しないので脊髄損傷は永続します。
かつては、学童期に至るまでにお亡くなりになったりしていたのでしょう。最近では、治療がうまく行くようになっています。
二分脊椎症の子どもさんは、県東中部では、私どもの県立鳥取療育園で療育を受けて、松葉杖等を用いて歩行が実用化段階になると、地域の保育所に入るようになっていきます。療育を担当する専門職と保育所の方々が連携するわけです。保育所で、健常児の中での生活体験を重ねることで障害児の能力・意欲が高まり、また育っていくのです。勿論、理解があって、指導がなされてのことで、保育所の先生方にはいろいろとお世話になっているわけですが、一方、健常児も思いやりやたくましさが目立って育っていく、こころ豊かに育っていくことを保育所の先生方は実感として受けとめていらっしゃるようです。それを健常児の保護者の方にも伝えられて、さらに理解が広がっていくのですね。大人が障害を正しく理解することが根底にあって、そして、指導がなされていくと、子どもたちは予測を越えた豊かな発育を示すということだと思います。
ご両親はじめ保護者の方々は、お子さんの自立を願い、連携され、助け合いながら、学習をも積んでおられます。全国的組織である「二分脊椎症児・者を守る会」の鳥取県支部も結成され、鳥取県でも二分脊椎症の子どもたちが、次々と学校におけるさまざまな課題に挑戦しているのです。
子どもたちが育っていくなかで、障害児と健常児が、さまざまな個性が幼少時から生活を共にする機会は、かけがえのないことでしょう。障害者が社会で認められ、自立していく、そのような社会を展望する上で、学校教育において、日々ふれあう機会が失われるとしたら、とても残念なことでしょう。
障害について、言葉や文字で正しく教えるよりも、ときに交流するという形態よりも、学校生活をともにする中で育つことの方が、質が高いわけですし、確実に定着してくるのだと思います。
障害児を含め、さまざまな個性があって、互いの個性を認め合って、そして、ともに育つということでなければ、障害児はつらい、家族もつらいわけです。命を大切にする、互いの個性を尊重するという観点からも、願いは広がり続けましょう。
「世界の中の日本」ということが盛んに言われるわけですが、これまでの経済偏重、生産性中心ではなくて、また、学力偏重といわれるのではなくて、人間性の質を考えた教育環境を、一人でも多くの理解を得て、変えていく必要性を感じます。何のための経済発展なのか、モノや便利性だけではないわけです。21世紀の日本を展望する上で、教育の役割は大きく、また、「障害児がより良く育つことの出来る社会、学校教育は、即ち、健常児がより良く育つ社会、学校である」との考えをもって障害児からのメッセージを伝えていく必要性を感じています。
◆ より健やかに ◆
先天異常のみでなく、障害の原因として大きいもののひとつに、お産に関連した仮死があります。私たち小児科医にとって最もつらいのは、胎児仮死が強く、そのまま重い仮死状態のままで出生してくる赤ちゃんで、死亡したり、脳性麻痺、精神遅滞やてんかんなどの脳障害を後遺症として残すという場合です。
鳥取県の宣伝をさせてもらいますと、例えば、生まれた赤ちゃん1、000人のうち生後4週未満に何人が死亡するかという指標があります。新生児死亡率といい、母子保健衛生水準の目安になるわけです。鳥取県の新生児死亡率は、1987、1988年と2年連続で第47位でした。つまり、亡くなる赤ちゃんの割合が最も小さかったということでした。日本の新生児死亡率は世界でトップの成績ですから、鳥取県は世界一優れた成績であったということになるのです。どのような行政対応がなされているのか、他の県から鳥取県に問い合わせがあったりしたようです。病的新生児に対する新生児集中治療棟(neonatal intensive care unit、NICU)での医療、小生はその実質的な責任も持たされていますが、その医療水準が高く、かつ、地域的な連携体制が整っていることの両面が培われてきたことが、得られた成績の背景にあるわけです。
新生児医療の現場にいてつらいのは、前述の仮死状態、重症の新生児仮死であったり、そして、仮死からさまざまな合併症を来した赤ちゃんと、もうひとつは、本来は胎内にいるべき時期であるのに、早くに生まれてきた赤ちゃん、とくに出生体重が1kg に満たない赤ちゃんや、在胎期間が7か月に満たない赤ちゃんです。
小さい赤ちゃんに関する私たちの願いは、元気で1日でも長くお腹の中に留まってほしいということです。
仮死について、さらに述べてみます。出産予定日が明日だとか、昨日だったという赤ちゃんで、さあ、陣痛がついたと思ったら、例えば臍帯が先に出てしまったり(臍帯脱出)、あるいは、赤ちゃんの首に臍帯が巻きついて、お産が進まないとかがあります。さらに、途中まで何ともなかったのに急に仮死状態が進んで、超音波診断で胎盤早期剥離と分かる。つまり、赤ちゃんが生まれ出ていないのに、子宮から胎盤が剥がれる状態です。そうしたいろいろな原因があって、仮死状態で生まれた赤ちゃんは、先天異常と同様の頻度ですが、20人に1人位はあるようです。
ところで、四つ足の哺乳動物は、背中から骨盤はおおよそ一つの曲面を描いており、産道もそれに沿った形態となりますが、ヒトは二本足で立つようになって、腰骨が体の前方に突の曲面をもつようになったため、その分産道が狭くなった、難産が宿命づけられたというわけです。
私どものNICUは、鳥取県東部地域の唯一の集中治療棟であり、重症の新生児のほとんどが、院内外から入院してきます。後遺症のない生存(intact survival)を目指して、医療を行っていますが、先天異常を除いて、脳性麻痺の赤ちゃんが、成熟児、未熟児で、各々年に1例ずつ程度出ています。とてもつらいことなのですが、先端医療を受け持つ宿命と言えるのかも知れません。
しかし、仮死状態が重くて、痙攣発作が続き、治療に抵抗し、1週間くらい止まらなかった事例があります。低酸素性虚血性脳症の重症例ということで、お父さんには、命あって退院出来ないかもしれないとか、退院しても寝たきりの重い脳障害を残すかも知れないとか話したわけです。が、結局、その子は全く正常に発育しているのです。ほかにも、重症の仮死で生まれて、健康に育っている例はあります。
その一方で、われわれの医療を受けるほどでなくて回復したという仮死であったのに、脳性麻痺を残したり、あるいは、われわれの医療を受けていても、とくに新生児期にこれといった脳障害を思わせるエピソードがないか、軽かったのに、脳性麻痺の診断をせざるを得ない子がいます。
私たちは医療の手を尽くすけれど、脳性麻痺などの脳障害を来すか否かは、「この子の力次第です」とお話しせざるを得ないというのが、本音です。と同時に、産科側にお願いすることは、ともかく「仮死状態を早めにキャッチして欲しい」「仮死状態が軽い間に、適切な分娩方法で出産を」ということです。
胎児仮死の徴候が診断された場合、私たちは呼ばれ、出産に立ち会いますが、お母さんの頑張りはすばらしいものです。多くの場合は、健康に生まれるのですが、さまざまな場面に接していますと、とにかく「健康に生まれるという事実」に感謝するのです。そういう視点から、今一度、脳性麻痺など脳障害を考えてみたいと思います。つまり、仮死から後遺症を来した赤ちゃんに学ぶという姿勢です。
先天異常とか、仮死状態で生まれた赤ちゃんの例などをお話しましたが、そうした赤ちゃんと接している毎日であるがゆえに、健康のありがたさを思います。健康で生まれたならば、より健康に育って欲しいという願いが沸いてくるわけですね。
私達の“お産の形態”を考えてみますと、かつては自宅でお産があったわけですね。それを助産婦さんが応援する。お産を終え、お母さんが疲れたであろうから、赤ちゃんはお母さんから離して別室に置こう、ということはあり得ないですね。お産を終えてしんどかったけれども「あぁ、良かったなぁ」で、すぐから赤ちゃんとお母さんは一緒になる。私達は哺乳動物ですから、それがごく自然なあり方ですね。
その後、現在の日本では、大半のお産は産科クリニックとか病院で行われるようになりました。つまり、お産に医療が入り、このことで新生児死亡率、妊産婦死亡率の改善が得られたといえましょう。このことはとても重要なことでした。ところが、一方では、生まれた赤ちゃんは新生児室へ連れていかれてしまいますね。そこでは、本来の自然なあり方であるお母さんと赤ちゃんの関係が希薄にならざるを得ない管理システムが優先されてきたというわけです。
母乳哺育を進めようとすれば、赤ちゃんが目覚めていて、欲しがるときに、お母さんが授乳するというのが自然ですが、新生児室では3時間ごとの授乳ということになりがちです。赤ちゃんは機械ではないので、3時間ごとといっても眠っているかもしれません。また、途中で泣くので看護婦さんがブドウ糖を飲ませていたため、お母さんが授乳しようというときにはお腹が減っていないのかも知れない。3時間ごとに哺乳をさせるというのは、あくまでも目安で、赤ちゃんからすれば「自律哺乳」でよいわけです。自律哺乳、即ち、自分で律して飲むということで、飲む時間も量も赤ちゃんが主体でよいというわけです。
赤ちゃんが新生児室にいるということは、例えば3時間ごととかいう哺乳のときなど、お母さんは断片的にしか赤ちゃんの様子が分からないということになります。退院指導というのがあって、知識として学んで家庭での育児に入るのですが、望ましいのは赤ちゃんの気持ちにそったお母さんの育児でしょう。「赤ちゃんは新生児室」という体制に私達は馴らされ、疑問すら持たなかったとも言えるのではないでしょうか。科学が進歩する過程、未成熟な段階では、科学とか管理の名の下に人間性が追いやられてきたというひとつの事例といえるかも知れません。赤ちゃんの人権はどうなっているのか、赤ちゃんに対しても、お母さんに対しても思いやりのなかった体制であったとの反省があるのです。
哺乳動物における本来の自然な母児関係、それは「お母さんと赤ちゃんが常にいっしょにいる」というのが大前提になります。このことを大事にしながら、かつ、母乳哺育を推進し、それらを医療が保証し、支援しようというのが、「母児同室」体制です。単に「母児がともにいる」というのではなくて、それに心をいれていく。つまり、出生後早期からの、具体的には生後30分から1時間までのところで、赤ちゃんとお母さんとの触れ合いの場面を設け、そこでは赤ちゃんにお母さんの乳首を吸わせてやるのです。赤ちゃんからすれば、つい先程までお母さんと一体となっていましたし、出生後も同様に一体であることが自然ですね。それは、母児が離れずにいっしょにいるということでしょうし、母乳で結ばれるということでしょう。
赤ちゃんは生まれた当初は、安定した胎内から出て、肌には暖かい羊水の代わりに空気が触れ、臍帯血管で酸素を得ていたのが、自分の肺で呼吸をするようになる。出生当初の赤ちゃんは、大きな変化を体全体で受けとめている、しっかりと目覚めた状態にあります。このときに、最初の哺乳場面を保証するわけです。その後も赤ちゃんは起きているときに吸いたいわけです。
母乳は赤ちゃんがどんどん吸ってこそ、分泌されるという性質のものです。赤ちゃんは、お母さんのそばにいるからこそ、量的には十分ではないわけですが、頻回に乳首を吸う。すると、お母さんは吸われていることが分かりますね。このことが、母乳を分泌するホルモンであるプロラクチンを多く出すことになります。よって、母乳哺育は相互作用というわけです。
お母さんと赤ちゃんが、自然な、豊かな関係を育んでいくために、そして、母乳哺育を獲得するためにも、出産後の母児同室制はかけがえのないことだと思います。このことを、社会的な認めとして欲しいというのも、本日のお話しの意図の一つなわけですね。
こんなことがありました。私達が同室制未経験の経産婦の方にお話しし、一旦は同室制を希望されたのですが、結局は異室制を選択なさった。その理由をたずねてみますと、おばあさんがお母さんに対して「お産で疲れたろうから、赤ちゃんは預かってもらったら良い」ということだったのです。母児異室制は疑問を持たれることなく、社会に定着してしまっているといえる一場面ではないでしょうか。
一体、赤ちゃんの立場はどうなるのでしょうか。そして、赤ちゃんの様子をほとんど知らずに退院となったお母さんと赤ちゃんのきずなはどう育つのでしょうか。
実は、WHOとUNICEFが勧告を出しています。それは以下の通りです。
母乳哺育成功のための10箇条(UNICEF/WHO)
産科医療を提供し、新生児管理にあたる全ての施設は、下記の項目を満足すべきである。
1.文書となった母乳哺育の方針を、全ての医療従事職に常に通告すること
2.全ての医療従事職には、この方針を履行するために必要な知識と技術を教育すること
3.全ての妊婦に母乳哺育の利点と実際をよく知らせること
4.母親が分娩30分以内に母乳哺育ができるように援助すること
5.母親に十分な授乳指導を行い、もし児から離れることがあっても、泌乳維持する方法を母親に教えてやること
6.医学的に適応がないのに母乳以外の栄養、水分を新生児に与えないこと
7.母子同室すなわち母と児が一日中、24時間、一緒にいられるように実施すること
8.児がほしがるときに、ほしがるままの授乳をすすめること
9.母乳哺育にはゴム乳首やおしゃぶりを与えないこと
10.母乳哺育支援団体を育成し、退院していく母親にはこのような団体を紹介すること
私たちも、これまでの慣習にとらわれず、いわば「医療の人間化」をめざして、質の高い医療を展開し、普及、啓発していこうと考え、取り組んでいるわけです。「三つ子の魂百まで」といいます。その通りだと思うのですが、その出発点での赤ちゃんの気持ちを尊重して考えたい。ということは、赤ちゃんにとっての最も重要な環境となるお母さんが、どのような体験、お産とそのあとの体験をなさったかによって、その後の赤ちゃんの見方や接し方が違ってくると思います。母性を大事にする、育てるということですね。
繰り返しになりますが、私達は哺乳動物です。哺乳動物であるがゆえに、赤ちゃん、次世代を支えてくれる赤ちゃんの気持ちにそったお産や子育てのあり方、育児の出発点を大切にしたい。出産文化ということでしょうが、社会的な理解を大切に、今までのことを否定して云々ということではなく、これからをどうしようかということですね。ですから、あなたがたの周囲の方で、これからお産を迎えられる女性に対して、以上のようなお話しを是非ご理解いただきたいのです。もし、お産に接するという機会がお有りの方は、母児同室制を大事になさってください。
コンピュータでもそうですが、医学を含めて科学が進歩する過程における一時期は、人間がこれに合わせていた。これからは人間性を尊重して、これを科学が支えるという理念で徹することが肝要ですね。お産に関しては、お母さんと赤ちゃんを、どちらの育ちをも尊重して、人間性を考えて、どう医療が支えていくのかということなのだろうと思います。
ところで、赤ちゃんの気持ちとか心のお話しですが、「赤ちゃんの気持ち云々などピンとこないなぁ」と思われる方もいらっしゃるかも知れません。そこで、赤ちゃんの能力に関してのお話しをしてみます。まず、視覚ですが、生まれた赤ちゃんがゆっくりと動くものを見て、目で追うということ、追視といいますが、生まれた直後の赤ちゃんには、追視の能力が備わっているということのお話しです。
赤ちゃんが目覚めているときに、例えば私が赤ちゃんの顔を見つめます。目は凸面ですから、私の顔が赤ちゃんの瞳に写ります。これを確認しながら、ゆーっくりと私の顔の位置を左右のどちらかへ、例えば左へ動かします。すると、赤ちゃんはカクカク、カクカクッと目で追うのですね。早産未熟児で生まれた赤ちゃんが回復し、さぁ退院というとき、出産予定日まであと1カ月などに至らないことがあります。そんな赤ちゃんでも、追視の能力は確認可能です。
私たちの病院では、生後3週前後で、いわゆる赤ちゃんの1か月健診を行っていますが、赤ちゃんの診察をするときには、こうして目を見つめて、「やぁ、こんにちわ。ハロー」とお話ししながら、私の顔を動かしてみるのですね。赤ちゃんが追視しているのを確認しつつ、お母さんに問います。赤ちゃんが追視していることをすでに知っていらっしゃるお母さんや、こちらが追視を確認しながらでも、「さぁ、どうでしょう。よく分かりません」とか「2か月頃と聞いてます」とか、無頓着にお答えになるお母さんであったりしたものでした。赤ちゃんにとって、どっちのお母さんが望ましいのでしょうか。「赤ちゃんが見てくれている」と分かっていらっしゃるお母さんは、おしめを変えたりするときなど、育児の場面場面において、お話しかけも多いことでしょう。逆に、赤ちゃんは見えているということに気付かないでおられるお母さんはどうでしょう。あやしたりする場面も少ないことが予想されます。
最近は、母児同室をし、そのようなお話しをしたり、追視を確認したりしながらの日々ですから、好ましい変化が出ています。お母さんも実感として赤ちゃんは見えると分かっていらっしゃるようです。
嗅覚や聴覚に関する実験もなされており、赤ちゃんは母乳の匂いを嗅ぎわけ、また、お腹の中で俳句の調子を記憶していたという結果も得られています。
3、4か月頃の赤ちゃんは、さあ診察という段になりますと、それまで手足を動かせていたのが、私を見つめ表情を固くし、手足の動きもなくなる、ということをしばしば経験します。私は、しっかりほほ笑みながら、声をかけながら、視線をそらさずにいるのですね。しばらくして、安心すると、再び手足の動きが多くなります。視線をそらさずに診察を始めるわけですね。
一方、表情をこわばらせる赤ちゃんに、泣き出しそうになる赤ちゃんにも出会います。私の顔の代わりに、お母さんにお願いして、あやしてもらうのですね。赤ちゃんの表情が穏やかになってから、診察にとりかかるわけです。中には、どうしても泣きだす赤ちゃんもいますけれどね。ましてや、例えば、お母さんとお話ししていて、つい、赤ちゃんの目をみないで、つまり赤ちゃんに診察の許可を得ないでということになりましょうが、いきなり診察にかかりますと、まずまちがいなく赤ちゃんは泣き出します。かつては、そういう失敗がありました。近年は、とにかく赤ちゃんの顔をみつめながら、お話ししながらの診察が習慣化できるようになりました。
赤ちゃんの能力は、一般に小さいものと見られがちですが、とくにそれは赤ちゃんの表現する能力が乏しいから、ということなのですね。赤ちゃんの能力、育つ力を、鏡餅を4段積み重ねた図で、模式的に説明してみます。全体が安定した形はピラミッド型ですね。ピラミッド型に積み上げられた最上段は“表現”で、その直下が“理解”で、それをささえる“体験・意欲”と、そして最下段は、人にとってかかせないもの、“目と目・きずな・安心”という模式図です。
赤ちゃんをはじめとした乳幼児は、“表現”することはとても小さいように考えられます。赤ちゃんの表現するところを見て、赤ちゃんは無能力だとしたら、これは危険なことです。赤ちゃんは表現は拙くとも、学ぶ力はとても大きいわれです。
人であるがゆえにかけがえがなく、赤ちゃんのときにしっかりと育つ能力が、底辺の“目と目・きずな・安心”であり、これらに支えられ“体験・意欲”が高まり、“しっかりした理解が育つ”というわけです。このことは、赤ちゃんに限らず、幼児・学童や思春期でも同じことです。
今日のお話しは「障害児からのメッセージ」ということですが、赤ちゃんは表現する手段が乏しいわけで、その点からすれば、例えば社会的弱者という点からでも、赤ちゃんと障害児には共通点があるよに思います。
赤ちゃんを見るのに、表現能力で判断すると、赤ちゃんのもつ能力を見逃してしまうでしょう。障害児も同様で、麻痺があったりして、表現能力が弱いという場合に、表現にとらわれて、人としての大切なもの、“目と目・きずな・安心”や“体験・意欲”を乏しくしては困ります。
最後に、子どもに事故についてのべます。今日も、午前中「小児神経」の専門外来を担当していまして、お風呂での溺水後遺症のお子さんを診察したのですが、寝たきりの重度心身障害という方です。
いろいろな生活場面において、子どもの目、子どもの側から考えてみるということも大切ではないでしょうか。それが、命にかかわったり、運動麻痺や知恵遅れなどの後遺症に関連するとしたら、「なんとかしたいな」「そのような知識を広めてほしいな」という子どもたちからのメッセージとなりましょう。
溺水後遺症の子どもたちからのメッセージ、それは、例えばこうです。最近の家庭のお風呂は、低くて、見た目が良いといいましょうか、住宅メーカーの薦める浴槽の設計あるいはパンフレットは、洗い場から浴槽の淵までの高さが30~35cm 程度です。さて、お風呂での溺水はほとんどが1歳児なのです。1歳を過ぎて2歳前後の子どもたちは、皆が皆、水遊びが好きで、関心が高いですね。歩き始めた頃に、お風呂に残り湯があったりすると、覗き込んで、玩具でも落としてみたりするのですね。
実は、1歳児といいますと、身長が70~90cm の間にほとんどの子どもが含まれてしまいます。70~90cm の身長のお子さんがお風呂を覗きますと、重心は浴槽の高さより高いわけです。そうすると、ドボンと落ちてしまう。落ちてしまいますと、1歳児は自力で起き上がれないで溺水に陥ってしまうというわけです。これが浴槽における溺水事故が1歳児に多い原因だったわけですね。
これに気付いたのは、6、7年前になりますが、ある子が溺水で救急車で運ばれてきたのです。生命反応の認められない状態でした。事故ですから、警察の方と連携をとり、事故の状況を尋ね、さらに、幸いなことに、ご遺族の方に許可をいただき、警察の方に送っていただいて、溺水事故の現場を見ることができたのです。
「くやしい、残念、なぜだろう」という思いで、お願いしてみたのですが、現場を見せていただいて、その時はじめて、 " あっ、低い、これだ」と気付きました。それが、洗い場から浴槽の淵までの高さが低いことでした。そのご家庭はそうした事故には関心をお持ちの家庭で、町では啓発する立場の役割も持っておられた。よって、普段は残り湯を捨てるような習慣を持っておられたそうです。溺水事故の日の朝は、たまたまご家族のある方が入浴なさった。普段は重い引き戸が閉めてあるのが、たまたま開いていた。そして、たまたま育児をなさっておられた方に相談の電話が入ったそうです。たまたま暖かい残り湯があったから洗濯に利用しようとも考えておられた。そういった、「たまたま」が重なったわずかの隙に、残り湯は17~19cm 程度だったようですが、事故が起こったようです。事故を防ぐ最後の決め手は、洗い場から浴槽の淵までの高さにあったというわけです。
浴槽事故予防の点からは、「残り湯は捨てる」のが基本ということでしょうが、一方で「水を大切にしましょう」というのも最もなことでしょう。お子さんが小さいわけですから、洗濯物も多くなりますし、ぬるま湯が残っておれば、洗濯に都合がよいということもうなづけましょう。
また、浴槽の淵が30~35cm の高さであることは、2、3歳児にとっては腰掛けるのに都合の良い高さとなります。お風呂が沸いて、熱い湯があるときに、淵に腰掛けていて足を滑らせたら、背中からザブン。こうしたことで、広範囲熱傷を負ったお子さんがいました。浴槽における溺水や熱傷など、過去の事例も検討した結果は、さらにそれ以降の事例においても、このことは共通していました。
新築や改築の際に、子どもの視点からの討議がなされていなかっ点に問題があると考えています。お風呂の設計をするときには、家族構成を考慮し、また、「幼児にとって浴槽の高さの持つ意味も考慮して、事故の危険性に関する情報を知った上で決定してほしい」というのが、溺水後遺症の子どもたちからのメッセージというわけです。
今日は、先天異常とか、お産の時の障害とか、いろいろな原因による障害をもつお子さんたちのお話しをしました。そうしたお子さんたちを考えてみますと、障害が無いのならば、「より健康に」という願いが膨らむわけです。事故により命を亡くしたり、あるいは、障害を遺すというのは、本当につらい、何とかしたいと思うわけです。「より健康に」といえば、心の健康があります。最後に、乳幼児にとってのテレビ番組に関してお話しさせてください。
県教育委員会のお仕事でご一緒しました、鳥取大学の椎名教授の米国のご友人が日本のテレビ番組を見てこうおっしゃったそうです。子どもたちは集中して見ているのをご覧になって、何に集中しているのかなと、見て、そして、驚いて、スイッチをパチンと切り、“クレイジー・ボックス、きちがいの箱”と評されたそうです。また、二分脊椎症のお子さんをお持ちで、奥さんがスイスご出身の方ですが、日本のテレビを見て、“こわい、ダメね。恐い、恐い”とおっしゃっています。私たちはそうしたテレビ番組であることを気付かないで見せてしまっているということです。
問題のテレビ番組とは、蹴る、殴る、撃つ、爆発するとか、徹底した容赦ない暴力や人間性をないがしろにするような言動、悪ふざけ番組、そして、セクシャルな番組です。それらを目で見て、耳で聞いて、学習して子どもたちは育っている。自分で善悪が判断できるようになる以前の乳幼児期、即ち“目と目、きずな、安心”といった人間性の基本的な部分を育てるべきときに、子どもたちはテレビから刺激性の強い情報を日々学習して、それが問題となる行動を引き起こしている一端だと思うわけです。今の青少年がさまざまな反社会的な問題をもつとか、現代の若い両親が、例えばパチンコに行って子どもを車の中に置き去りにして、熱射病や火災などで云々、つまりそれらの世代はテレビとともに育った世代といえるでしょう。
今の日本は自由になった、本当に自由だ、と思いますが、一方では残念ながら、報道を含めて、無責任だと考えるのです。それは、経済的には大人の方が実権を持っていますから、大人の論理で、大人の視点で面白い、視聴率が上がれば良いということなのでしょう。
しかし、乳幼児を主体として考えた際に、テレビ番組の及ぼす影響は大きく、例えば30年後、子どもたちが育ったときに、どのような人間性を養っているかという視点からはどうでしょう。子どもたちにテレビ番組の選択を委ねることはできません。是非、子どもの立場からテレビ番組の質を考えて行く、そうした社会的なあり方、責任が大切だと考えます。高齢社会を迎えるに際して、心豊かな子どもたちが育つ社会、お年寄りが健やかに老いることのできる社会を考えますと、テレビ番組のもつ意味は大きいと思います。
また、テレビが家庭に複数台あることの意味も考え直す時期にありましょう。テレビが普及しだした当時は、1台のテレビに多くの人が集まっていましたね。そこではテレビを媒介とした人々の触れ合いが生じていたわけです。ところが、家庭にテレビが複数台あると、それぞれが別個に見てしまう。家族としての触れ合いが希薄になってしまうでしょう。そして、食事をする場所や居間にテレビを置かないでほしいと思うのです。家族がテレビに頼らないで過ごすことは、少なくとも子どもたちにとっては、とても貴重なことだと考えます。
心の豊かな子どもたちが育つ、そして、私たちを含めて、健やかに老いることのできる社会。それは、障害に対する理解が深まっていること、このことが望ましい福祉社会を指向する上で大事なことだろうと思います。そのようなことを、子どもたちに学びながら、私自身の今が在るということです。今日のお話しは、ミクロのお話し、1個1個の細胞が生きているから、私も生きている。「生きているよ、ありがとう」、「生かされている、生きている」ということですね。と同時に、マクロの立場で、地球の命ということも考える。それが、心の豊かさであり、ゆとりであると思います。
今日は本当に貴重なお時間を頂きました。最初にも申しましたが、子どもたちとふれあう仕事を私はいただいており、子どもたちから学ぶ毎日、教えられる毎日であるわけです。皆様に大谷が話をするということではなくて、子どもたちの願い、障害児や赤ちゃん、そして乳幼児の願いをメッセージとしてお伝えするということでした。皆様に、子どもたちからのメッセージの一端がお伝えできたら、私の役目が果たせたのかなと思う次第です。ご清聴、本当にありがとうございました。
文責:大谷恭一
以上、依頼講演の記録です。文中、障害を漢字で残しています。私見を記しておきます。
障害・障害児・障害者の漢字が、障碍の「碍」が、常用漢字の制約で「害」とされた。害虫など「害」の表記は人権問題的だ。
「碍」は碍子に起因している。碍子は「電線とその支持物とのあいだを絶縁するために用いる器具」で、電気が不可欠な近代・現代社会において、安全性かつ効率性を高める上で不可欠な工業製品である。
社会・国家が未成熟な時代においては、「人権」は軽んじられていた。人類の歴史の中で、部族間・地域間・国家間の戦乱gあり続けている限り、勝利に向けて効率性を高める上で、支障となる様態を避ける・減らすことが止むを得なかった時代の遺残物として、障碍・障碍児・障碍物の漢字が、漢字文化圏の国家において定着したことは事実である。
翻って、わが国では、ボケ・ボケ老人を、認知症、認知症のある高齢者など置換した事実がある。精神分裂病が統合失調症と置き換えられ、今日では定着している。
ところが、「障碍・障害」においては、単に、漢字をひらがなに置き換えた現状がある。ただし、都道府県、市町村レベルでのことで、「障がい・しょうがい」と表記しているが、今日、漢字を学ぶ年代以降の大半の国民が「がい」が「害」であることを知っている。一方、国はホームページにおいても「障害・障害者福祉」など、漢字を用いている。
例)[障害者福祉 |厚生労働省]
自身は、これらのことを承知した上で、願いを込めて「障害」の文字列を使用している。
願いの本質は、人権、命を大切にすること、自他ともに祝福、感謝に始まるなどにある。そして、これらのことは智頭中学校からの依頼による性教育を主題とした特別授業であり、性に係る啓発とともに、命の大切さ、人権の観点を含めた内容としている。この際も、認知症、統合失調症の用語・変遷と、「障害」に係る経緯・現況についても話している。
2018/9/13 記