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劇団四季の会員歴が25年目:わが人生ミュージカル:アレコレと
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劇団四季会員歴満24年を経過:25年目の始まりは素晴らしい舞台だった! 今、また新たな出発 💛

 「演出ミスだ!」と感じた。客席に灯りがついて、拍手が止み、聴衆が立ち始めた際に。カーテンコールが続くと決め込んでいたし、続いてメインキャストが顔を見せたらスタンディングオベーションをすると心してもいた。にもかかわらず・・・。

 

 余りにも素晴らしい舞台だった。であるがゆえに、余韻に浸っている間にオワリとなった。確かに、5分遅れの13時5分に開演したので、16時5分の終演で、上演時間は(20分間の休憩を挟んでの)3時間。

 

 ミュージカルで、上演時間の長い演目と比べても長いが、それを感じさせない密度の濃い舞台であり、大好きな同名映画の細部まで比較し得たこともあり、圧倒的な素晴らしさに打ちのめされた感を覚えつつ、余韻に浸りながらの拍手中だった。

 

 映画では扱いが小さいクリストファー・マーローが準主役で、ウィルとヴァイオラに続いてキャスト表に名前が連なっている

 

と、観劇中に分かった。【キャッツ】のタガーでは、小生が客席の椅子に引っ掛かったしっぽを救済したり、【赤毛のアン】ほか、書き始めたら長くなる。馴染みの真也君こと、田邊真也は流石だった。

 勿論、“やっぱりネ!”感を覚えたが、阿久津ッチャンこと、バーベッジの阿久津陽一郎は流石だった。映画よりも存在感が大きく、よって、キャスト表の4番目で、ナルホド!

 ウェセックスの飯村和也も Bravo!NHKが放映した【桃次郎の冒険】の大汗かきの桃次郎、ライオンキングではシンバ、スカー・・・。ウェセクスがウィルに対して怒る際には、Oh!スカー・・・

 ヘンズローは、映画では(素人が書くこともなかろうが、[シャイン]でアカデミー主演男優賞俳優で、[レ・ミゼラブル]のジャベール警部との演技の振幅の大きさに驚嘆した)名優ジェフリー・ラッシュの存在感が秀逸だった。映画の存在感が余りのも大きいので、プレッシャーはあったろうが、今日の舞台は【異国の丘】の西沢さんの印象が残る神保幸由さんが好演!で、小生も安堵した次第でした。上手い!

 フェニマンは【ウェストサイド物語】のシュランク警部補で存在感があった志村  要 さんも上手い!

 映画のエリザベス女王は、本作で助演女優賞を受賞し、007のMも好演した名優ジュディ・デンチで、笑い声が印象的だったが、中野今日子さんは、「エ、ユタのお母さんが、ジュディ・デンチの声音にそっくり!」と驚いた次第でした。

 [2018/9/16 23:50 中断]

 ティルニー長官は、味方さんから星野氏に変わっていた。適役とみた星野氏のことは知らない。適役!
 映画ではベン・アフレックが輝き存在感があったネッド・アレン。同役の神永東吾さんは【ジーザス・・・】のタイトルロールで馴染み。【ウェスト・・・】のトニーはみたことがないが、今回、初めてのストレートプレイ(との理解)で、日本語には不自然さはなかったが、周りの俳優さんの中にあっては、没個性的に思えた。勿論、否定しているわけではなく、上手かったが、映画と比べて灰汁がなかった。
 ウェブスターの平田了祐君は、映画と異なり、出番も多く、かつ、個性が光っていた。
乳母の増山美保さん・・・ 調べれば分かろうが、これまでの演目の記憶がない。乳母としての存在感は大きかった。
 男性アンサンブルの川口雄二さんは【マンマ・ミーア!】で馴染み。【リトルマーメイド】は演目自体、この後の大阪四季劇場での上演が初観劇となる。彼に出会えるか・・・?!
 そして、鈴木 周 さん!こんにちは!お久しぶりです。【南十字星】から劇団四季がスタートし、独特の声音は忘れません。
4回?聴けて嬉しかった男性4人の合唱!歌が聴けると、素直に安堵する。重厚感のある演技・台詞が続く舞台の清涼剤感覚:爽やかで、旨かった(上手かった)。
 とにかく、アンサンブルの充実は、劇団四季ならではで、舞台全体が引き締まる。
 ところで、【ジーザス・・・:ジャポネスク・・】で、白装束で大八車を操作し、生の舞台を造る男性陣:今回も大道具を動かす、名も無き男性が言葉を発することなく、出演しておられた。
 ※ 阿久っちゃんもこと、阿久津陽一郎くんも大八車デビューだった?! 当時、【桃次郎の冒険】鳥取公演の際は桃三郎で出演され、かつ、会員との集いの会では車座になって話すことが出来たことを思い出します。今や、阿久津くんは劇団四季になくてはならない存在!是非、舞台で人生の幕を下ろすがごとく、浮気をしないで、劇団四季を貫いた欲しいと心底願います。

 衣装、大道具、そして、音楽、演出・・・:秀逸・称賛!!!!!

[2018/9/17(祝) 敬老の日 朝 追記]

 おっと! ヴァイオラとウィルことウィリアム・シェイクスピアを書きもらしていた。

 今朝、妻と話した際に、映画の台本を書く際に、結末で〔十二夜〕につなぐことを骨格として、〔十二夜〕のヴァイオラを創造作である【Shakespeare in Love】で架空のヴァイオラを産み出した。映画では、ヴァイオラ役で主演女優賞のグウィネス・パルトローが輝いていた。小生も恋した。劇団四季の山本紗衣は、【ウェストサイド物語】で舞台に上がらない澄んだソプラノを初体験し、【オペラ座の怪人】でクリスティーヌを見た際には、歌唱もだが、演技力が素晴らしいことにも惹かれた。結果、大抜擢されて本役を演じきるとは・・・:秀演・・・(中途) 声をかける機会を逸したが、Brava!

 上川一哉君には、ぎりぎりのタイミングで、Bravo!と声をかけることができた。

 が、残念至極で、皆に Bravi!と声をかけるタイミング、スタンディングオベーションに至らなかったのは心残り・・・。

 しばし、座席に座ったまま・・・。 誰も居なくなり、暗転した舞台に向かってスタンディングオベーションをし、「Bravo!!」と発した。発声せざるを得なかった。

付)映画Shakespeare in Love】 You Tube

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[鳥取県医師会報に掲載された文です。]

【私の趣味】

♪ 人生 ミュージカル ♪

 ミュージカルと小生との関わりは一体いつ頃からなのか、ハテ・・・。高校時代に授業をサボって、何気なく見た映画「マイフェアレディ」に魅せられたことは事実だ。オードリー・ヘプバーンの魅力に虜になったこのミュージカル映画では、ロンドンのコヴェント・ガーデンも印象的で、若きヘプバーン扮するイライザの父がここで歌う「運が良けりゃ」にあやかって、いつか行ってみたいとの願望が潜行していった。

 

 1964年の封切りから、25年後、第1回鳥取市勤労青年海外研修団に、 当時の中央病院長、岩宮 緑先生の推薦をいただいてロンドンにも行ったが、到着した翌日の昼食会場に着いてみれば、何とそこはコヴェント・ガーデンであった。ロンドン風中華料理の昼食をさっさと済ませ、しばしの時間を「運が良けりゃ」を歌いつつ、大道芸や骨董品などの露天で楽しんだことを、昨日のように思い起こす。

 

 さらに、1997年秋は全国自治体病院協議会欧州医療施設視察団員としてロンドンにも宿泊した。

 自由行動が許されていたので、夕方、賛同する仲間と共に、チューブこと地下鉄に乗り、コヴェント・ガーデンで降り、界隈の雰囲気に浸った。そして、近くにあるニュー・ロンドン・シアターに入った。

 目的は、ミュージカル「キャッツ CATS」であり、出発前にチケットの手配を済ませていた。

 

 ロンドンのオリジナル CATSの前に、日本の劇団「四季」のキャッツを体験し、家族の皆が大好きになっていた。1993年7月11日、学校の第2・4土曜日が休日になったことを活用して、旧大阪難波球場に設けられていたキャッツ・ドームでの観劇が初体験であった。男3人は大阪城ホールでのスター・ウォーズのショーを狙ったが完売とのことで、女2人の押すCATS に決定した。

 驚いたのは、当時小4の男、中3の女、高1の男、妻と小生の5人共が、「とても良かった!」で一致したのだが、何が良かったかについては、皆がバラバラ。ということは、なるほど、年齢、性別を越えて楽しめるミュージカルであるということの証明が、わが家族においても立証されたことになる。

 

 CATSは、ロンドン・オリジナルが発表されたとき、ミュージカルの常識を覆すストーリー性の無さが全く例外的であり、当時の評論家から酷評されていたが、公演開始間もなくから絶大な人気を得た。「 CATS is exceptional 」の呼称通り、実に多くあるロンドン・ミュージカルやブロードウェイ・ミュージカルの中でも「特別・例外」で、世界中で超ロングランを続けている。

 わが国においても、小生の記憶の彼方にあるのだが、西新宿の現在は都庁などが立ち並ぶあたりにテント張りの「例外的」なロングランを開始したのが1983年、その後、大阪駅北の貨物ヤードに同じく黒いテント張りの専用仮劇場でロングランをしていた。

 

 大阪では、猫の目の描かれたテントを目に留めたこともあったのだが、当時は、マイ・フェア・レディ、サウンド・オブ・ミュージック、メリー・ポピンズ、チキ チキバンバン、南太平洋、屋根の上のヴァイオリン弾きなど、映画のミュージカル以外に、劇場ミュージカルが楽しめるという概念が小生に無く、見逃していた。

 

 大阪での CATS観劇に端を発し、その後機会あればと、学会・研究会や出張の折りに、チャンスを求めるようになっていた。 CATSは、大阪で2回、東京品川とロンドンの計4回体験したが、劇団四季のレベルは高く、1997年のロンドンより質が高かった。一方、B&Bこと「美女と野獣」は底抜けに楽しい。グランド・ミュージカルと称せられ「オペラ」と略称される「オペラ座の怪人」は、今流オペレッタか・・・。

 鳥取の梨花ホールで上演した「クレイジー・フォー・ユー」「エビータ」も大好きである。

 CATSのCDは、四季版、ロンドン版、そして、知人に頼んでアメリカで買ってきて貰ったブロードウェイ版と揃え、B&Bは、エビータは・・・。そして、劇団四季のオーディションを受ける日が来るのは、何時のことでしょうか・・・。その日に備えて、というわけではないのですが、外来などで子どもたちとの出会いの 挨拶にもメロディーが加わったりで、そう気分は、わが人生・ミュージカル。

 

注:ロンドン、ニューヨークの超ロングランは終了となっている。

日本では、ブロードウェイ記録を更新し、2010年現在も上演中!(2010/8/17記)

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[鳥取県医師会報に掲載された文です。]

【私の趣味】

♪ 続 人生 ミュージカル ♪

 ミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」は、日本国民の何割の人が知っているであろうか?

  映画館で見た人、自宅のビデオで見た人、ドレミの歌などヒット・ナンバーを歌った人など、現職の首相よりも知名度が高いのかも知れない。しかし、「サウンド・オブ・ミュージック」がオーストリアのザルツブルグと、その近郊の氷河湖地帯である「ザルツカンマーグート」がロケ地であることを知る人はとなれば、激減しようか。

 

  「サウンド・オブ・ミュージック」の封切りは1965年。若きジュリー・アンドリュースが、前年に封切られ、主演したミュージカル「メリー・ポピンズ」で成功し、抜てきされた、この「サウンド・オブ・ミュージック」のロケは1964年となる。

  30年後、1994年の夏、鳥取県民文化会館・梨花ホールにオーストリアから「ウイーン国立歌劇場少年少女合唱団」(当時の紹介邦訳)がやってきた。ウイーン少年合唱団と、音楽的に同列とされている。例えば、今日を代表する彼の三大テナーの一人、プラシド・ドミンゴがウイーンで毎年、多彩なゲストを迎えて行っている、ウイーン恒例のクリスマス・コンサートにおけるバックコーラスを毎年受け持っていることからして実力が分ろう。

 

  ウイーンからの少年少女は、夜の演奏会に先だって、小生が園長を拝命している鳥取療育園に慰問演奏を兼ね、園児との交換会にやってきてくれた。「とっとり楽友協会」を主宰する谷口氏の粋な計らいがあってのことだった。この返礼を兼ねて、同年の夏休みをずらして、10月7日出発で7泊8日間のオーストリア旅行を実現できた。当時、小児科仲間の快諾あってのことだった。妻と二人の自由な日程で、ウイーン計4泊とザルツブルグ2泊であったが、ザルツブルグ行きの選択は妻の決定であり、当然のことながら「サウンド・オブ・ミュージック」が思い起こされた。

 

 時期はずれの18万円弱の自由旅行には、ホテルでの朝食の他にはザルツブルグ到着後半日市内観光が付けられていた。ウイーンからザルツブルグへの列車での道中、小生「市内観光なんて歩いて自由に回れるから、車をザルツブルグ郊外のザルツカンマーグートへ走らせるように頼んでみる・・・」、妻「やめなさいよ。もう一組のお二人が望まれないかもしれないし、会社の人にも迷惑よ!」とかなんとか、お決まりパターンの凸凹会話があった。

 

 結局は、昼過ぎ、ザルツブルグ到着後、昼食を取る時間もなく、迎えのボンゴに若い二人と我々夫婦、現地ガイドさんと運転手の6人が乗込んだ。職業柄旅行慣れしておられた若いお二人に提案し、OKをいただいて、ガイドさんに申し出た。

 「ザルツブルグ市内は自由に廻るから・・・、ザルツカンマーグートに行ってくれないか、ガソリン代等余分のお金は払うし・・・、ガイドさんと運転手さんにもご馳走するから、我々4人は昼食もとっていないし、ザルツカンマーグートの入口にあたるフシュル湖畔の古城ホテル・レストランがあるはずだから、そこの出来ればテラスでフシュル湖や山並みの景観を楽しみながら昼食を・・・」。

  ガイドさんはペラペラとドイツ語で運転手に話し、運転手の彼は無線で会社と連絡をとり「OK」となった。運転手さんが、半日ツアーの最後に「ご馳走になったから」と、ガイドさんによれば全くの例外的なことで、ザルツブルグ市内を見おろす夕景の美しい教会の立つ丘に連れていってくれたことは得難い記念になった。

 

 ちなみに、フシュル湖を見降ろし、オーストリアアルプスを眺める湖畔の古城レストランで、ハウスワインもいただいた上で、6人合計が日本円で1万円に満たなかったのです。(観光地化していない郊外レストランは安い!)民族衣装を着た注文を聞く若い彼女共に写真も、はい、記念に・・・。

  マリアが大佐と結婚式を挙げた教会は、やはり氷河湖である Mondsee(モント湖)近くにあり、映画の雰囲気に浸った。翌日は、同行の若い二人がミラベル宮殿での結婚式。そして、我々夫婦も参列して祝賀したことは得難い体験となった。

 

 30年前の「サウンド・オブ・ミュージック」の世界との出会い。欧州の旅で最も共感できることの一つは、街並みの景観が優先され、個人の身勝手が後回しになっている社会通念。私たちの体験したザルツブルグの町は、ザルツカンマーグート地方ももちろん、30年前の1964年の雰囲気そのままであった。

  ボートが転覆した大佐の館裏の池、ドレミの歌を歌いながらあるいたザルツブルグの町々、モーツアルト橋、馬洗池、ミラベル宮殿の庭園。そう、「ドレミの歌」のフィナーレは、マリアがミラベル宮殿の庭園奥の石段を子どもたちと歌いながら上がり、ザルツブルグの象徴である小高い丘に立つホーエンザルツブルグ城を見て、ハイ・トーンのソプラノで歌い終えていた。

  「ドレミの歌」を真似て、小生は記念写真。そう気分は、わが人生・ミュージカル。

写真は「サウンド・オブ・ミュージック」の「ドレミの歌」フィナーレでマリアや子ども達が歌に合わせて登った階段:ミラベル宮殿横の庭園から養老公園への通路にもなっている階段で、マリアの模倣! 

​ 

追記)2010年、キャッツやオペラ座の怪人の作曲家であるアンドリュー・ロイド・ウェッバーがプロデュースした「サウンド・オブ・ミュージック」が、ロンドンでロングラン・大ヒットし、ALウェッバーの依頼で、日本では、(かつての東宝でななく、)劇団四季が同ミュージカルを演じることになり、現在、劇団四季劇場《秋》でロングラン公演中である。学会出張の機会に小生も一度観劇したが、素晴らしい舞台であった。やがて大阪でのロングラン公演もあろうが、皆に勧めたい舞台である。小生?~再度、体験したい願いがあります。(2010/8/17記)

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[鳥取県医師会報に掲載された文です。]

【私の趣味】

♪ 新 人生 ミュージカル ♪

 1964年封切りのミュージカル映画「メリー・ポピンズ」は、テレビとビデオでしか体験していない。「チム・チム・チェリー」で知られるこの映画 には、絵の中に、主演のジュリー・アンドリュースたちが入っていくシーンにおいて、人物と動画がミックスされており、1964年時としてはあまりにも画期的な手法に、今でも驚きを感じる。

 

 NHKテレビで放映された「メリー・ポピンズ」をビデオに録画したのは何時のことであったろうか?

  幼児であった男の子を含めて、子どもたちが、繰返し、繰返し、飽きることなく見入っていた。そうした様子を見ていて、小児科医としての夢も、この映画の中にあると気づいた。

  あれこれとしつけられつつ、一方で、勉強をせず、悪戯を叱られる銀行員一家の姉弟と、そして、子ども達の本音を聞かないでいる両親。ポピンズが繰広げる魔法の世界、それは、子どもたちが抱き続けたい夢の世界。「メリー・ポピンズ」は映画でこそ、実現可能な夢の世界といえる。そして、近年のディズニー映画「美女と野獣」もアニメゆえに可能な世界と見ていた。「いつの世も変わらぬは 恋心 心奪う 突然に」と、ポット夫人が歌うナンバーも素敵で、子どもといっしょに、小児科医得意の子供心で見入っていた。

 

 それが何と、ディズニー初挑戦のブロードウェイ・ミュージカルになり、大ヒットしたという。わが国でも劇団四季ほか、契約交渉に入ったようなのだが、結果的に、劇団四季が契約を交わした。そして、わが国初のこととなったが、東京・大阪同時に2会場でのロングランとなったのです。当分は、急に上京・上阪が 決ったからとてチケットの入手が適うはずもなく、あきらめ、情報を読みこなす程度でしたが・・・。

  1996年の春、地元の旅行業者が企画したこのB&B観劇ツアーに申込が少ないとのの情報を受けて驚いた。結局は知人にも勧めたりして、小生も家族と連れだって体験したのが5月3日でした。

 

 アニメ以上のエンターテイメント!

  とくに、圧巻は「Be our guest !」で、魔法により蝋燭にされてしまった料理長のルミエールがビューティ・美女を招いたディナーの場面。お皿やナプキン、スプーンやフォークなど、アレコレと台所用品をイメージした衣装で、歌い踊りつづける・・・。「百聞は一見に如かず」で、下手な解説は止めましょう。目を見開いて舞台を見続け、いつしか幸せな気分に浸ることまちがいなし。性別、年齢を超えて十分に楽しめます。

  

 アニメの世界はアニメゆえで、舞台で人間が扮して歌い踊るなどとは、創造もしなかったのですが、「ライオンキング」も同様でしょう。米国ブロードウェイでは、既に、大人気でロングランに入っており、ステージや衣装の斬新さが話題を振りまいているという。わが国では、前述の劇団四季が契約し、今冬に、東京浜松町に新設された四季専用劇場で、12月20日からロングランに入ることが決定している。アニメ「ライオンキング」は、手塚治虫の「ジャングル大帝」の盗用であろうとされているが、さて、舞台は、どのような出来映えでしょうか?

 

 翻って、鳥取県民文化会館は開設5周年を迎えた。記念企画の県民によるミュージカル「茜 飛天~鳥取地名伝説~」が、ライオンキングの本邦初演の日、12月20日に上演されることが決定している。

  物語のキーワードは、天女、羽衣伝説、鳥取の地名にまつわる話などで、親しみやすい。既に、台本読みが2月から始まっており、着々練習が重ねられている7月半ばになって、縁というか、出会いというのか、ヒョンなことから、小生に、出演依頼がきた。予定していた方が、急遽出演できない事情が発生したとのことで、交代者の依頼が必須な状況とかで・・・。

  

 で、何故、小生なのか、自身にも分らぬのだが、かつ、予定された練習日程の半分程度もこなせないのが分っているが、「それでも良いから」とのこと。得体の知れないお爺さん的な役なのだが、台本を見ると、結構重要な位置を占めている。超能力を有する仙人のような役だ・・・。

  通勤の車中で、小さな個室に座した時間に、その他、暇な時間を見出して、その気になって、物語の流れ、台詞、メロディーを覚えましょう。演出家、振付さんに任せて、役作りをして行くことになりましょう。

 

 今年、年男・寅年の小生。一度しかない、人生だもの、流れに乗ってみるのも面白いのかも知れない。わが人生、何と夢のミュージカル出演が実現することになるとは・・・。そう、気分は、わが人生・ミュージカル。

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[鳥取県医師会報に掲載された文です。]

【私の趣味】

♪ 人生 ミュージカル 4 ♪

 1998年12月20日#、県民文化会館5周年を記念して公演された、鳥取県企画部・県文化振興財団による、県民による創作ミュージカル「 茜 ~ 飛天 」に出演の機会を得たことから、人生面白いと感じ始めた小生です。 (#:劇団四季劇場《秋》におけるミュージカル「ライオンキング」公演の初日)

  

 オーディション段階からでは、出演はあり得なかったのですが、たまたま、マラソンに例えれば、折り返し地点で、そう、1年間の半年経過時点で、代役として出演依頼がなかったならば、「わが人生で一度はミュージカルに出てみたい」という夢は、具体性・展望のない夢でしかなかったわけです。中途からの 代役であったがゆえに、中央からプロを招いて決定されている練習日程と、小生のスケジュールがかみ合わない。出演依頼のあった7月、あと5か月という時点で、練習計画の4割程度しか参加できないという状況には、流石に躊躇しましたが、日程を調整し、何とか7割程度の参加までこじつけた次第でした。

  

 鳥取公演が終ってからの声は、祝儀も含めてのことと思いますが、好評であったことは嬉しく思えました。実際、舞台、照明、音響、そして、演出には、中央のプロ集団が参加しておられ、県民の皆様の予測を越えた舞台、仕上りになっていたのです。一方、出演者は、社会人、高校生や、幼児までも含め、演 劇関係の方々、ダンスを学んでおられる方々、そして、舞台出演が初めてという方々でした。何よりも、裏方の皆様、舞台を設営したり、大道具・小道具を造ったり、衣装を担当したりと、これらもプロのアドバイスもいただかれた要素もあったようですが、大半は県民の皆様のボランティアによった舞台でした。

 

 こうした準備が続いていた中での参画でしたが、小生がいただいた「ヤツミミ」は、某氏評の「老賢人」であり、男性で最も出演時間が長く、台詞が多 く、歌も主演の茜に続いて多い重要な役であったわけです。振り返って、聴衆にチケットを購入して貰って小生が舞台に立った経験は、1987年のベートーベン第九演奏会で合唱・バスパート参加が初めてでした。以降、ドイツ語で第九合唱を繰り返し歌う機会があり、モーツアルトのレクイエムやアヴェ・ヴェルム・コルプスを歌い、そして、梨花ホール開館記念の年、祝典第九演奏会の折りに、初めて日本語での合唱「鳥取県民歌」と「ふるさと」を歌ったのでした。そし て、今回、二度目の日本語での歌での舞台が「茜~飛天」でした。それも、振付けをし、台詞もあり、ソロも4曲あるという大役だったのです。

  

 企画を押し進めておられた演出、振付、指揮などの諸先生は、ヤツミミ役の方が仕事の事情から出演不能に陥った重大事に「何とか代役を!」ということであられたでしょう。いわば、経験のない、愛好家としてサークルに所属もしていない素人の小生を選ばねばならなかったことで、大きな冒険でもあったはずです。

  

 昭和60年(1985年)、鳥取県で「わかとり国体」が開催されましたが、平成14年(2002年)には、文化の「国体」と称せられている「国民文化祭」の鳥取県開催が決定しています。これに向けての意義も含められた、今回の「茜~飛天」公演でしたが、願いは、単発花火で終らず、小学生、中学生などにも体験して貰いながら、出演者も入れ換えながら、ストーリー・舞台演出等も練り、「茜~飛天」が鳥取県に根差したミュージカルとして、育ち続けることにあります。

  

 「茜~飛天」が好評であり、かつ、ヤツミミも好評であったようで、安堵していますが、内実は、ヤツミミを楽しませていただいたというのが本音です。これを書いている本日は、数年ぶりの豪雪の様相を呈している休日です。2週後の1月24日には、米子市コンベンションセンターでの公演がありますが、この舞台もまた、一層楽しみたくシミュレーションをしているところです。そう、気分は、わが人生・ミュージカル。 

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[鳥取県医師会報に掲載された文です。]

【私の趣味】

♪ 人生 ミュージカル 5 ♪

 睡眠不足状態や疲労が蓄積したとき、あるいは、深夜に病院から呼び出されたときに、いつしかメロディーを口ずさんでいる自分に気付く。内容は何気ない自作のメロディーであったり、クラシック音楽やミュージカルの主題であったりしている。あるいは、朝起床時などの家族との挨拶において、歌うように、 そうミュージカルのように歌い語りであったりする。

  

 歌うという行為は、いつ頃から人類の財産になったのだろうか・・・。一人の人生においては、子守歌を聞かされることにきっかけが始まろうか。小生 のオフクロは、名のある子守歌ではなく「恭ちゃんは良い子だ、ねんねんね」と定番の歌詞で単純なメロディーを付け、話しかけるように歌っていた。今になって思えば、人生・ミュージカルの端緒が子守歌にあったとも言えるのかも知れない。

  

 保育園・幼稚園時代も歌って踊っての場面が多かろう。自分の思いのままに、感じた通りを、拙劣ではあろうが、言葉に出し、メロディーを付けて、歌うように話すのは、誰しも嬉しいことで、人間であるがゆえの幸せな場面といえようか。

  一人で歌い、二人で歌い合い、さらに人数が増えて斉唱・合唱となれば、コミュニケーションが拙劣・希薄になった昨今であるがゆえに、気持ちを合わせて、まとまりに向う過程であるがゆえに、重要だろうと考える。サウンド・オブ・ミュージックのクライマックスで、トラップ大佐一家が合唱祭で歌う場面を 思い起こすのだが、家族で歌い、国民・民族が大切にしている歌を歌い合う光景には、常に感動を覚える。

  

 旧ソビエト連邦からバルト三国が独立した際のテレビ映像で、リトアニアなどの国民が民族の歌を合唱していた様子も思い起こす。国民の約7割が何らかの合唱団に属している国民である云々のリポートに感動を覚えた。乳幼児や歌えない病弱者もあろうから、国民の大半が合唱団に属していると計算して、驚いた次第であった。

  

 翻って、わが国の学校教育においては、入試体制のあおりから、人生を豊かにする芸術科目が軽視され、かつ、点数漬けがされてきたことに悲劇が(そ う、自分には「悲劇」と表現するのが適切に思えるのです)始まったといえよう。上手・下手、優越感・劣等感・・・・、大半の子どもたちは、歌うことを下手と思いこみ、劣等感を覚えていった学校の音楽であった。教育が人を育てることを願いとするならば、とても「音楽教育」とは言えない状況を体験してきた。そして、大人が、歌うことをためらいだし、ギスギスしていった一面もあろう。カラオケも大半は、うるさい機械相手に一人で歌っているわけで、心を合わせ、ことばを大切にして歌うことからは縁遠い。

 

 国の教育の方針が、革命的に様変わりしていく時代にあって、歌うことを大切にする教育、地域社会造りは、「心の豊かさ」が渇望される現代であるがゆえに、これまでの高度経済成長を目指す単一的価値観を追求める社会通念からの脱皮のためにもかけがえのないこととなろう。

 歌って、語って、表現し、感動を共にしていく日常的生活の光景は、子どもたちの願いであり、高齢社会・福祉社会の願わしい姿と見えてくる。あれ、これって、まるでミュージカルの世界みたいだね。そう、気分は、わが人生・ミュージカル。

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学び・感動の備忘録  

2010年11月記録分 

♪ ミュージカル四方山話 ♪

 「人生ミュージカル」を鳥取県医師会報に5回シリーズで書いてから10年以上経過した。その後も、劇団四季ミュージカル等での感動・研修体験を重ねた。とくに、智頭病院に異動後、いつしか看護師さんたち仲間と共に、「智頭四季の会」と呼称できる仲間と観劇実績が重なって今に至っている。
 夫婦では、2005年正月の3連休を活かして上海に出かけた際に、全くの偶然で、“上海で初めてのミュージカル・ロングラン公演”となった英国カンパニーによる「オペラ座の怪人」を、当然ですが、日本語字幕無しで(!中国語字幕はあったが、分かるはずがなく)舞台に集中して、大感動し、2009年にはロンドンでも「オペラ座の怪人」と「レ・ミゼラブル」を体験し得た。これらの感動!に係る詳細は別記することにしよう。 
 クラシック音楽に関しても、この10年で随分と、自身のレベルにおいてではあるが、飛躍的に視聴能力が高まった。かつ、日々の“研修”環境も、秀逸になり、ますます時間が不足するようになっている昨今です。
 とくに、オペラに関しては、現任地に異動後、随分と視聴演目と視聴水準が高まっていることを実感しています。 
 クラシック音楽、ミュージカルに係る学び・感動を、旅の記録と合わせて、書いてみます。 
 何故? 動機は? ・・・ 小児科外来の仲間に加わった Muhmie さんの、小生の話に呼応した感動的反応があってのことです。ステキな彼女は、自身の感性を母上様に話され、彼女のな(関東で大学生活を過ごされた)ステキ母様は関東在住のステキなお仲間に伝えられ・・・といった伝達があり、なにやら小生の存在が怪しく・妖しくなっているので、実態を晒すことの手段としての書き込みでもあります。 
 さて、いかなる連載?になりますやら・・・。
注) プロ、プロ並、超愛好家の方々が読まれると、「笑止千万!」、「無知・無能な輩がつまらぬことを書いている」との評をされましょうが、その評価は「是」です。
 幸い、自身、今なお発達途上にあることを自覚できており、かつ、これらを通じて、“幸せな人生”を体感しています。“幸せ”には、標準尺度はなく、プロ・アマであることとは無縁であることも承知してもいます。 
◆追記)83歳になるわが母が、最近、孫娘の支援を得て、インターネットを見るようになったこともあります。郷里から離れ、不義理を続けている愚息の生き様を母に見てもらう(読んでもらう)ことにもなります。 

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2018年 9月17日 記 

♪ 続 ミュージカル四方山話 ♪

 まさか、齢68歳間近になっている今、わが人生のミュージカルに係る振り返りをすることになるとは・・・

 劇団四季ミュージカルを体験し始めてから「わが人生ミュージカル」は本音であった。とくに、智頭病院に異動した翌年から職員親睦会の医局役員を担うようになり(~今年度で15年継続!)、提案したのが、当時京都劇場でロングラン公演をしていた【美女と野獣】で、2004年10月17日(日)の日帰り研修旅行が採択され、延長公演の会員先行発売日に間に合い、劇団四季に上申して購入枠を増やしてもらい1階のVIP席を27枚購入(~その後、追加希望があり、計35枚購入)を購入し、責任上、小生分も購入(★)した。

★妻に話をして「久しぶりだから良いわよ」の返答で、二人分も購入した。かつ、せっかくだから、現地で合流することにして、大阪MBS劇場(当時)でこけら落とし公演が始まっていた【アイーダ】の16日(土)夜公演も決めた。【アイーダ】は初めて東京に先駆けて、大阪でのロングランが始まった年で、ロングラン開始当初は智頭病院異動年で、一人小児科医としての冬季の感染症シーズンがどのような診療状況になるかの掌握が(当然のことながら)出来ず、かつ、一人小児科医ゆえに、発売された約5か月間の最終5月末の土曜日夜公演の購入を済ませていた。ロングラン開始間もなくの冬休み期間に娘が観劇し、高評価をしていたことと、3月になり、冬季の感染症のピークが過ぎるなど、診療状況が掴めたこともあり、2階席後方B席で【アイーダ】を初観劇した。遠いので、表情等は見れないが、物語、音楽と照明を主体に、非常に感動した。この伏線があって★!

 われわれ夫婦の観劇計画を垣間見た小児科外来の初代看護師(:旧制同姓で、年代的にも妹相当!)が、外来看護師仲間に声をかけ、想定外だったが、6人が参加した。6人とも看護師・子育て中の母・妻・主婦・・・!然も、大阪出身の一人のみが【ライオンキング】を体験していたのみで、残り5人は劇団四季ミュージカル初体験!であるにも関わらず、約1万円のチケット代金、往復の交通費とホテル宿泊費に飲食費、さらに、子・家族へのお土産代を投資してのこと!

 2004年10月16日(土)1階VIP席での【アイーダ】は、流石に素晴らしかった。濱田めぐみ、阿久津ラダメスなど!

 結果、この日が記念日になった。即ち、1名の入れ替わりはあったが、[智頭四季の会]6人衆は今に至っている。今年、2018年11月も妻とともに計8人が上京し、2回目となる【アラジン】、大井町に新築された専用劇場での(?回目となる)【CATS】2公演研修!さらに、底値で確保できた銀座での宿泊(=田舎人の銀座ライフ研修)も・・・。

 これを書くに至ったきっかけは、昨日(2018/9/16)京都劇場での【シェイクスピア・イン・ラブ】に感嘆・感動したことにあり、わが劇団四季会員歴26年目となる記念作品となった。非ミュージカルであるが、体験したことで、(いつ辞めようかとの思いもあったが)劇団四季会員を継続することにした。今後は軸ブレなし!

 いつまで続く?! さらに25年?となれば、齢93歳か・・・。相変わらず、スタンディングオベーションをし、Bravo!・Brava!・Bravi!(・機会は稀有だが、Brave!)を、通る声で確信的に発している?!

2018年 9月17日(祝:敬老の日)24時間当直の合間に

classic2007

[鳥取県小児科医会の会報誌に掲載された文です。]

【私の趣味】

(2007年4月29日記) 

クラシック音楽鑑賞と兵庫県立芸術文化センター 

 2005年の8月の某日、登録済の「電子チケットぴあ」のメールに珍しく目を留めました。「兵庫県立芸術文化センター」とあったのですが、記憶に無い施設です。調べると、阪神淡路大震災後10年を経過し、西宮に新築された複合ホールと分かりました。

 フランスを基地として世界的に活躍している佐渡 裕 が音楽監督であり、10月、大ホールでの開幕は、佐渡の指揮でベートーベンの交響曲第9番『合唱付』とあります。幸い、日曜日公演があったのですが、既に全席完売であり、記念すべき機会を逸したことは残念至極でした。

 佐渡は、ホールの企画段階から参画し、専属の管弦楽団は、何と、世界十数か国で自らが参加してオーディションをし、教育目的を含め、若い演奏家を選出したとのことです。即ち、わが国では珍しく、“箱モノ”に留まらず、ソフトが両輪となっていることは特筆すべきことでしょう。

 4階席まであり、2,000席を越える大ホールは、木のやわらかさ、温かみがあり、音響も秀逸で、自身にとっては、東京のサントリーホールと共に、居心地の良い大好きな空間です。

 また、417席の小ホールは天井が高く、ステキな空間で、ステージを取り囲む8角形に席があります。前方3ゾーンが聴き易く、見易いのですが、この3ゾーンでは260席となる、贅沢な空間です。

 さて、兵庫芸術文化センター管弦楽団(兵庫PACオケ)は、2006年4月に第1回定期演奏会(定演)を開始し、第1期1年間に8回の公演を済ませ、今年4月から第2期(2008年6月までの9回公演分)が始まっています。ありがたいことに、定演は土・日の15時開演であり、(土曜日の夜は神戸に宿泊し・・・)日曜公演でも終演後病院に帰着し、回診することも出来ます。

 定演の“年間通し券”を購入すると、年間を通じて《 my seat 》で聴けることが出来ることが嬉しく、かつ、1回分が3,150円と格安になること(各回購入では4,200円)の利点もあります。

 ただし、第1期、第2期とも、予測を超えた人気で、完売になっていることが難点(?)ですが・・・。

 関心のある方は、第3期(欧米並みに9月スタート;2008年9月からの1年間)を狙うことになります。発売日はいつになりましょうか・・・。(2008年5・6月頃?)

 チケットの“完売”は、兵庫PACオケの定演のみならず、オペラでもあります。例えば、2006年はプッチーニの「蝶々夫人」が当初6公演の企画でしたが、2公演が追加され、計8公演、約16,000席が完売になるという、《クラシック音楽界における事件》になりました。そして、今年は7月下旬から6公演のモーツアルト作曲「魔笛」がありますが、これまた完売となりました。(5月に追加公演の発表予定)

 兵庫PACオケは、コンサートマスターを除き、若い人たちが主体ですが、佐渡 裕 や、国内外から招聘された新進気鋭・実績のある指揮者により、素晴らしい演奏を重ねています。定演、オペラのみならず、小ホールでのアンサンブル、とくに、(鳥取県人には体験できませんが、)平日の午後には500円で聴ける“1 coin concert”など、企画が目白押しです。

 兵庫県立芸術文化センターは無料登録の会員制を導入しています。関心のある方は、まずは、HPにアクセスし、各種の情報に触れてはいかがでしょうか? そして、生演奏と共に、両ホール(楽器としてのホールの良さ)を、是非、体験してみられますように!

 

★追記1
 2006年11月の第5回定期演奏会に、ジャズピアニストの小曽根 真 がモーツアルトのピアノ協奏曲第9番『ジュノム』を演奏しました。曲中、とくにカデンツァにおいては、ジャズピアニストならではの味わいがあり、心躍るような気持ちで嬉しく聴けました。この年、小曽根は、東京国際フォーラムを主会場として開催された第2回“熱狂の日”と宮崎国際音楽祭において、各々異なる指揮者、オーケストラと組んで、同じ『ジュノム』を演奏しています。兵庫を除いて、NHK-BS2で放映されたこと(~録画済)で、小生は小曽根による『ジュノム』のピアノ演奏を3回聴く機会に恵まれました。ジャズピアニストゆえに当然といえましょうが、小曽根のカデンツァは毎回異なり、各々味わい深い演奏となっていました。モーツアルトが現代に生きていたら、小曽根の演奏を喜び、ジャズを取り入れた自由闊達な曲を創ったことでしょうねぇ・・・。

  

★追記2
 現在、第一線で活躍する指揮者としては世界最高齢とされるスクロヴァチェフスキの演奏をNHKで見聴きしました。ベートーベンの交響曲でしたが、毅然かつ実直な演奏を心に留めていました。彼が手勢のザールブリュッケン放送交響楽団を伴い、2006年、東京でベートーベンの9つの交響曲の全曲演奏をするとの情報をチラシで得たのですが、関西では、兵庫県立芸術文化センターで1回公演のみで、6番『田園』と5番『運命』を演奏するとのこと!:平日19時開演でしたが、幸い、当時は智頭医療圏における感染症が少なく、一方、チケットの売れが、小生の期待に反して(?)全く低迷していたこともあり、看護師さんの許しを得て(?)、2時間の時間休を得て出かけた次第です。

 当日は、約半数の空席がありました。小生は楽団員に申し訳ない思い(?)で、彼らが登場してから揃うまで、拍手を続けて迎えようと決めました。小生は2階席でしたが、1階席からも(心を共にしたファンからの)拍手が持続し、ホール全体に拍手が響き続きました。なお、団員を迎える拍手は、後半も同様で、楽団員が揃うまで、拍手が途切れませんでした。演奏? ⇒ 秀逸、感動モノでした。

 1曲目の『田園』で「bravo!」、2曲目の『運命』でも勿論「bravo!」の連発!~小生は大きな声が出るのですが、全く見知らぬ、隣席界隈の淑女的な女性から「もっとブラボー!を発してください」と、妙な依頼をされた次第で、感動を分かち合いました。珍しい体験でした。

 83歳のスクロヴァチェフスキは、鳴り止まない拍手に何度も何度もステージに戻り、最後は、コンサートマスターの手を取り、楽団員を退かせたほどでした。それでも、拍手が持続し、女性ヴァイオリニストがスクロヴァチェフスキの手をつなぎ、再びステージに顔を見せたのです。思い出に残る、印象的な場面でした。隣席界隈の(高齢の)女性たちと「すばらしい演奏会でしたね」と話しつつ帰路に・・・。

 スクロヴァチェフスキ指揮ザールブリュッケン放送交響楽団によるベートーベンの交響曲は全曲が販売されています。タワーレコードなどで購入可能ですが、今調べたら格安のbox輸入版が出ていました。

 

★追記3
 今年1月の日曜日、佐渡の指揮で兵庫PACオケ第6回定期演奏会がありました。いつもと違う大ホールロビーの雰囲気があり、中に入ると“開館50万人記念”の垂れ幕がありました。セレモニーでは、佐渡音楽監督と兵庫県知事がスピーチされました。一方、佐渡が関与し、楽団員が自主運営しているフランスのオーケストラ(ラムルー管弦楽団)の存続に係るドキュメントをNHKが放映して間もない頃でした。小生はその番組を見たのですが、セレモニー終了後、佐渡に感想・感動したことなどを話したのです。佐渡は喜び、固く握手を交わした次第でした。演奏以外の出合いも嬉しいことです。

 

★おわりに
 智頭に異動して3年半になります。智頭に居るときは常にon standbyであり、鳥取の自宅に帰った時も、on call です。(この約半年間、疲労感が蓄積気味であり、)息抜きを兼ねて、(美術館等を含め)“芸術文化活動”に(入院患者の状況等をみて、)出かけるようにしています。

  

 留守の間は、鳥取市内の病院小児科の諸先生には、智頭の子どもたちの急患診療を全面的に委ねることになります。これまでもお世話になりましたし、今後も何卒よろしくお願いいたします。

classic2010

[鳥取大学マンドリンクラブ50周年記念誌に掲載された文です。]

♪ Viva!わが音楽人生 ♪

 2009年末、わがクラシック音楽の導師であるKK先輩が湖山の拙宅に来てくださった。振り返ればS45入学で、クラシック音楽が無縁の人生だった小生に対し、導師は「ベートーベンのバイオリン協奏曲」を聴かせつ、「繰り返し聴けば、良さが分かるようになる」と勧めてくださった。その後、1,000円の廉価版LPを買い、繰り返しターンテーブルに乗せ続けた。聴き込むうちに何となく良さが分かったような気になったのですが、今からすれば、全くの序の口でした。 

  

 あれから40年近い年月が過ぎた今、仕事以外では、クラシック音楽に親しむ日々です。BSやNHK教育で放映されるオペラ、オーケストラ、室内楽をハイビジョン録画し、気に入ればDVD-Rを作成し続け、妻(S46教小)からは、「いつ視聴するの?」と言われつつ、月6・7回の病院当直の機会も活かし、何とか時間を作り出しています。また、CD(・DVD)を、TowerRecord、AmazonやYahoo! Auctionで探し、購入してもいます。気に入ればPC / iTunesに入れ、音楽データとして出張の際にも音研修!

 

 1981年から22年余の県中時代、厚生省・厚労省や文科省の研究班等で上京を繰り返していました。妻が「東京に行ってもとんぼ返りで病院勤務。他の人はゴルフや釣り・・・」と発言したことがヒントになり、夜行列車(廃止された「出雲号」)での往復を止め、東京で一泊し、翌朝一便のANAで帰鳥しての直接出勤が定着しました。会議は17時過ぎには終わるので、会員となったサントリー・ホールのほか、オーチャード・ホール、芸術劇場、文化会館、王子ホール等での演奏会体験(・研修!)を重ねました。 

 

 2003年11月、県中の管理職を辞し、2年余、小児科医無医地区だった医療圏内一人小児科医として智頭病院に異動しました。2005年8月下旬、珍しく電子チケット・ピアからのメール文を見たのです。「兵庫県立芸術文化センター」(HPAC)と、見慣れない文字列がありました。で、調べると、「10月22日(土)開館。佐渡 裕 音楽監督の指揮、PAC管弦楽団でBeethovenの『第九』5連続記念公演」がありました。が、既に完売。同日、小ホールで《モンテヴェルディ・ガラ》があると分かり、出かけました。その後、平均すれば、この5年間、毎月1回程度、HPACで視聴・研修している実績です。 

 

 一方、出雲高校2年の時に授業をさぼり、映画館の大看板に描かれた美女に惹かれて初体験したのが「MY FAIR LADY」、そうmusicalでした。その後も「SOUNDOF MUSIC」・「WEST SIDE STORY」など、映画のmusicalに魅せられていたのです。ところが、学校が4週6休となった1993年7月に、妻・娘の主導で、家族で体験したのが、旧難波球場跡地の銀色のドーム!劇団四季の舞台musical【CATS】でした。思いがけない感動体験で、四季の会員になり、観劇歴は17年目になりました。 

 演奏会や観劇等で病院・医療圏を離れる機会は、エネルギーの枯渇防止・充電に役立ちます。HPACの定演は、幸い週末なので、小生は1泊し、これと連動して、看護師さんたちは日帰りで、年に数回は、“智頭四季の会”と称し、大阪や京都(&東京!)での劇団四季公演を共に感動・体験しています。 

 

〓 思い出を列記してみました。 

HPAC管弦楽団定期会員:2006年4月からの第1期、2階席中央から下手側の1席(2C16)が年間my seatでした。2階席下手側は、オーケストラ、ソリストが良く見え、音響的も優れ、幸いでした。その後、2B16、2B16と続き、4期目の現在も2階席下手寄り席(2A23)で、研修を継続しています。
 一昨年の3期目からは、欧米並みに9月スタートで、年9公演です。“箱モノ”行政が問題とされるわが国ですが、HPACは、佐渡 裕 が世界的なオーディションを実施し、16か国の若手演奏者が集い、在籍を最長3年間として、教育の意図も含めたオーケストラを先行させて、開館を迎えていたのです。 

HPAC大ホール:2000余の箱型構造で、環境・音響に優れ、今や、本邦一・二の公演回数・質になっています。プロの評価も高く、かつ、企画力も優れているが所以です。未体験の方は是非どうぞ! 

HPAC小ホール:開館日に初体験し、惚れました。西日本で唯一のワインヤード方式で、八角形構造の500席ほどですが、望ましいのは前方側3区画300席程度です。今や“我が音の故郷!”です。 

K導師とのアンドルー・マンゼ体験:HPAC定演の翌日、2008年6月8日(日)に、小ホールでのリサイタルを超感動体験しました。バロック・バイオリンの繊細な響きが活かされる小ホール自体が素晴らしい楽器であることも体感した次第です。翌日の東京公演分がNHKで繰り返し放映されています。購入したCDでの演奏を、導師と我が“音部屋”のBOSE サウンドで共有できたのは幸いでした。 

佐渡 裕 プロデュース・オペラ:毎年6月下旬~7月の公演です。2006年 プッチーニ〔蝶々夫人〕8公演(+再演4公演)、2007年 モーツアルト〔魔笛〕8公演、そして、2008年のレハール〔メリー・ウィドー〕は、初めて日本語公演で、佐藤しのぶ・塩田美奈子のダブルキャストでした。桂ざこばや宝塚出身の平みち等が関西弁で演じ、舞台も宝塚調の花道を設けるなど話題性が大きく、計12公演の完売が、業界の“事件”になりました。2009年は、東京二期会とも連動し、兵庫、名古屋、東京で計15公演、ビゼーの〔カルメン〕でした。兵庫公演をNHKが2回放映しており、映像でも楽しんでいます。
 全演目の主役はダブルキャストで、〔メリー・ウィドー〕以外は一人が日本人でした。NHKのハイビジョン放映分〔カルメン〕の林美智子は、昨年正月のNHKニューイヤー・オペラ・コンサートでも同役を歌っていました。また、佐渡 裕 が司会の「題名のない音楽界」でも“江戸版”仕様での〔メリー・ウィドー〕や、昨年は〔カルメン〕も紹介されましたが、ご覧になられた方がおられましょうか? 

幻のニジンスキー振付初演版《春の祭典》の復刻上演:2005年11月13日(日)の“バレエ・ガラ”のメインでした。小生は4階席の下手隅の席でしたが、ニジンスキーの特異なフォーメーション・振付が良く見え、感動しました。その後、サンクトペテルブルクの2008年“白夜祭”で上演されたゲルギエフ指揮、マリインスキー劇場の同じニジンスキー版の≪春の祭典≫を、(NHK放映のハイビジョン映像、BOSEサウンドですが、)体験しました。カメラは、バレエ公演の一般的アングルと、真上の天井設置分が主体であり、円形動作を活かした振付、HPACで感動したアングルが乏しくて、残念でした。
 この舞台は、昨年末にも、≪火の鳥≫と合わせ、再放送されました。ハイビジョンレコーダーに残してありますので、機会を得て、導師とともに体験共有が図れるかナ? 

スクロバチェフスキ指揮、ザールブリュッケン放送交響楽団演奏会:NHK交響楽団の定期演奏会でベートーベンの交響曲を指揮している放映分を聴いてファンになりました。東京では、手勢のザールブリュッケン響を指揮して、ベートーベンの交響曲を連続公演しました(同交響曲CD全集はオススメ!)が、関西では、唯一、HPACでの1公演で、6番『田園』と5番『運命』でした。平日の19時開演でしたが、HPACのHPでチケットを購入し、2時間の時間休を取得し、鑑賞研修に!出かけました。
 智頭は鳥取県の南東端に位置し、鳥取市を起点にすると僻地ですが、南東を向けば、関西に至近の地になります。智頭急行の特急 スーパーはくと に乗車すると時間距離は近いわけです。
 さて、当日の演奏会は小生の予想に反して、HPAC大ホールにしては例外的なことですが、客入りが悪かったのです。で、期待感と、“WELCOME”の願いを込め、団員がステージに上がる際から全員が出そろうまで、自席(2B16)からしっかりと拍手をし続けたのです。客席の拍手は止みませんでした。
 演奏は?~ハイ!期待通り秀逸で、『田園』の冒頭から、「来て良かった」と感じました。『田園』が終わって「Bravo!」の発声をしたのは勿論です! 休憩後、団員が舞台に出始めたら拍手!~ 小生が確信的に大きな拍手を続けたからというわけではないでしょうが、客席からの拍手が、極めて例外的なことですが、持続しました。『運命』が終わって、勿論、盛大な拍手と共に「Bravo!」を発しました。すると、何と、2席上手の上品な高齢淑女から唐突にもっとブラボー」をとの要請が、見知らぬ小生にあったのです。ならば、と、第九の合唱バスパートで鍛えた大きな声で「Bravo!!」を発しました。
 スクロバチェフスキに促されて団員が退いた後も、拍手が止まらず、若手の女性バイオリニストと手を携えてステージに戻る場面も! 70年代後半、カール・ベームが来日した際の映像を思い出しました。 

Musicalの感動体験:昨秋、ロンドンでの【オペラ座の怪人】、劇団四季の【ジーザス・クライスト・スーパースター】、【アイーダ】、【ライオンキング】やS回転最前列最中央での【キャッツ】などナド・・・ 

自身の出演 : 県民musicalの準主役や、皇太子殿下・妃殿下ご臨席の鳥取開催第17回国民文化祭初日に“都の大王”役で《梨花ホール》に、【55ステップス】ではナ何と大阪四季劇場の生の舞台にも! 

('10/ 8/20 up)

2003star

演劇体験/鳥取大学医学部 同窓会誌

「鳥取大学医学部 同窓会誌」に掲載/2003年4月 記

演 劇 体 験

 “文化の国体”と称される「第17回 国民文化祭“夢フェスタとっとり”」が2002年秋、鳥取県で開催されました。皇太子殿下・妃殿下をお迎えしたオープニングセレモニーの後に「交響詩 とっとり」が上演されました。それは、ダンスと映像で織りなし、ストーリーは1998年に上演された創作ミュージカル「茜~飛天」が基になっていたものです。

 以上を紹介したのは、巡り合わせに驚いているのですが、両企画に“代役”出演したからです。

 
 演劇体験は小学校6年生の時が最初で、次いで、1975年秋、当時学3の錦祭において、記念講堂で演じた程度でした。学生時代にはマンドリンを演奏し、いつしかクラシック音楽にも馴染み、数年毎に開催される年末の「第九」での合唱(バス)参加が定着していました。

 一方、ミュージカルに関しては、高校時代に映画

「マイ・フェア・レディ」に魅せられ、1993年7月に「キャッツ」のステージに触れて感動し、劇団四季の会員となり、学会出張の際などに、観劇体験を重ねていました。

​ 

​ 機会を得て、一度はミュージカルに出演したいとの思いが潜在していたのです。
 

 1998年7月、ミュージカルへの出演依頼の情報が妻を介して入りました。
 申し出を聞くことにし、台本が届いてみれば、妻は「あなた大変よ!台本の最初に書かれている役」だと。それは、1997年12月、地元紙に、「県の主催、創作ミュージカル、オーディション」等と紹介された企画でした。天女の羽衣伝説と、鳥取の地名伝説を絡めた創作ミュージカルであり、主役は、天女~里人~白鳥と変身する“茜”です。
  
 舞台廻し役が“ヤツミミ”なる齢数百歳の超人で、都の大王もひれ伏すという設定で、そのヤツミミ役を急遽仰せつかった次第でした。マラソンに例えれば、折り返し地点に至って、急遽、“代役”というわけです。オーディションによるヤツミミ役の方が仕事の関係で継続できなくなったということでした。

  

 自身、再々練習に参加出来るはずもなく、演劇界で著名な方が来鳥される土・日の日程には極力参加することとしてお受けした次第でした。

 それにしても、ソロが4曲、出番・台詞も男性では最多の役でした。通勤途上、半畳の個室などで練習を重ねつつ、やがて、本番の前々日になり、指揮者が「音合わせをしましょう」と。で、音程が狂う個所があるとの指摘・・・。時すでに遅しでした。本番では、練習で間違えたことのない台詞が出てこないなどの“頭が真っ白”になるという貴重な(?)体験もしました。

 

 翌年1月には米子コンベンションセンターでの公演もこなしました。米子公演後に、主催者として舞台挨拶された西尾知事(当時)から「すばらしい声だ」とのお褒めをいただき、求められて記念写真。
 後日、公演のビデオを視聴しますと、音程が・・・(皆様の想像に委ねます)。

 

 2002年8月、県の企画課からの依頼が飛び込んで来ました。本番まで2か月ないという時期に、都の大王役の方が体調を崩され、小生に代役をとのことでした。地元演出家と大王役のお二方が、小生を推薦されたようでしたが、同年は鳥取県立病院の組織改革があり、それまでの小児科の責任から、医療局長としての責務を担うことになった状況もあり、躊躇しました。が、院長、病院事業管理者は「面白いじゃない!受けてみたら」との話。ならばと、お受けした次第でした。

 あらすじは「茜~飛天」を基にしていましたが、NHKエンタープライズが参画し、一新されていました。歌は合唱に限られ、ダンスが主体であり、台詞は大王と皇子のみでした。大王の振り付けは決まっておらず、大王に関わりのある后や皇子の立ち位置などを、自身で設定し、台詞も改変・追加して、演じた次第でした。

 

 さて、鳥取の地名伝説はこうです。

 言葉が話せないで育った皇子が、優雅に飛ぶ白鳥を見て、「鳥が飛んでいる。あの白い鳥が欲しい」と話します。大王の命を受け、猛者が捕らえたところ、それは白鳥に姿を変えた茜だったのです。縁あって宮殿に入った茜は、献身的に皇子に尽しました。時が流れ、都の大王は「茜には本当に感謝の気持ちで一杯だ。皇子はすっかり健やかになった。この喜びを後々の世まで語り伝えるために、トリを捕らえたこの土地に名を名づける! 茜・・・白鳥・・・ !トリを捕らえたこの土地ゆえ、トトリと名づける!」と力強く言葉を発します。“トトリ”がやがて“鳥取”に至る過程を合唱で歌い上げます。そして、茜は天女となり、天を舞うのでした。

  ところで、「トトリと名づける!」との台詞があってオーケストラが次の曲を演奏するまでの時間の空白に気づいたのは、本番前日でした。それまではカセットテープで継ぎ接ぎの練習であったため、空白に気づかなかったのです。

 

 NHKのプロに、「名づける!の台詞の後、仁王立ちのままストップモーションで良いか」と尋ねたら、「良いですね。是非、大見得を」とのこと。まるで歌舞伎です。で、本番ではこの台詞後の大見得に、客席から拍手が出たほどでした。

  

  名無しから始まった紹介パンフでしたが、本番のプログラムには、「演劇:大王役」として、小生の氏名が掲載されるに至った次第でした。

 

 後日、思いがけず、片山善博知事からの感謝状をもいただいた次第です。思いもよらなかった貴重な演劇体験となりました。

  この後も“代役”での機会があるのでしょうか・・・。密かに機会をうかがいつつ、劇団四季の発声法の練習を重ねましょう。

​= 写真集はコチラ

 

 

*蛇足:劇団四季の発声法は、腹式呼吸は当然として、他に二つあります。
 まずは“母音法”。これは、子音を外して、母音だけで台詞を練習する方式です。例えば、“トトリと名づける”は“おおいおあうえう”、“医学部 同窓会”は“いあうう おうおうあい”となります。
 そして、“あいうえお いうえおあ うえおあい えおあいう おあいうえ”と一音ずつずらして発声します。“かきくけこ きくけこか くけこかき けこかきくこかきくけ”・・・。興ずれば、“りゃりりゅれりょ りりゅれりょりゃ りゅれりょりゃり れりょりゃりりゅ りょりゃりりゅれ”まで進めます。これらは、講演、テレビ等において、役立っていると自認しています。

 皆様もチャレンジをいかがでしょうか? そして、“演劇体験”をも! 

  (2010/ 8/21 up)

MAMMA MIA!

MAMMA MIA!

-HEAR WE GO AGAIN-

 見たのは全く偶然だった。機会に恵まれたことに、(皆が言う“強運の恭さん”に)感謝至極です。観たのは2018年 9月 9日()TOHOシネマズ西宮OSで。

 

 虎さんファンの彼女と、隠れ虚人的小生が前日・当日と甲子園球場での虚人戦に臨んていたのですが、秋雨前線に見舞われて、「雨なら映画でも観た方が良いワ」との発言を受けて、探したら、「エ?!ナ何!と知ったのが本作でした。開映 09:20をネットで購入し、見て堪能至極!!!

 

 劇団四季の舞台版【マンマ・ミーア!】を出張時に東京汐留の電通四季劇場〔海〕の前側方A席で体感したのが最初で、後に大阪四季劇場でのロングランには、小生の仲間たち、そう智頭四季の会の中核は勿論、

 珍しく映画【MAMMA MIA!-HEAR WE GO AGAIN-】のパンフレットを購入した。写真に撮ることは問題なかろう。備忘録的に、感動を思い起こしつつ、以下の自撮り写真で構成した。DVDが発売されたら購入だ! そして、鑑賞会を!!

職員親睦会の日帰り研修旅行企画などで、多くの職員が、繰り返して体感・感動した公演の一つが【マンマ・ミーア!】でした。[備忘録的検索結果 東京初演:2002年12月1日 - 2004年11月28日(電通四季劇場[海]、こけら落し公演) 大阪初演:2005年1月9日 - 2007年2月12日(大阪四季劇場、こけら落し公演]大阪での2年余に及ぶロングラン中、ドナ・シェリダンは保坂知寿が一貫して担った。そして、千秋楽公演に、何と四季から小生に招待状が届いた。席もJ列中央ブロックやや下手のVIP席であった。カーテンコールで「知寿さん!帰っておいでよ~!」と発した。実は、彼女が本公演で退団!

 その後、映画版【MAMMA MIA!】を観て、大女優メリル・ストリープの歌唱力・ダンス力や、他の面々の想定外の歌唱・力量に驚嘆したのです。

 私事、単独・自由設計でロンドンを訪れた際、【MAMMA MIA!】は、2011年 5月 9日(月)19:30~ プリンス劇場 Prince of Wales Theater(当時:現在はノヴェロ劇場 Novello Theatreでロングラン上演が続いている!)で体験し、感動した。

 そして、今回の映画【MAMMA MIA!-HEAR WE GO AGAIN-】は、創られた物語自体、10年前のメインキャスト、今回のメインキャストの力量に驚嘆的感動!【マンマ・ミーア!】ファンは必見の映画です。

 調べると、関西では【マンマ・ミーア!】の最終上演が2012年 4月 8日の京都公演が最後・・・。東京公演も約2年ないが、上京自体にお金がかかるので、できれば関西での再演を願う。ン?!ロンドンで【MAMMA MIA!】を追体験?! ?年後!

 

 2018年作品【MAMMA MIA!-HEAR WE GO AGAIN-】を観る前に、必ず2008年のオリジナル【MAMMA MIA!】の事前体験が大切!~続編の物語がいかに上手く作られているかが分かる!

 ところで、大阪四季劇場こけら落し前の[いま、感動の舞台へ・・・ ~誕生!大阪四季劇場~]は、貴重な49分20秒のメモリアル動画!

 保坂知寿さんのドナ、浅利慶太の見識などを見ることが出来る。【マンマ・ミーア!】大阪公演の総稽古における指導も今となれば懐かしい。

 京都劇場【恋に落ちたシェイクスピア】公演の際に、キャスティングボードの至近に設置されていた

故 浅利慶太氏を偲ぶコーナー 撮影:2018/ 9/16 12:33

 '18/9/18 当直明けの早暁

TMC60th
vienna

鳥取大学マンドリンクラブ60周年記念誌用の原稿です。

2018年 1月11日 寄稿

感謝しつつ

 

 2010年1月に50周年記念誌に寄稿して以降、私事、摩訶不思議の8年であり、さらに持続する予感を抱いています。想定外の音楽人生に至った主軸は、(勿論仕事以外では、)ウィーンでの生涯研修!
 発端は、自身の還暦記念として、妻(S46 教小)が初体験となるロンドンに二人で5連泊したこと。この際は、近年、力を増して“カミサマ”に昇華した妻の圧力で、ミュージカル研修は【オペラ座の怪人】のみ。が、ナイショで【レ・ミゼラブル】も買い、2公演としたが、クラシック演奏会は皆無。

 1997年11月に自治体病院協議会主催の西欧医療施設団員として赴いた際、全日フリーの単独行動日に、現地で(ご承知の通り格安で)チケットを購入し、テムズ河畔のロイヤルフェスティバルホールとシティにあるバービカンセンターで聴いた実績があったゆえに、2009年9月末は不完全燃焼だったのです。
 

 その後、妻は近居の孫娘の養育と実母の介護で動けず、一方、小生は悶々とした日々。カミサマの許可が出て、2011年5月に単独で7連泊し、ミュージカル5演目(既述の2演目、【マンマ・ミーア!】・【ウィキッド】・【ビリー・エリオット】)と、ロイヤルフェスティバルホールでのメジャーオーケストラ3公演、そして、最終夜にロイヤルアルバートホールでのスペシャル公演にも恵まれたのでした。
 一方、1994年10月に妻を伴って訪れたウィーンは、インターネット情報が乏しかった当時のことで、消化不良であったこともあり、単独での再訪を意思表示していました。「英語がまともに話せないのにドイツ語圏?!」と医局仲間に怪訝に思われてもいたのですが、ウィーン研修の軸ブレは皆無でした。


 50周年記念誌にも書きましたが、わがクラシック音楽の導師で、今や同志のメグさんが病院を訪ねて来られたのが、前年度末で教職を退職された翌2011年夏のこと。帰宅後、カミサマにメグさんをウィーンに誘うことについてお伺いを立てたら、あっさりと「誘ってみたら」とのお言葉!
 メグさんに提案したら、即決的に意思表示があり、ウィーンへの自由旅行が決定したのです。
 2012年5月、時差7時間の現地到着後、西欧が初めてのメグさんと二人で、ハイドンゆかりのケラー(Esterhazykeller)に入り、白ワインで乾杯!

 飲食後、彼の同意を得て、少し回り道をした。王宮門界隈から色彩豊かにライトアップされた市庁舎の尖塔が美しかった。

 メグさんは小生と同様に飲むと顔が赤くなる。旧年、鳥取開催のマンクラOB会でも彼の顔が赤いのを見ていた。お互いが語り合う機会は、学年が異なることもあって、瞬時だった。つまり、彼がどの程度飲めるのかについては知る由もなかった。
 事後談だが、ウィーンに着いた夜、彼は「朦朧としていた」由。時差7時間のウィーンを歩いていた時間帯は既に日本は早朝で、つまり、徹夜状態で、かつ、初めての西欧で、小生より緊張感があったろうし、加えて、メグさんはアルコールがほぼ飲めないことが分かったのでした。


 ウィーン国立歌劇場に無料のネット会員登録をし、学生気分で、11EUR、13EURの席を買い求め、オペラ研修をした。彼はオペラ初体験との由で、拙宅の〔Grand-Pa Hall“MIRO”〕で、事前研修を重ねた上での本番研修だった。

 忘れることのない現地初体験はワーグナーの【さまよえるオランダ人】で、男声合唱の強さに圧倒された。

 ゴールデンウィークの期間を当直等で詰めた後に出かける5月のウィーンは、約1か月間続く[ウィーン芸術週間]と重なる。市庁舎前広場での多彩なイベントや、夜のカラフルなライトアップ然りです。期間中、ウィーンフィルとウィーン交響楽団が隔年に、各々の本拠地である楽友協会“黄金のホール”とコンツェルトハウスでの演奏会を主催している。

 現地人は慣れっこであろうし、一方、旅行業者も手を出さないのか、各々が世界一流の指揮者で演奏会を開催するが、そのチケットも格安で、ネット購入できる。はい。各会場も無料ネット会員になっています。


 ウィーンフィルは、ご承知の方も多いでしょうが、公務員として、国立歌劇場のオーケストラピットで、オペラとバレエの生演奏が本業で、ウィーン国立歌劇場管弦楽団の団員として実績を積んだ仲間が、「ステージ上で演奏をしたい」との思いから、同好会的に結成され、現在に至っているわけです。つまり、ウィーン国立歌劇場を離れて演奏する機会がウィーンフィルの呼称ですネ。発足は宮廷時代の1812年で、本拠地の楽友協会は1870年の建築。

 “黄金のホール”は未だに世界で最も響きの良いホールの一つとして著名ですが、一方、演奏会中に、重心を移動した人が発する木製の椅子が軋むノイズに見舞われます。
 2016年5月に看護師二人を伴った際、ウィーンフィル定演のチケットは、オーケストラステージ席!

 指揮はクリストフ・エッシェンバッハで、TMC馴染みのエグモント序曲に始まり、ブラームスのVn.協奏曲、後半はシューマン。大編成でないため、恒例により、空いたステージ上空間に椅子を並べた席で、指揮者の眼光を見つつ、稀有なホール音での視聴でした。ウィーンフィルの無料ネット会員でもあり、有料会員がチケットを確保した後の一般会員発売日時にいち早くPC操作し、チケットを得ています。
 ウィーンフィルの年間定期会員になるには13-14年待ちが常態と理解していますが、公務等で聴けない会員が、チケットを返す文化が定着しており、この恩恵で定期演奏会の席を得ることになります。

 

 メグさんのキーワードに、巨匠ワレリー・ゲルギエフと、ストラヴィンスキー「春の祭典」があります。生で視聴したのは、2012年5月、コンツェルトハウスで、ロンドン交響楽団。小生の好むギャラリー最前列中央連番席の超VIP席が連番で購入できたのも、前記の空席としない文化の成せる業!
 この年のオペラの目玉は、当代随一と評するメゾソプラノであるエリーナ・ガランチャが実質的には主役と言える男役セストで出演したモーツァルト最晩年の【皇帝ティートの慈悲】でした。彼女の声に惚れ♪、彼女に片思い状態の小生ですが、国立歌劇場のロジェ(ボックス席)2列目(13EUR)席で、最前列のお客の迷惑にならないように、天井に手を置いて立ち、覗き込んで、聴き入った結果、メグさんは「なるほど素晴らしい!」と、感動の余り(?) 観劇後の遅い夕食をご馳走してくれたほどでした。
 これが契機となり、翌シーズン5月にガランチャが持ち役的な【カルメン】で出演すると知り、カミサマをスイスにお連れする内約を反故にして、そう平謝りに徹し、結果的に、何とメグさんと2年連続のウィーン研修となりました。ところが、素人の自由旅行ゆえの大事件が勃発・・・! トホホ?!


 ウィーン国立歌劇場のオフィスで、購入予約コードを提出したら、ナ何と「配席されていない」との由。現地のシステムに不慣れであった所以だが、実はこの年はワーグナー生誕200年の記念年で、200年前の5月22日の誕生日に《ニーベルングの指輪》第三夜【神々の黄昏】が上演され、その3日前が【ジークフリート】だった。当然ながら、これらも配席されていなかった。が、メゲル小生ではない。フォルクスオーパーの【魔笛】を買い、既述の3公演は立ち見に並ぶことに帰結。結果? 大正解!
 紙面の都合上、詳細は省きます。OB(・OG)会の席上、メグさんも感動体験を話してくれましょう。
 【カルメン】は、上演日に3時間半のドナウ川クルーズを終えた後、国立歌劇場へ。立ち見の列が出来始めていたので、当然、並びました。開演まで優雅な4時間余の成果で、立ち見の最良席を3EURで確保し、堪能した次第でした。当日は、ガランチャの調子が今一でしたが、NYメトロポリタン歌劇場の公演♪と異なり、ロベルト・アラーニャが絶好調で、かつ、ミカエラ役の初体験アニタ・ハルティッヒの声に魅了された。プロ野球同様、秀逸な新人を体感し、一方、スター選手の体調など生ものです。


 2018年5月の単独ウィーンでもアラーニャとガランチャが出演する【サムソンとデリラ】は5年ぶりに立ち見になるかも・・・。2012年以降、ウィーンは8回目で各々7-8連泊の実績で、スイスをトラベルパスで巡る自由旅行と共に、今後も続きそうです。
 次は、どなたを誘って行くことになりましょうか・・・。 アナタ?!
 関心のある方は、随筆[続 ウィーンを愛して]・[スイス悠々]が智頭病院小児科HPにあります。予習を兼ねて、動画集(You Tubeにup)と共にご覧ください。
♪:録画は保有しています。わが〔Grand-Pa Hall〕での体感も是! 百聞は一見(聴)に如かず!

<寄稿後、8か月余が経過した時点での追記>

 【サムソンとデリラ】も望んだ席が配席されました。公演の70日前で、配席の妙と言うべきか、1席のみなので小生に・・・

 ウィーン国立歌劇場の座席図と価格帯(2017/18シーズン)はコチラにあります。そして、【サムソンとデリラ】公演当日の情報はコチラにあります

(2018/9/18 現在)

備忘録) CONDUCTOR:Marco Armiliato   Dalila:Elīna Garanča   Samson:Roberto Alagna

​ 2013年5月に同歌劇場【カルメン】同様、ガランチャとアラーニャのコンビで体験できたことは嬉しかった。二人とも好調で、かつ、他のキャストも名前と顔は覚えていないが、各々上手(と書く程度の文才のない小生の拙い表記)だった。合唱は秀逸!

 一方、舞台(大道具)、衣装は、絵に例えると、抽象画的で、今風で「致し方ないなぁ・・・」だった。が、一方、期待していなかった【カプリッチョ】の舞台(大道具)構成と衣装は秀逸だった。勿論、歌手陣もガランチャ、アラーニャほどの世界トップからは、人気・知名度は劣るが、歌唱・演技を含めて秀逸で、演奏に例えると、息が合った質の良い室内楽のごとく・・・。妻にも見せたい舞台・衣装!

​ 3演目目の生初体験が【ドン・パスクワーレ】で、滞在中の最終夜が喜劇だったので気楽に楽しめた。小生が名前を知るスター歌手の出演はなかったが、(その分低価格で、)十二分に楽しめた。(国内では生の舞台が未体験で)ウィーン国立歌劇場では2回目だった【シモン・ボッカネグラ】は、初回(2016年5月27日)が(若くして脳腫瘍でご他界された)故 ディミトリー・ホロストフスキーさんで、今回(2018年5月13日)はトーマス・ハンプソン。2016年の初体験時は、フェルッチョ・フルラネットがヤーコポ・フィエスコ、フランチェスコ・メーリがガブリエーレ・アドルノ、バルバラ・フリットリがアメーリア・グリマルディ(マリア)とキャスティングにも恵まれた。

2.RANG LOGE LINKS Box7 Row1 Seat3 95EUR
Marco Armiliato | Dirigent
Dmitri Hvorostovsky Br| Simon Boccanegra
Ferruccio Furlanetto Bs| Fiesco
Francesco Meli T| Gabriele Adorno
Barbara Frittoli S| Amelia

 飛ぶ鳥を落とす勢いのメーリは今回も同役! 2017年のザルツブルク音楽祭でアンナ・ネトレプコが【アイーダ】を初めて歌った際に、ラダメス役としても出演しており、驚いた!~ ザルツブルク音楽祭の目玉公演は NHK が放映してくれるのでありがたい。

 書き出したら止まらない・・・:思いがアレコレと沸き上がるゆえ止め!! (2018/ 9/19)

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