top of page

日本てんかん協会(波の会) 月刊 「波」 第21巻第8号(1997年8月) 266頁掲載

チ ー ム 医 療 に 支 え ら れ て

鳥取県立鳥取療育園 園 長  大谷 恭一

 わが国で痙撃性疾息や発達障害など、小児の神経系を専門とした、小児科が最初に出来たのは、どの大学でしょうか?
 ご存じの方も多いと思いますが、昭和46年、鳥取大学医学部に「脳幹性疾患研究施設部門、神経小児科」が出来たのが最初でした。国立楕神神経センター武蔵病院長などを歴任された有馬正高先生が初代教授で、現在は、医学部長を兼任されておられる竹下研三教授に導かれています。この間、全国各地から実に多くの先生方が研修され、現在、すばらしいご活躍をなさっているわけです。小生は、昭和56年以降、鳥取市を主とした人口約30万人の医療圏における中核病院である現病院に勤務し、一般小児科診療、入院診療をはじめ、さまざまな役割・職務をいただいて今日に至っています。

 

 

 脳障害の予防を願いとして取り組んできたハイリスク新生児医療は、現在「周産期センター」となり、部長としてスタッフに支えられながら、地域との連携も確立し、24時間365日稼働しています。健康に生まれたならば、より健康にとの願いで、WHO(世界保健機構)、UNICEF(ユニセフ)の提唱する母子同室制・母乳育児の推進や、妊娠期のお母さん方への「赤ちゃんからのメッセージ」と題した講座もすっかり定着してきました。

 また、てんかんや発達診断などの神経外来、運動発達障害児のための母子通園施設の園長として療育における責任も担っています。さらに、地域の乳幼児健診など小児保健領域の企画推進、教育委員会関連での「健康・障害の何たるかを啓発」する社会教育なども担っています。

 脳障害の予防を願いとして取り組んできたハイリスク新生児医療は、現在「周産期センター」となり、部長としてスタッフに支えられながら、地域との連携も確立し、24時間365日稼働しています。健康に生まれたならば、より健康にとの願いで、WHO(世界保健機構)、UNICEF(ユニセフ)の提唱する母子同室制・母乳育児の推進や、妊娠期のお母さん方への「赤ちゃんからのメッセージ」と題した講座もすっかり定着してきました。

 また、てんかんや発達診断などの神経外来、運動発達障害児のための母子通園施設の園長として療育における責任も担っています。さらに、地域の乳幼児健診など小児保健領域の企画推進、教育委員会関連での「健康・障害の何たるかを啓発」する社会教育なども担っています。
 新生児仮死などハイリスク新生児医療は、医療チームでの取り組みが成果を発揮しますが、地域的システムを含めて推進してきた経験から、やはりチーム医療が必須である白血病・小児がんなどに対する骨髄移植のシステム導入(兵庫医大輸血学教室のご指導をいただき同種骨髄移植を昭和52年5月に、国立がんセンター小児科のご援助で自家骨髄移植を平成元年2月に、各々開始しています。)を担ったりもしました。最近では、外来棟建設に関連した業務、医療情報のコンピュータ化に加わり、院内感染予防対策委員会、ボランティア委員会の責任も加わったりです。結局は、地元の鳥取大学医学部に脳神経小児科があるがゆえに、稀少疾患の診断や先端的治療方針などは、竹下教授をはじめとした先生方に委ねるとともに、小生の担いきれない部門は鳥取市内の神経小児科の先輩、吉野邦夫先生にも支えられて、今日があります。小生のてんかん診療も、地域的なチーム医療に支えられて可能なことであると承知し、感謝している日常です。

紹介します

 ハイリスク新生児医療の重要性から「周産期センター」開設に奔走され、鳥取県内の拠点として大活躍の、そして超多忙の先生に登場いただきました。協会会員の主治医としても、大変お世話になっています。「うちの子がとっても好いとるけん病院行くの苦にならん」とお母さん、そして「子ともと同じ視線で診てくださる」と・・・。
 大学進学時建築関係か医学部か迷われたとか。お医者さんを選んで下さってありがとうと申したいてすね。ところで先生は、音楽、絵画、建築、旅行と大変趣味の広い、充実した毎日と伺いました。養護学校の学習発表会“病棟でのクリスマス会(学生時代マンドリンクラプ)”県民第九の大合唱のメンパーとして、全くずばらしく生きていらっしゃいます。
 毎日小さな命と直面する緊張の連続と思いますが、ヒューマニズムにあふれたすぐれた医学者です。てんかん他、難病と闘う子どもたちをこれからもよろしくお願いいたしまず。 

● 紹介 鳥取県支部事務局長 渡○恵○

bottom of page