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体験記録

Lena Maria Spring Concert in Japan, 1999 

Apr.24.1999 in Tottori : Rika-hall

レ ー ナ ・ マ リ ア 演 奏 会 に 学 ぶ こ と

 1999年4月24日(土)鳥取県民文化会館「梨花ホール」のほぼ全席を聴衆が埋め尽くしていました。
 開演30分ほど前に会場に到着すると、予想を超えた多くの県民の方々が、早1階席を埋めておられ、全席自由席であって、2階席の隅奥に2席を見出して、やっと妻と並んで座れたのです。その後も次々と座席を捜す方々が入られ、3階席へと移られたようでした。お世話役の方々はボランティアであって、懸命に空席を探して案内されたりでしたが・・・、おそらく予測を越えた人気ぶりであったろうと思えました。
 開演までに異様な熱気を感じたのは小生のみではなかったでしょう。

 レーナ・マリアさんのことは、NHKのドキュメントや、長野パラリンピックでの歌唱など、映像・音響を通じて出会う機会は、少なからずありました。鳥取療育園の園長ほか、仕事柄、身体障害のある方が、これを乗りこえて、社会自立されていることに関心が高かったこともあってのことです。


 最近、日本では「五体不満足」の乙くんが、障害の何たるかについて体現してくれているように思います。彼の、いわば先輩になるレーナ・マリアさんについて、演奏会後の講演会等で皆さんにお尋ねすると、「知らない」という方が多いのに気づきました。

 本屋さんでは「五体不満足」の本の横にレーナ・マリアさんの本が、複数点陳列されているであろうことを紹介しています。本ページでは、小生なりの理解・学びと感動を記録しておこうと思います。

 なお、「いのちのことば社」刊行「 MY LIFE」に掲載されている、写真家 小林 恵さん撮影による写真を本ページに掲載したことに関しては、レーナ・マリアコンサートツアー日本事務局「SHALOM」大阪シャローム(株)および「いのちのことば社」の承諾を得ています。御礼申上げます。 鳥取公演の主催は「レーナ・マリア コンサート in 鳥取実行委員会」でした。お世話いただきありがとうございました。 

 先天異常とは、手術や薬剤内服等の医療ないし療育(リハビリテーション)や特別に配慮を必要とする教育が必要な何らかの異常をいいます。小生のホームページでも解説(末尾参照)していますので、ご一読いただければ幸いです。

 レーナ・マリアさんにも先天異常があります。それは両上肢の欠損と左下肢の低形成といえる、いわゆる奇形であり、四肢奇形の中では重度障害に相当します。
 四肢奇形の中で発生頻度が比較的高いのは、指が1本余分にある「多指症」であり、日本人では出生約1,000人に1人の頻度です。
 このほか、足の指が多い「多趾症」があります。あるいは、手指・足趾がくっついていることがあり、「合指症」・「合趾症」といいます。これらが複合していることもあります。
 一方、指が欠けている場合を、頻度は低くなりますが、「欠指症」や「欠趾症」といいます。この程度が強いと手のひらに裂が入り「裂手症」となります。
 さらに欠損の程度が強い場合、様々な「欠肢症」となります。これが社会的問題になったのが、妊娠初期に強いつわり(妊娠悪阻)に対して用いられた「サリドマイド」の副作用として発生した「欠肢症」です。【サリドマイドによる両上肢欠損のあった女性をドキュメンタリータッチに描いた「典子は今」という映画があります。】かつて、動物にみたたてアザラシのようだとして「アザラシ肢症」と呼ばれた時代もありました。
 「先天性絞扼輪症候群」の診断名もあります。これは、例えば、胎児の右手が羊膜に突っ込んだ状態に固定され、右手首から先が欠損したり、指の分離が出来ない変形した状態で生まれたという先天性の四肢障害です。小生は医師になって絞扼輪症候群は数例を経験している程度で、それこそ万に一つもない程度の、とても稀なことです。

 以上の四肢に関する先天異常を総称して「四肢障害」として、わが国には「先天性四肢障害児父母の会」があり、お互いに連携し、原因の解明を求めたり、社会的理解を育むために20年以上の活動をなさっておられます。 

(付:先天異常の診断名について、上口唇に裂が入っている場合を「唇裂」ないし「口唇裂」といいますが、これもかつては動物のウサギのようだとして「兎唇」と呼称されていた時代がありました。外表奇形を伴う疾患・先天異常の医学病名は、理解の乏しかった昔、しばしば動物に例えられていましたが、差別的であるとの観点などから、現在これらの表現は用いられていません。)

 レーナ・マリア・クリングヴァルさんは、1968年9月28日、スウェーデン生まれです。出生時に、四肢障害があり、健常なのは右下肢のみで、両上肢が痕跡程度であり、左下肢も通常の半分程度の長さであったのです。お母さんは妊娠中薬剤の服用歴はなく、原因が不明でした。
 ご両親の愛に恵まれて、3歳から水泳を始め、5歳の時から教会の聖歌隊に加わられ、小学校、中学校と普通校に学ばれました。高校の音楽専攻科からストックホルム音楽大学に進学されています。
 1988年、ソウルでのパラリンピックに出場したり、一方、1991年大学卒業後から本格的に音楽活動をされ、全米8州、50カ所でのコンサートを始まりとして、日本への初来日は1992年の教会コンサートから。1993年以降は、毎年のように日本各地でコンサートを開かれています。

 コンサートを通じて直接的に、あるいは、彼女の自立的な、障害を受容し明るく克服する生活姿勢を報ずるテレビのドキュメンタリー番組や書物等を通じて、多くの人々に感動を与え続けておられます。

 とくに、今回の鳥取のコンサートにおいて彼女のエネルギーを体感できたことは、小生の人生にとって幸いなことでした。

 力強いソプラノ、澄んだ歌声と彼女の表情は、キリスト教に疎い小生であっても、マリアさんが神の祝福をお受けになり、彼女に四肢障害があったがゆえに「命」を学び、他の方々にも「命」の重みを教え続け、人生を通じて「創造」し、「挑戦」し、スポーツ・歌声やライフスタイル自体を通じて多くの「表現」をし、そして、実に多くの国々の方々との出会いがあり、共に「感動」し、感動の輪を広げていく、まさしく「福音」そのものと分ります。そう、彼女は世界的な「福音歌手 Gospel singer 」なのです。
 約20曲を歌ってくださったのですが、日本語も数多く交えておられました。原語は伸びやかに、英語もなめらかに、そして、日本語の歌詞はていねいにとの印象を抱きました。

 終曲「明日も生きよう」では、「主は今生きておられる 我がうちにおられる すべては主の御手にあり 明日も生きよう 主がおられる」と歌い上げられ、レーナ・マリアさん自らを励ますかのように思え、また、聴衆も共に励まされ、勇気づけられるのを感じました。
 とくに、現代の日本社会において、身体的に健康に生まれた子どもたちが、家庭・地域で、さらに、学校で、癒されることが乏しい状況で育ち、お互いに傷つけあい、不登校、いじめ、いじめられ、家庭内暴力や、殺傷事件、自殺などにも及んだりしている辛い現状があります。健康の何たるかを知らないで、大人たちを含めて、命・生命を軽んじている日々の生活にある結果ともいえましょう。
 「障害のある子どもたちは、自らの体でもって、健康の何たるかを、私たちに教えてくれている」、「障害のある子どもたちは、一人ひとりが望んだわけではなく、ご両親・保護者の方々も望まれたわけではなかったはずですが、一定頻度で障害を有して生まれ、社会の一員となっている」のです。と、講演会等でメッセージをお伝えしている小生ですが、単なる知識としてではなく、体験こそが重要になるわけです。レーナ・マリアさんの演奏会も、かけがえのない貴重な体験となり得るのです。

 ところで、四肢全てが欠損していた「五体不満足」の乙くんの場合も、お母さんの最初の一言「かわいい!」に象徴される受容に始まっています。重度の四肢障害がある非常に個性的な彼であったけれど、家族と共に、地域の中で、地域の幼稚園で、地域の学校で育ち、各々の環境に適応していってくれたわけです。彼が適応する過程において、様々な関係者がアイデアを出し合い、そして彼の手足を補う多様な機器が開発されていったわけです。つまり、彼が育つ過程で、実に多くの方々にチャンスを与え、勇気づけてきたともいえるのかも知れません。


 レーナ・マリアさんの場合も同様でしょう。彼女は、今、両手がないけれど乗用車を自分で運転されておられます。関係者の理解と創意・工夫の結実といえます。
 コンサートの一場面で、彼女の生い立ちや、水泳・学校・家庭生活の様子、運転の様子が映像で流れていました。演奏会までに彼女の生い立ちや生活状況を知らなかった聴衆に親しみを与える効果があったと理解しています。
 お母さん、おとうさん、ごきょうだいに育まれて育ってこられた記録の映像を隠すことなく、世界中の人たちに見てもらうこと自体、神のお計らい・加護があってのことなのかも知れないと感じました。

 ご両親・ご家族は、レーナ・マリアさんが、今、世界の人々を癒し、勇気づけておられることを、出生当時、幼児期に、あるいは、学童期にお考えになっておられていたのでしょうか?
 答は「否」でしょう。どんな障害があろうとも、命は輝くわけです。ただし、どんな命であっても、それを受容し(望まなかったにも関わらず、障害を持って生まれた個性を受容し)、共に人として育ち合う関係性が基盤となりましょう。各々の違いを認め合い、共に生活できる地域社会が育まれ、保証されることが願いでもあります。

 レーナ・マリアさんには、いつか、きっと再び鳥取の地にお越しいただき、より多くの県民の方々に「レーナ・マリアコンサート」を体験していただけることを祈念します。次の機会には、小生は3階席の後方でよいから、レーナ・マリアさんの演奏会を再び体験できることを願っています。 

 


 1999年秋の日本でのコンサートの合間に、NHKのインタビューに応えておられたレーナ・マリアさんと(テレビを通じて)出会いました。インタビュアーの質問と、彼女の回答の概略を記録しておきます。 

Q:幸せとは? どのようにお考えでしょうか?
A:そうですね・・・。願いや目的が適ったときに「幸せ」といって良いのでしょうが、私には、それ以上に、そこに至る過程において、様々な出会いがあって、その「過程や出会いを通じて感動がある、そのことが幸せ」だと確信出来るのです。ですから、結果が、仮に失敗したり、目的が達成できなかったとしてもです。

 

Q:もし、生まれ変わることが出来たら、マリアさんは、何を望まれますか?
A:私は四肢の奇形があって、今があります。人間に障害が皆無とはならないでしょうし、そのことが神様の思し召し・お考えならば、私は、生まれ変わっても障害があって良いです。障害の有無と幸せとは、直接関係しないのですから・・・。

 間もなく満68歳になるわが身:個人ホームページをwix 版で再構築しつつあります。資料を整理していたら、本内容がありました。

 1999年4月の鳥取公演での感動を基に記した内容は、19年余が経過した今でも自己啓発を促してくれます。おかげさまで、心身共に健康で今があることに、深く感謝しつつの日々です。

 調べたら、レーナ・マリアさんのホームページがありました。

 今もご活躍を続けておられることを知り嬉しく思います。

2018/9/13 記

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